後漢王朝の皇帝家系図と一覧|光武帝から献帝まで

皇帝一覧・家系図
 

後漢:略家系図

後漢皇帝一覧と家系図(光武帝から献帝までの系譜)
後漢皇帝一覧と家系図

後漢 (25-220): 皇帝一覧

廟号諡号名前
(諱)
生年-没年
(没年齢)
在位ー退位
(年齢)
在位
期間
世祖光武帝劉秀りゅう・しゅう前5-57(62歳)25ー57
(30歳)ー(62歳)
32年
顕宗明帝劉荘りゅう・そう28-75(47歳)57ー75
(29歳)ー(47歳)
18年
粛宗章帝劉炟りゅう・とう57-88(31歳)75ー88
(18歳)ー(31歳)
13年
穆宗和帝劉肇りゅう・ちょう79-106(27歳)88ー106
(9歳)ー(27歳)
18年
殤帝劉隆りゅう・りゅう105-106(1歳)106ー106
(1歳)ー(1歳)
1年未満
恭宗安帝劉祜りゅう・こ94-125(31歳)106ー125
(12歳)ー(31歳)
19年
少帝
(北郷侯)
劉懿りゅう・い?-125(不詳)125ー125
(不詳)ー(不詳)
約7か月
敬宗順帝劉保りゅう・ほ115-144(29歳)125ー144
(10歳)ー(29歳)
19年
沖帝劉炳りゅう・へい143-145(2歳)144ー145
(1歳)ー(2歳)
約1年
質帝劉纘りゅう・さん138-146(8歳)145ー146
(7歳)ー(8歳)
約1年
威宗桓帝劉志りゅう・し132-168(36歳)146ー168
(14歳)ー(36歳)
22年
霊帝劉宏りゅう・こう156-189(33歳)168ー189
(12歳)ー(33歳)
21年
少帝劉辯りゅう・べん176-190(14歳)189ー189
(13歳)ー(13歳)
約半年
献帝劉協りゅう・きょう181-234(53歳)189ー220
(8歳)ー(39歳)
31年

補足(後漢末の重要ポイント)

・少帝(劉辯)は董卓に廃され、弘農王となり後に殺害。
・献帝(劉協)は曹操に擁立され、最後は魏へ禅譲(220年)して後漢が滅亡。
・「少帝(北郷侯 劉懿)」は即位期間が短く、史料上の情報も少なめ。

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①光武帝(劉秀)|後漢を再建した皇帝

・前漢の皇族の血を引く人物で、王莽が建てた新の末期に各地で反乱が起こると挙兵。
 昆陽の戦いでは、新の大軍を破る決定的な勝利を挙げた。
・更始帝・劉玄の政権から離れて河北に勢力を築き、
 25年に皇帝へ即位。洛陽を都として漢王朝を再興した。
・その後も各地に残る群雄を次々と平定し、
 36年には蜀の公孫述を滅ぼして中国の再統一をほぼ完成させた。
・戦乱で疲弊した社会の再建を進め、官僚機構の整理や減税、奴婢解放などを実施。
 功臣を厚遇しながらも政治の中枢からは距離を置かせ、皇帝を中心とする統治体制を整えた。
皇后をめぐっては郭聖通を廃し、
 かつて「妻を娶らば陰麗華を得ん」と語ったと伝わる陰麗華皇后に立てた。

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②明帝(劉荘)|父の政策を受け継いだ二代皇帝

・光武帝と陰麗華の子。父が築いた政治体制を受け継ぎ、中央集権的な統治を進めた。
・官僚に対して厳格な姿勢を取り、皇帝自身が政務を細かく監督したことで知られる。
 光武帝から明帝、章帝にかけては後漢前半の安定期となった。
・対外的には北匈奴への攻勢を強め、73年には竇固らを派遣。
 さらに班超が西域で活動し、後漢の影響力を中央アジア方面へ再び拡大する契機となった。
・仏教伝来について、明帝が夢で金色の人物を見て西域へ使者を派遣し、
 洛陽に白馬寺を建立したという有名な伝説も残されている。
 ただし、この逸話は後世に形成された部分が大きい。

③章帝(劉炟)|後漢前半の安定を維持した皇帝

・明帝の子。父ほど厳格ではなく、比較的寛容な政治を行った皇帝として『後漢書』に描かれている。
・儒学を重視し、79年には白虎観で儒学者による経典討議を開催。
 その成果は後に『白虎通義』としてまとめられた。
・西域では班超の活動が続き、後漢の影響力が拡大した。
・一方、皇后竇皇后には実子がなく、宋貴人が産んだ劉慶を皇太子から廃し、
 梁貴人が産んだ劉肇を皇太子とした。

 この皇位継承をめぐる後宮の争いが、次代の竇氏一族の権力掌握へつながっていく。

④和帝(劉肇)|外戚を倒し、宦官を重用した皇帝

・章帝の子。9歳で即位したため、養母の竇太后が臨朝し、
 その兄・竇憲を中心とする竇氏一族が政治の実権を握った。

竇憲は北匈奴への大遠征を成功させ、89年には燕然山に功績を刻むほどの軍事的成功を収めたが、
 その権勢は皇帝を脅かすまでになった。
・92年、成長した和帝は宦官鄭衆らと密かに計画して竇憲一派を排除
 竇憲を自殺へ追い込み、親政を開始した。
・この政変で功績を挙げた鄭衆が重用されたことは、
 後漢で宦官が政治権力を強めていく重要な転換点となった。
・治世には西域で班超が活躍し、
 105年には宦官蔡倫が改良した製紙法を皇帝へ奏上したことでも知られる。

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⑤殤帝(劉隆)|生後100日余りで即位した皇帝

・和帝の子。父の死後、生後100日余りで皇帝に即位した。
・あまりに幼かったため、和帝の皇后だった鄧綏が皇太后として臨朝し、政治を担った
・しかし即位したその年、106年にわずか1歳ほどで死去。在位は1年にも満たなかった。
・後継には和帝の兄・清河王劉慶の子である劉祜が選ばれ、安帝として即位した。

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⑥安帝(劉祜)|鄧綏の死後、外戚と宦官が争った時代

・章帝の孫で、清河王・劉慶の子。
 殤帝が幼くして死去すると、鄧太后によって皇帝に擁立された。
・即位時は12歳で、実権は引き続き鄧太后が握った。
 鄧太后は災害や羌族との戦乱が相次ぐなかで政治を主導し、
 学問を重んじ、班昭を宮廷へ招いたことでも知られる。
121年に鄧太后が死去すると安帝が親政を開始し、鄧氏一族を失脚させた。
 その後は乳母の王聖や宦官江京・李閏らが皇帝に接近して権力を強めた。
・皇太子・劉保は江京らとの対立から廃太子となったが、
 安帝の死後、この皇位継承問題が大きな政変へ発展する。

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⑦少帝(北郷侯・劉懿)|外戚に擁立された短命皇帝

・章帝の孫にあたる。125年に安帝が死去すると、
 皇太后の閻姫とその一族によって皇帝に擁立された。
・閻氏は、廃太子となっていた劉保ではなく、自分たちが権力を維持しやすい劉懿を後継者に選んだ。
・しかし劉懿は即位後まもなく病死。在位は約7か月という短いものだった。
・その死後、閻氏は別の皇帝を擁立しようとしたが、
 孫程宦官がクーデターを起こして閻氏と江京らを排除。廃太子だった劉保を皇帝に擁立した。

⑧順帝(劉保)|宦官に擁立され、外戚梁氏が台頭

・安帝の子。一度は皇太子となったものの、江京らの讒言によって廃されて済陰王に降格された。
125年、少帝・劉懿が死去すると、孫程宦官が宮廷クーデターを決行。
 江京らを殺害し、劉保を皇帝に擁立した。

・順帝は自らを即位させた宦官たちを侯に封じた一方、皇后・梁妠の一族も次第に勢力を拡大。
 梁皇后の父・梁商、その子・梁冀が朝廷で大きな権力を持つようになった。
・144年に順帝が死去すると、わずか1歳の沖帝が即位。
 ここから幼帝が相次ぎ、梁冀を中心とする外戚政治が頂点へ向かっていく。

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⑨沖帝(劉炳)|梁氏政権下の幼帝

・順帝の子。父の死後、わずか1歳で皇帝に即位した。
・幼帝であるため、梁太后が臨朝し、その兄で大将軍の梁冀が政治の実権を握った。
・しかし145年、2歳ほどで死去。在位は約1年だった。
・後継には章帝の系統に属する幼い劉纘が選ばれ、質帝として即位した。

⑩質帝(劉纘)|梁冀を「跋扈将軍」と呼んだ幼帝

・章帝の玄孫にあたり、沖帝の死後、7歳ほどで皇帝に擁立された。
・幼いながら聡明だったとされ、権力をほしいままにする大将軍・梁冀を
 「跋扈将軍」と呼んで批判したという有名な逸話が『後漢書』に残る。
・これを恨んだ梁冀は、146年に質帝の食事へ毒を入れさせたとされ、質帝は8歳ほどで急死した。
・梁冀は次の皇帝として劉志を擁立。これが桓帝であり、梁冀の専横はさらに続いた。

⑪桓帝(劉志)|梁冀を倒した宦官が新たな権力者に

・章帝の曾孫にあたり、146年に梁冀によって皇帝に擁立された。
 梁冀の妹・梁女瑩を皇后としたため、即位後も梁氏一族の強い支配を受けた。
梁冀は皇帝をしのぐほどの権勢を誇ったが、
 159年、桓帝は宦官の単超・徐璜・具瑗・左悺・唐衡らと密かに計画して梁冀を包囲し、
 自殺へ追い込んだ。

・功績を挙げた5人の宦官は同日に侯へ封じられ、「五侯」と呼ばれた。
 梁氏を倒した結果、今度は宦官勢力が政治の中枢へ進出することになった。
宦官の専横に反発した李膺ら官僚・太学生との対立が激化し、
 166年には第一次「党錮の禁」が発生。清流派と呼ばれる士大夫たちが弾圧された。
・外戚を倒すために宦官を利用したことが、
 結果として後漢末の宦官政治をさらに強めることになった。

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⑫霊帝(劉宏)|十常侍と黄巾の乱の時代

・章帝の玄孫。桓帝に男子がいなかったため、168年に12歳で皇帝へ擁立された。
・即位当初は竇太后と大将軍・竇武、陳蕃らが政治を主導し、宦官勢力の排除を計画した。
 しかし計画が漏れ、宦官側が反撃。竇武・陳蕃は敗死し、宦官が宮廷政治を掌握した。
曹節・張譲・趙忠ら宦官が大きな権力を持ち、
 後に「十常侍」と呼ばれる宦官集団が皇帝の側近として勢力を振るった。
 霊帝自身も張譲を「我が父」、趙忠を「我が母」と呼んだと『後漢書』に記されている。
・官職を金銭で売る「売官」が広く行われ、政治腐敗が深刻化。
 党錮の禁によって士大夫勢力も抑圧された。
184年には張角が率いる黄巾の乱が勃発。
 朝廷は反乱鎮圧のため地方の豪族や武将に軍事力を持たせたため、
 曹操・劉備・孫堅ら、のちの三国時代につながる人物たちが歴史の表舞台へ現れ始めた。
・189年に霊帝が死去すると、皇子・劉辯と劉協の後継争いをめぐって宮廷が混乱。
 後漢は急速に崩壊へ向かう。

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⑬少帝(劉辯)|何進と十常侍の争いで崩れた洛陽

・霊帝と何皇后の子。189年、父の死後に13歳で即位し、
 母の何太后と伯父の大将軍・何進が政権を握った。
・何進は袁紹らとともに宦官勢力の一掃を計画したが、何太后が反対したため決着がつかず、
 地方の軍勢を洛陽へ呼び寄せて圧力をかけようとした。
・これを察知した宦官側は何進を宮中へ誘い出して殺害。
 袁紹らが宮中へ突入して宦官を大量に殺害し、
 後漢で長く続いた外戚と宦官の抗争は双方が共倒れする形となった。
・混乱の中で董卓が軍を率いて洛陽へ入り、政権を掌握。
 少帝を廃して弘農王とし、 弟の劉協を献帝として即位させた。
・翌190年、董卓の命を受けた李儒によって殺害されたと『後漢書』に記されている。

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⑭献帝(劉協)|董卓から曹操へ、後漢最後の皇帝

・霊帝の子で少帝・劉辯の弟。189年、董卓によって9歳で皇帝に擁立された。
・董卓は朝廷を支配し、反董卓勢力が挙兵すると洛陽を焼いて献帝を長安へ移した。
 192年に董卓が呂布らによって殺害された後も、李傕・郭汜らが長安を支配し、
 献帝は軍閥の争いに翻弄された。
・195年に長安を脱出し、翌196年に洛陽へ戻ったものの朝廷は荒廃していた。
 そこへ曹操が献帝を迎え、許へ遷都。以後、曹操は皇帝を奉じる立場から諸侯に号令し、
 勢力を拡大していった。
・献帝は曹操の支配から脱しようとしたとされ、董承らによる曹操排除計画も起こったが失敗。
 曹操は魏公、さらに魏王となり、後漢朝廷の実権を完全に掌握した。
・220年に曹操が死去すると、その子・曹丕が魏王を継承。
 同年、献帝は曹丕へ帝位を禅譲し、約200年続いた後漢は滅亡した。
・退位後は山陽公となり、234年まで生きた。
 曹丕よりも長命であり、三国時代が本格化した後まで生きた後漢最後の皇帝である。

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王朝らしさ:

「理想的再建王朝 → 宦官と外戚の泥沼」

キーワード

・光武帝の再建
・儒教官僚制の完成
宦官 vs 外戚
・党錮の禁黄巾の乱

空気感

・前半:安定・文化成熟
・後半:宮廷腐敗・政治崩壊

物語性

・陰麗華と光武帝
・鄧綏の摂政政治
・外戚と宦官の権力闘争
・三国時代への導火線

崩壊パターン

外戚と宦官の政争 → 党錮の禁 → 黄巾の乱 → 何進と宦官の共倒れ → 董卓の入京 → 群雄割拠 → 曹操による献帝擁立 → 曹丕への禅譲

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