2026-03

宋元

亡宋三傑|文天祥・陸秀夫・張世傑の生涯と南宋最後の抵抗

亡宋三傑と呼ばれる文天祥・陸秀夫・張世傑の生涯を史書に基づいて解説。元軍の侵攻と臨安の降伏、文天祥による江西・広東での抗戦と『正気歌』、陸秀夫による幼帝の補佐、張世傑が率いた水軍の戦い、1279年の崖山の戦いから南宋滅亡後の文天祥の処刑まで、三人の足跡をたどる。
034.文人・学者

【楚】屈原|楚国の忠臣にして中国文学の源流を築いた詩人の実像

屈原(くつげん)は戦国時代の楚に仕えた政治家・詩人で、『楚辞』を代表する人物である。楚懐王の側近から讒言によって失脚し、秦との対立が深まるなか各地を放浪。『離騒』に託した憂国の思い、楚都陥落後に汨羅江へ身を投じた最期、端午節・ドラゴンボート伝説まで、『史記』をもとに生涯と実像を詳しく解説する。
032.権臣

【魏】司馬懿|三国志最強の策士が魏を奪うまで

司馬懿(しばい)は、曹操・曹丕・曹叡・曹芳の四代に仕え、魏の軍事と政治を担った三国時代の重臣。曹操への仕官から曹丕の後継争いへの関与、孟達討伐、公孫淵を滅ぼした遼東遠征、諸葛亮との祁山・五丈原での対峙、曹爽との権力闘争、高平陵の変による政権掌握と王凌の乱の鎮圧まで、司馬氏が魏の実権を握り、西晋建国へつながる道を開いた生涯を紹介する。
02.妃賓

【北斉】馮小怜|北斉を滅亡へ導いた「妖妃」と呼ばれた傾国の美女の生涯

馮小怜(ふうしょうれん)は、北斉後主・高緯の寵愛を独占した淑妃。平陽陥落の急報より狩猟を優先させた逸話や、戦場へ同行して軍事判断にも影響したと史書に描かれる。北斉滅亡後は北周へ連行され、宇文達の側室となった後、楊麗華の母・独孤伽羅との因縁から死を命じられた。その生涯と「亡国の妖妃」像の実像を詳しく解説する。
01.皇后

【唐】武則天(則天武后)|中国唯一の女帝が皇帝になるまでと治世

武則天(ぶそくてん)は唐太宗の才人から高宗の皇后となり、690年に武周を建国した中国史上唯一の女帝である。王皇后・蕭淑妃との後宮争いを経て政治権力を掌握し、李唐皇族の粛清や酷吏政治を進める一方、科挙を通じて人材を登用。狄仁傑らを重用し、武氏への皇位継承問題、張易之・張昌宗の寵遇、705年の神龍政変と退位まで詳しく解説する。
034.文人・学者

宋玉|楚辞文学を代表する文人と中国史の美男子

宋玉(そうぎょく)とはどんな人物だったのか。戦国時代の楚で活躍した文人で、楚辞文学の代表作家とされる人物である。登徒子好色賦の逸話、巫山神女の物語、屈原との関係、美男子の象徴として語られる理由などをわかりやすく解説。
033.武将

【呉】周瑜|赤壁の戦いで曹操を破った名将「美周郎」の実像

周瑜(しゅうゆ)は、孫策と義兄弟のような親交を結び、孫権を支えた後漢末の名将。小喬を妻とし、赤壁の戦いでは曹操への降伏論に反対して水軍を率い、黄蓋の火攻めで曹操軍を撃破した。続く江陵攻略では曹仁と戦い、益州を奪って曹操に対抗する天下二分の構想を進言したが、210年に36歳で病死。「曲有誤、周郎顧」の逸話や、諸葛亮との対立を描く『三国志演義』との違いにも触れる。
037.宦官

韓全誨|昭宗を鳳翔へ連行した唐末の宦官と朱全忠との対立

韓全誨(かんぜんかい)は唐末の宦官で、劉季述の失脚後に神策軍護軍中尉となり、宮廷の軍事権を掌握した。宰相崔胤による宦官排除に対抗して鳳翔節度使・李茂貞と結び、901年には抵抗する昭宗を皇族とともに鳳翔へ強制連行。朱全忠による包囲戦で城内は深刻な飢餓に陥り、903年には李茂貞によって処刑された。昭宗の連行から宦官の大量粛清、朱全忠による朝廷掌握までをたどる。
037.宦官

劉季述|昭宗を廃位し、皇太子を擁立した唐末の宦官

劉季述(りゅうきじゅつ)は唐末の宦官で、神策軍を掌握し、900年に昭宗を廃位した人物。宰相崔胤との対立、王仲先らと起こした光化三年の変、昭宗と何皇后の少陽院幽閉、皇太子李裕の擁立、百官への署名強制と詔書の偽造、孫徳昭らによる反撃と901年の殺害まで、唐末の宮廷を揺るがした政変の経緯を詳しく紹介する。
037.宦官

楊復恭|昭宗を擁立した唐末の権力宦官と養子軍団の反乱

楊復恭(ようふくきょう)は、唐末に田令孜と対立し、その失脚後に神策軍を掌握した宦官。僖宗の死後に昭宗を擁立して朝廷の実権を握り、養子600人を各地の監軍に配置して「外宅郎君」と呼ばれる勢力を築いた。外戚王瓌の殺害疑惑、李克用討伐をめぐる昭宗との対立、養子楊守立(李順節)の離反、891年の長安での武力衝突、楊守亮らと興元で抗戦した経緯、李茂貞による討伐と韓建に捕らえられて処刑されるまでをたどる。