中国史の妃賓一覧|歴代皇帝に寵愛された有名な妃・貴妃たち

中国史の妃賓一覧 人物一覧

中国の歴代王朝では、皇帝の后妃として多くの女性が後宮に入り、
その寵愛や出産、皇位継承を通じて歴史に名を残した。

皇后にはならなかったものの皇帝から深く愛された女性、
皇子の母として後宮で大きな影響力を持った女性、
政争に巻き込まれて悲劇的な最期を迎えた女性も少なくない。

本記事では、
中国史に登場する有名な貴妃・皇貴妃・夫人・昭儀・婕妤などの妃嬪を時代別に紹介する。
それぞれがどの皇帝の後宮に入り、寵愛や皇子の誕生、皇位継承、
宮廷政治を通じて王朝の歴史とどのように関わったのかを見ていく。

妃賓一覧

人物時代皇帝備考
戚夫人せきふじん前漢①高祖・劉邦①劉邦の寵姫。皇太子交代問題に巻き込まれ、呂后に殺害された
李夫人りふじん前漢⑦武帝⑦武帝が深く寵愛した美女。「傾国」の故事でも知られる
班婕妤はんしょうじょ前漢⑫成帝才女として著名。趙飛燕ちょうひえん姉妹の台頭後に後宮を退いた
趙合徳ちょうごうとく前漢⑫成帝昭儀。姉の趙飛燕ちょうひえんとともに成帝の寵愛を受けた
馮小怜ふうしょうれん北斉⑤後主・高緯淑妃。北斉滅亡と結びつけて語られる寵妃
張麗華ちょうれいか南朝陳 ⑤後主・陳叔宝 貴妃。南朝陳滅亡時に捕らえられ処刑された
蕭淑妃③高宗王皇后武則天との後宮争いで知られる
武恵妃⑥玄宗楊貴妃以前に玄宗の寵愛を受けた。寿王李瑁の母
楊貴妃ようきひ⑥玄宗中国史を代表する貴妃。安史の乱のさなか馬嵬で死去
万貴妃まんきひ⑨成化帝⑨成化帝より17歳年上の寵妃
鄭皇貴妃ていこうきひ⑭万暦帝⑭万暦帝の寵妃。国本の争いの中心人物
董鄂妃とうがくひ/ドンゴヒ③順治帝皇貴妃。③順治帝から異例の寵愛を受けた
年貴妃ねんきひ⑤雍正帝年羹堯の妹。死の直前に皇貴妃へ昇格
令妃(魏佳氏) ⑥乾隆帝皇貴妃として後宮を統率。嘉慶帝の母
容妃(和卓氏)⑥乾隆帝ウイグル系の妃。「香妃」伝説との関係でも知られる
珍妃ちんひ⑪光緒帝光緒帝の妃。八国連合軍の北京侵攻時に宮中の井戸へ投じられた

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中国史における妃嬪とは

妃嬪(ひひん)とは、皇帝の後宮に入り、
皇后の下に一定の身分や称号を与えられた女性たちを広く指す言葉である。


「妃嬪」という名称そのものが一つの位を意味するわけではなく、
夫人・昭儀・婕妤・貴妃・妃・嬪・貴人など、
歴代王朝で設けられたさまざまな后妃の総称として用いられる。

皇帝の正妻にあたる皇后は原則として一人であり、後宮における最高位に位置した。
これに対して妃嬪には複数の位階が設けられ、それぞれに定員を定める王朝もあった。
したがって、同じ皇帝に仕えた女性であっても、その身分は同一ではない。

また、中国の後宮制度は王朝を通じて一定していたわけではない。
漢代の「婕妤」や「昭儀」、代の「貴妃」、代の「皇貴妃」など、
それぞれの時代に新しい称号が生まれ、既存の称号の序列が変化することもあった。

そのため、妃嬪の地位を見る場合には、称号だけでなく、
その称号が当時の後宮でどの位置にあったのかを確認する必要がある

妃嬪の位階と称号

中国では古くから君主の妻妾に序列が設けられていたが、
秦漢以降の皇帝制度の成立によって、後宮にも皇帝を頂点とする秩序が形成された。

前漢初期には皇后の下に夫人・美人・良人・八子・七子・長使・少使などの称号があり、
武帝の時代には婕妤、元帝の時代には昭儀が新設された。
昭儀は皇后に次ぐほどの高い地位とされ、成帝の寵愛を受けた趙合徳も昭儀となっている。
一方、文学に名を残した班氏は婕妤となったため、一般に班婕妤と呼ばれる。

魏晋南北朝になると後宮の称号はさらに変化した。
曹魏では夫人・昭儀・婕妤・容華・美人などが置かれ、
西晋でも貴嬪・夫人・貴人など複数の等級が設けられた。
南朝宋では孝武帝の時代に「貴妃」の称号が設けられ、後世まで続く高位の妃号となった。

初の制度では、皇后の下に貴妃・淑妃・徳妃・賢妃の四夫人を置き、
その下に昭儀・昭容・昭媛・修儀・修容・修媛・充儀・充容・充媛の九嬪、
さらに婕妤・美人・才人などが置かれた。
ただし代を通じて制度が完全に固定されていたわけではなく、玄宗の時代にも変更が行われている。武恵妃の「恵妃」も玄宗期に用いられた称号であり、その死後に楊玉環が「貴妃」となった。

代では皇后の下に貴妃・妃などが置かれ、さらに「皇貴妃」という称号が成立した。
成化帝の万貴妃は死の直前に皇貴妃となり、万暦帝の鄭氏も皇貴妃として知られている。

代には後宮の序列が明確に整えられ、
皇后の下に皇貴妃一人、貴妃二人、妃四人、嬪六人が置かれ、その下に貴人・常在・答応が続いた。
もっとも、実際には定員が常に厳密に守られたわけではなく、
皇帝によって後宮の人数にも大きな違いがあった。

妃嬪はどのように選ばれたのか

妃嬪となる経緯も時代によって異なり、すべての女性が同じ方法で後宮へ入ったわけではない。
有力な家の娘が皇室との婚姻によって選ばれる場合もあれば、
宮廷に仕える女性が皇帝の目に留まり、身分を上げていく場合もあった。

后妃の選定には政治的な意味もあった。
皇帝と有力家門との婚姻は皇室と臣下を結びつける手段となる一方、
后妃の一族が外戚として強大になる危険も伴った。
このため、王朝によっては后妃の家柄を重視する一方、外戚の政治介入を警戒する動きも見られた。

代には旗人社会を基盤とした独特の選抜制度が存在した。
八旗に属する一定の条件を満たした女子を対象として選秀女が行われ、
選ばれた女性の一部が皇帝や皇族の后妃となった。
後世の物語では皇帝が全国から美女を集めるように描かれることも多いが、
少なくとも朝の選秀女は、容貌だけを基準とした美女選びとは性格を異にする制度だった。

一方、出自が高くなくても後宮で地位を上げる女性は存在した。
乾隆帝の令妃・魏佳氏は内務府包衣の家系に生まれながら後宮で昇進を重ね、
最終的には皇貴妃となっている。

妃嬪の出自や後宮入りの経緯は、王朝や個人によって大きく異なっていた。

↓↓八旗についての個別記事は、こちら

八旗とは何か|清朝を支えた軍事・社会・統治の統合システム
八旗とはどのような制度だったのか。ヌルハチによる創設から、満洲・蒙古・漢軍の三グサ編成、禁旅八旗・駐防八旗、旗王と旗人の関係、衰退と形骸化、清末の崩壊までを詳しく解説。

冊封と妃嬪の昇格

後宮へ入った女性の身分は、生涯固定されたものではなく、
皇帝から正式な冊封を受けて称号を与えられ、その後さらに高い位へ進むこともあれば、
罪を問われて降格・廃位されることもあった。

代ではその過程が特に分かりやすい。
乾隆帝の令妃は貴人から令嬪、令妃、令貴妃へと昇り、さらに皇貴妃となった。
後宮内で長い年月をかけて地位を上げた典型的な例である。

昇格の理由は一つではない。
皇帝からの寵愛、長年の奉仕、皇子・皇女の出産、後宮内での立場など複数の事情が関係した。
また皇后が死去した後、最高位の妃嬪が皇后へ冊立されることもあった。

反対に、皇帝の寵愛を失ったり、
宮廷内の事件や政治闘争に巻き込まれたりして位を奪われる女性もいた。
妃嬪の称号は単なる呼び名ではなく、その時点における宮廷内の身分を示すものだった。

妃嬪と皇子・皇女

皇帝の後宮には皇統を存続させる役割があり、妃嬪から多くの皇子・皇女が生まれた。
しかし、皇子を産んだからといって、その女性が必ず高位へ進んだわけではない。

中国の皇位継承では、皇后の男子である嫡子が重視されたものの、
歴代皇帝のすべてが皇后の子だったわけではない。
皇后に男子がいない場合や後継者争いが起きた場合には、妃嬪の子が皇帝となることも多かった。

その代表例の一つが乾隆帝の第十五皇子・永琰、後の嘉慶帝である。
生母の魏佳氏は皇后ではなく皇貴妃として死去したが、
永琰が後継者に決まると孝儀皇后を追贈された。

一方で皇子の存在が母親に危険をもたらすこともあった。
皇帝の後継者候補が複数存在すれば、
その生母を含む後宮の人間関係も皇位継承と無関係ではいられない。

皇子を持つことは妃嬪の立場を強める可能性がある一方、
政治的な争いに巻き込まれる要因にもなった。

妃嬪と皇位継承

妃嬪が王朝政治と最も直接的に結びついた問題の一つが皇位継承だった。

前漢の高祖・劉邦に寵愛された戚夫人は、息子の趙王劉如意を皇太子にすることを望み、
劉邦も一時は呂后の子・劉盈を廃して劉如意を立てることを考えた。
しかし皇太子交代は実現せず、劉邦の死後、戚夫人と劉如意は呂后による報復を受けた。

代の万暦帝の後宮でも、皇位継承をめぐる大きな問題が起きている。
万暦帝鄭貴妃を深く寵愛し、その子・朱常洵を厚遇したため、
長男・朱常洛を皇太子とすることに消極的だった。
これに対して官僚たちが嫡長子継承の原則を主張し、
皇太子冊立をめぐる「国本の争い」が長期間にわたって続いた。

こうした争いでは、妃嬪自身の意思が史料から明確に確認できる場合と、
皇帝や官僚の行動によって妃嬪が政治問題の中心に置かれた場合を区別する必要がある。
後世には「寵妃が皇帝を惑わせ、自分の子を皇帝にしようとした」
という単純な物語に変えられることもあるが、
実際の皇位継承問題には皇帝、皇后、皇子、外戚、官僚など多くの勢力が関係していた。

妃嬪の一族と外戚

皇帝と婚姻関係を結んだ女性の父や兄弟などは、皇室の外戚となった。
皇后の一族がその代表だが、皇帝から厚く遇された妃嬪の親族が官位や爵位を得ることもあった。

ただし、妃嬪の一族が必ず強大な政治勢力になったわけではない。
歴代王朝は外戚による権力掌握を繰り返し経験しており、
皇帝自身が后妃の親族を警戒する場合もあった。

の雍正帝に仕えた年氏は、康熙・雍正年間の有力者である年羹堯の妹だった。
年氏自身は雍正帝から厚遇され、病が重くなると皇貴妃に進められたが、
兄の年羹堯はその頃には雍正帝との関係を悪化させ、失脚している。
后妃と外戚の関係は、必ずしも一族全体が同じ運命をたどるものではなかった。

皇后がいない後宮と皇貴妃

皇后は後宮の最高位だったが、皇帝の在位中に常に皇后が存在したわけではない。
皇后が死去したり廃されたりした後、皇帝が新しい皇后を立てない場合もあった

その場合、最高位の妃嬪が後宮で重要な位置を占めることになる。
特に代の皇貴妃は皇后に次ぐ高位であり、皇后不在時には後宮の最上位となることがあった。

の乾隆帝は二人目の皇后である那拉氏が事実上失脚した後、新たな皇后を冊立しなかった。
その後、令貴妃だった魏佳氏が皇貴妃へ進み、後宮で最も高い地位に置かれた。

ただし皇貴妃と皇后は同一ではない。
皇后には皇帝の正妻として特別な儀礼的・制度的地位があり、
皇貴妃が後宮の最高位になったとしても、自動的に皇后と同じ身分になったわけではなかった。

皇帝の死後、妃嬪はどうなったのか

皇帝の死は、その後宮に属していた女性たちの生活も大きく変えた。

新皇帝の生母であれば皇太后となり、次代の宮廷で非常に高い地位を得る可能性があった。
皇帝が幼少で即位した場合には、皇太后が摂政や政治的意思決定に関与することもあり、
後宮にいた女性が皇帝の死後に初めて大きな政治的影響力を持つ例もある。

一方、先帝の妃嬪で皇帝の生母ではない女性たちは、新皇帝の後宮とは区別された。
王朝や時代によって処遇は異なるが、先帝の妃として宮中で余生を送る者もいれば、
宮廷を離れたり出家したりする例もあった。

さらに古い時代には、君主の死後に后妃や宮人を殉葬させることもあった
秦の始皇帝が死去した際には、
二世皇帝胡亥が子を持たない先帝の後宮女性を殉死させたことを『史記』が伝えている。
初にも妃嬪の殉葬が行われたが、英宗の遺命によって廃止された。

後宮に入った女性の運命は、仕えた皇帝の死によって終わるのではなく、
その女性が皇子を持っていたか、どの身分にあったか、
次の皇帝とどのような関係にあったかによって大きく分かれた。

妃嬪はどこまで政治に関わったのか

中国王朝では、皇帝が政務を行う外朝と皇帝一家が暮らす後宮は理念上区別され、
后妃が公然と政治に介入することは望ましいものとはされなかった。
しかし、皇帝に最も近い場所で生活する妃嬪を政治から完全に切り離すこともできなかった。

妃嬪が皇帝に直接意見を述べることもあれば、皇子の生母として皇位継承に関係することもあり、
その親族が外戚として朝廷に進出する場合もあった。
とりわけ後継者問題が発生すると、
後宮内部の人間関係が外朝の官僚を巻き込んだ政治問題へ発展することがあった。

一方、中国の正史では王朝の衰退や皇帝の失政を説明する際、
皇帝が女性に惑わされたという構図が用いられることも多い。
北斉後主高緯馮小怜南朝陳後主陳叔宝張麗華玄宗の楊貴妃などは、
後世に王朝の混乱や滅亡と強く結びつけられてきた女性である。
しかし、国家の軍事・財政・政治制度が抱えた問題まで妃嬪個人に帰すことはできない。

妃嬪は皇帝の後宮を構成する制度上の存在であると同時に、
皇子の母、外戚を生み出す婚姻の当事者、
時には皇位継承をめぐる政治の一角を占める存在でもあった。
その立場は王朝や時代、皇帝との関係によって大きく異なり、
「寵愛された女性」という一面だけでは捉えきれない。

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