北斉とは?高氏家系図と狂王朝の実態

家系図
 

南北朝時代の北朝の国。首都は鄴(ぎょう)。
春秋戦国時代の斉や南朝の斉などと区別するために「北斉」、
又は帝室の姓を冠し「高斉」と呼ぶ。

魏晋南北朝は、王朝の分裂・推移が激しいため、以下略図にて補足する。

魏晋南北朝。王朝の分裂・推移図
王朝の分裂・推移図

北斉:略家系図

北斉高氏家系図(高歓から後主までの血統と皇位継承)
北斉高氏家系図

北斉(550–577):皇帝一覧

   廟号 諡号名前(諱)生年-没年
(没年齢)
在位ー退位
(年齢)
  在位期間 
 文宣帝 高洋こう・よう529-559
(30歳)
550ー559
(21歳ー30歳)
9年
廃帝高殷こう・いん545-561
(16歳)
559ー560
(14歳ー15歳)
約1年
孝昭帝高演こう・えん535-561
(26歳)
560ー561
(25歳ー26歳)
約2年
武成帝高湛こう・たん537-569
(32歳)
561ー565
(24歳ー28歳)
4年
後主高緯こう・い556-577
(21歳)
565ー577
(9歳ー21歳)
12年
幼主高恒こう・こう570-578
(8歳)
577ー577
(7歳ー7歳)
数か月

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建国の礎

北斉は実質的には、高歓の軍閥から始まる。

北魏末の大乱「六鎮の乱」から頭角を現し、東魏の実権を掌握。
元善見(孝静帝)を擁立し、鄴を都とする東魏政権を樹立した。

嫡男の高澄が邸宅の厨房で働く奴隷の蘭京らによって暗殺されたため、
次男の 高洋が元善見(孝静帝)に禅譲を迫って帝位に即き、北斉を建てた。

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①文宣帝 高洋|奇行が多く“狂帝”と評される

北斉のイメージを決定づけた人物。
前半は英明・果断、後半は酒色に溺れた暴君という、極端な二面性が特徴。

 ・初期は有能
   ~徴税の維持
   ~農業基盤の継続
   ~地方統治の機能維持
   ~富国強兵、勢力範囲拡大など
 ・後期は酒乱・暴虐・粛清・奢侈
     ~処刑道具を常備
   ~宮殿の庭に死刑囚用の檻を作り、戯れで殺す
   ~死刑囚を高所から飛び下りさせ、その転落死を見て楽しむ
   ~寵妃を殺しその遺骨を使って琵琶を作らせる
   ~大量殺戮(漢族や、北魏の旧皇族末裔や北魏時代の高官ら)

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②廃帝 高殷|幸か不幸か、父 文宣帝に似ず

 ・聡明で漢家の学問に通じた。
 ・父の①文宣帝には自分に似ていないとして疎まれた。
 ・父の①文宣帝が高殷に手ずから囚人を斬らせようとしたが、
  高殷は難色を示して斬らなかった。このことに激怒した①文宣帝が高殷を鞭打つと、
  高殷は吃音となり、精神にも障害を負った。
 ・即位時まだ若く、文宣帝時代から重用されていた有力官僚 楊愔らによる補政体制。

③孝昭帝 高演|文宣帝に託された高殷を殺害

 ・②廃帝 高殷を支える官僚勢力と皇族勢力の対立。
  弟 高湛と共に政変を起こし、②廃帝 高殷を済南王へ降格したうえで自ら皇帝に即位する。
 ・前代までの弛緩した朝政の建て直しに尽力。
  『北史』にはその治世について「内外粛然」と記されている。
   ~過去の処罰や人事を見直し、
    不当に処遇されたとみなされた者の名誉回復や赦免
   ~官僚機構の再整備、朝廷秩序の回復
   ~人材を広く求める
   ~過度な浪費を好ず、民衆に対しては税賦の軽減を図る
   ~庫莫奚への親征を行う
 ・①文宣帝から死の間際、
  「息子の高殷から帝位簒奪するのは仕方ないが、命は奪わないでくれ」
  と言い残されたが、殺害した。
 ・のちに母の婁昭君は、孫の②高殷が息子の③孝昭帝によって殺害されたことを知ると、
  ③孝昭帝を強く非難した。
 ・狩猟中の落馬により重傷を負ったことが原因で崩御。享年27。在位は約2年。

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④武成帝 高湛|孝昭帝に託された高百年を殺害

 ・容姿端麗な美男子として名高く、若い頃は聡明で穏やかな人物と評された。
 ・③孝昭帝の臨終の際、後継者に指名された。
 ・即位後は奢侈と享楽に溺れ、和士開を重用して政治を腐敗させた。
 ・治世前半は北斉最盛期の一時代として位置付けられているが、
  ①文宣帝③孝昭帝時代から築かれていた国力と、
  有能な重臣たちによって支えられていた面が大きい。
 ・宮殿の造営や盛大な遊宴を好み、民衆へ重い租税や労役を課した。
 ・皇后は、後世には「淫乱皇后」「亡国の妖婦」として語られることが多い胡皇后
 ・③孝昭帝の臨終の際に託された子 高百年を殺害。
 ・④武成帝の残虐な一面を示す事件として知られるのが、
  ③孝昭帝皇后 李祖娥に対する事件。
 ・29歳の若さで皇位を嫡子の⑤後主 高緯へ譲った。
  退位後も太上皇として引き続き実権を握った。

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⑤後主 高緯|「無愁天子」という異名を持つ

 ・④武成帝胡皇后の嫡子。
 ・文化事業には一定の関心を示し、文林館を設立して学者や文人を集めた。
 ・乳母の陸令萱、和士開・高阿那肱・穆提婆など奸臣を信任して国力を衰退させた。
   ~斛律光を粛清し、蘭陵王高長恭を自殺に追い込み、軍事力衰退
 ・遊興や後宮生活に没頭。    
   ~寵愛する馮淑妃とともに戦況を見物しようとして攻撃を中断させた、
    馮淑妃の化粧が終わるのを待っていたため戦機を逸した、などの逸話あり。
 ・国家の危機が迫る中でも憂いのない様子から「無愁天子」という異名がある。
 ・北周武帝宇文邕による侵攻を防ぐことができず、
  ⑥幼主 高恒への譲位を経て577年に北斉は滅亡した。
  皇帝を退いた後も逃亡を続けたが捕らえられ、のちに処刑された。享年22。

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⑥幼主 高恒|滅亡皇帝

 ・577年、北周軍の侵攻によって北斉の滅亡が目前に迫る中、8歳前後で皇位を譲位された。
  後世には、⑤後主 高緯の責任回避や縁起担ぎの意味合いがあったとも指摘されている。
 ・⑥幼主 高恒は⑤後主 高緯と共に逃げ回ったが捕らえられ、北周へ連行された。
  その後、父の⑤後主 高緯ら旧北斉皇族とともに処刑された。

王朝らしさ:

「暴虐傾向・酒色や美女に溺れる → 皇族同士の粛清合戦」

キーワード

北斉はとにかく身内殺しが多い。

 ・兄弟同士で殺害
 ・甥を廃して殺害
 ・皇族大量粛清
 ・宮廷内恐怖政治

空気感

 ・短命皇帝が連続。
 ・苛烈、残虐な性格な人物も多い。
 ・美形の人物も多く、退廃的で享楽的。

物語性

 ・宮廷の倫理崩壊(胡皇后馮小憐
 ・名将の粛清による自滅(斛律光蘭陵王高長恭

崩壊パターン

 「北周武帝に滅ぼされる」 

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