三国・晋

031.皇帝

【魏】曹叡|軍略に秀でながら奢侈と後継問題を残した魏の明帝

曹叡(そうえい)は曹丕と甄宓の子で、魏の第2代皇帝・明帝として即位した。諸葛亮による北伐への対応、司馬懿の起用と公孫淵討伐による遼東平定、孫権との攻防、洛陽での大規模な宮殿造営、実子を相次いで失った後継者問題と養子・曹芳への皇位継承まで、正史『三国志』をもとにその治世・功績・人物像と39歳で迎えた最期を詳しく解説する。
031.皇帝

【魏】曹丕|曹操の後継者から魏の初代皇帝へ

曹丕(そうひ)は曹操の後継者として魏王を継ぎ、後漢の献帝から禅譲を受けて魏を建国した初代皇帝・文帝である。曹植との後継者争い、献帝からの禅譲、皇帝としての政治、九品中正制、甄夫人・郭女王との関係、文学者としての評価まで、その生涯と人物像を詳しく解説する。
01.皇后

【魏】曹節|曹操の娘として生まれ、後漢最後の皇后となった女性

曹節(そうせつ)は曹操の娘で、後漢最後の皇帝・献帝の皇后となった女性である。姉妹の曹憲・曹華とともに献帝の後宮へ入り、伏皇后の死後に皇后となった。曹丕への禅譲で璽綬の引き渡しを拒んだ『後漢書』の逸話から、山陽公夫人となった晩年、死後の献帝との合葬までを紹介する。
05.才女

【魏】辛憲英|三国時代を代表する才女と高平陵の変を見抜いた女性

辛憲英(しん けんえい)は、三国時代の魏で活躍した才女である。高平陵の変での助言、鍾会の野心を見抜いた逸話、羊祜との関係、質素倹約の人物像などを、正史『三国志』『晋書』をもとに詳しく解説する。
01.皇后

【魏】郭女王|曹丕を支えた魏初代皇后と甄夫人との確執

郭女王(郭皇后)は曹丕の寵愛を受け、魏の初代皇后となった女性である。没落した家から皇后へ上った生涯、甄夫人の賜死への関与説、曹叡との複雑な関係、子のない皇后としての立場、曹丕死後の皇太后時代と最期まで、『三国志』をもとに悪女説と史実の違いを詳しく解説する。
05.才女

【呉】趙夫人|孫権に仕え「呉の三絶」で名を残した伝説の才女

趙夫人(ちょうふじん)は、三国時代の呉で孫権に仕え、絵画・刺繍・機織りに類まれな才能を発揮した女性。「呉の三絶」と称された機絶・針絶・絲絶の技、山川や軍陣を刺繍で描いた地図、風を通す不思議な幔幕の逸話から、孫権の寵愛を受けながらも後宮の中傷によって失脚した生涯までをたどる。
01.皇后

【魏】卞夫人(武宣皇后)|曹操の正室・曹丕や曹植らの母となった賢后の生涯

卞夫人(べんふじん/武宣皇后)は、曹操の妻であり、曹丕・曹植らの母として魏建国を支えた女性である。歌妓時代、丁夫人との関係、質素倹約の逸話、曹洪助命事件、人物像まで史実ベースで詳しく解説する。
01.皇后

【呉】呉夫人|孫策・孫権の母となった孫堅の妻・武烈皇后

呉夫人(ごふじん)は、後漢末期の武将・孫堅の正妻で、孫策・孫権・孫翊・孫匡の母。呉郡の出身で、孫堅との結婚を一族に反対されながらも自ら縁談を受け入れた。夫の戦死後は孫氏一族を支え、孫策が処刑しようとした魏騰を救い、孫権には王晟の助命を求めた。孫策と曹操の人質問題にも関わり、202年に死去。孫権の皇帝即位後、武烈皇后に追尊されるまでの生涯をたどる。
01.皇后

【西晋】賈南風|司馬遹廃殺による「八王の乱」の引き金

賈南風(かなんぷう)は賈充の娘で、西晋恵帝・司馬衷の皇后として朝廷の実権を握った。楊駿一族の粛清、司馬亮・司馬瑋をめぐる政変、張華らを登用した賈氏政権、皇太子司馬遹の廃位と殺害、趙王司馬倫の政変による失脚と賜死、八王の乱へ至る政治過程まで、『晋書』『資治通鑑』をもとに生涯を詳しく解説する。
05.才女

【蜀】黄月英|諸葛亮を支えた才女と“知性の良妻”

黄月英(こうげつえい)は、三国時代の蜀漢の軍師・諸葛亮の妻として知られる女性。黄承彦の娘として諸葛亮に嫁いだ経緯や、「醜女」と呼ばれた容姿の逸話、荊州の名士一族とのつながり、木牛流馬の発明や木偶人形にまつわる伝説、諸葛亮との夫婦関係を通じて、史書に残る姿と後世に形成された才女像をたどる。