安徳公主|北魏皇族が見た王朝崩壊の狂気

北魏の皇女・安徳公主 03.公主

安徳公主(あんとくこうしゅ)は、北魏皇族の女性であり、
王朝が崩壊して東魏・
北斉へと続く激動の時代を生きた公主である。

彼女北魏宗室・清河として生まれ、皇族女性として宮廷た。
しかし北魏末期なると、皇帝宗族女性関係乱れるなど宮廷秩序崩れていく。

さらに北魏が崩壊し北斉の時代になると、
暴君として知られる皇帝の狂気に巻き込まれ、
公主でありながら宮廷で屈辱的な扱いを受けたという記録が残されている。

安徳公主人生は、
北魏から北斉続く北朝王朝混乱退廃象徴するものとしている。

北魏皇族として生まれる

安徳公主は、北魏皇族である清河王元懌の娘として生まれた。
(皇帝の娘ではないが、公主の号を与えられた皇族女性)

北魏皇族は「元」名乗り、彼女また皇帝一族属する女性た。
また彼女は、のち東魏皇帝なる見(帝)叔母にあたる人物でもある。

皇帝と宗族女性の乱れた関係

北魏末期、宮廷では皇族社会秩序大きく乱れていた。

皇帝・武帝(脩)は、自分従妹にあたる皇族女性たち
愛妾として宮廷記録いる。

その
 ・
平原公主 元明月  
 ・
安徳公主
 ・
蒺藜
ある。
彼女たち宮廷宴席れ、詠むなど皇帝近侍した記録いる。

しかしこの関係は、皇族倫理から非常問題あるものた。

↓↓北魏皇族・元明月についての個別記事は、こちら

元明月|北魏末の宮廷スキャンダルと王朝崩壊の公主
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北魏の崩壊

534年、北魏政治完全崩壊する。

武帝 高歓対立れ、洛陽脱出西逃亡した。

このとき皇帝愛妾から元明月だけ連れ行き、他の女性たち置き去りした。
その結果、もう一人従妹ある蒺藜絶望自殺したという。

安徳公主生き延びが、
北魏王朝この後「東魏」「西魏」分裂することになる。

↓↓南北朝後期の二大権力者の一人 についての個別記事は、こちら

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北斉宮廷の狂気

文宣帝の暴政

その後、北魏後継国家一つあるでは文宣帝(洋)皇帝た。

文宣次第に狂気じみ行動取るようなり、
宮廷女性たち残酷扱い史書いる。

↓↓初期は有能・晩年狂気の 高洋 についての個別記事は、こちら

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公主への公開凌辱

史書によると、文宣帝は宮廷で高氏の女性、元氏の公主などを集め、
群臣の眼前で公開凌辱させたという。

このとき安徳公主れ、兵士によって侮辱れるなど、
極めて屈辱扱い受け記録いる。

この事件は、北斉宮廷退廃暴政象徴するものとしている。

その後の記録

仏像造立の銘文

安徳公主晩年について、史書記録ほとんどってない。

しかし東魏興和四年(542年)に、
安徳公主ために、釈迦造立したという銘文いる。

この銘文によって、少なくともこの時期まで彼女生きていこと確認いる。

まとめ

安徳公主は、王朝崩壊という激動の時代に生き、
北魏皇族の公主でありながら、北斉宮廷の暴政の被害者となった公主である。

彼女人生は、北魏から北斉続く北朝王朝崩壊退廃出しいる。

史書・参考文献

・『書』列伝
・『史』列伝
・『資治通鑑』
北朝関連史料

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