隋唐

031.皇帝

【隋】楊堅|中国を再統一した隋の文帝の生涯と功績

楊堅(ようけん/文帝)は北周の外戚から実権を握り、581年に隋を建国した初代皇帝である。尉遅迥らの反乱を鎮圧し、大興城を造営して官制・律令・税制・軍制を整備。589年には楊広らを南朝陳へ送り、長く続いた南北分裂を終わらせた。開皇の治と突厥政策、独孤伽羅との関係、楊勇を廃して楊広を皇太子とした後継問題まで詳しく解説する。
037.宦官

【唐】高力士|唐玄宗に仕え続けた宦官の生涯と権力

高力士(こうりきし)は唐玄宗の即位前から最側近として仕え、開元の治を支えた宦官である。安史の乱では玄宗に最後まで同行し、禁軍反乱の収拾のため楊貴妃を縊死させた。乱後は宦官・李輔国により流罪となり、762年に広州で病死した。忠義と権勢を併せ持つ唐代最大の宦官として知られる。
037.宦官

【唐】李輔国|粛宗を支え大きな権力を握った唐代の宦官

李輔国(りほこく)は安史の乱で太子李亨に従い、霊武での粛宗即位を支えた唐の宦官である。粛宗の信任を得て禁軍と朝政を掌握し、玄宗を西内へ移して影響力を排除。張皇后を倒して代宗擁立にも関与し、宦官として異例の中書令・尚父に上った。程元振との関係、専権、代宗による失脚と暗殺まで詳しく解説する。
037.宦官

【唐】程元振|李輔国に代わって禁軍を掌握した唐代の宦官

程元振(ていげんしん)は唐代宗の即位を支え、李輔国失脚後に禁軍を掌握した宦官である。来瑱を讒言して死に追いやり、僕固懐恩とも対立して権勢を拡大したが、吐蕃侵攻への対応を誤り763年に長安が陥落。代宗の陝州避難を招いた責任を問われて失脚し、流刑を命じられた後の最期まで詳しく解説する。
01.皇后

【唐】王皇后|武則天に敗れた皇后の宮廷悲劇

王皇后(おうこうごう)は唐高宗・李治の正妻から皇后となった女性である。子がないまま蕭淑妃と寵愛を争い、対抗するため武則天を後宮へ迎えたと伝わるが、やがて武則天と対立。皇女死亡事件や厭勝事件、長孫無忌ら元老の反対を経て廃后となり、蕭淑妃とともに殺害された。その生涯と武則天台頭の経緯を史書から詳しく解説する。
05.才女

【唐】上官婉児|罪人の孫娘から「女宰相」へ、武則天と中宗に仕えた才女

上官婉児(じょうかんえんじ)は祖父・上官儀の処刑で母とともに掖庭へ入り、武則天に才能を認められ詔勅を担った唐代の才女である。中宗復位後は昭容となり、韋皇后・武三思・太平公主らが争う宮廷政治に関与。詩壇や修文館にも影響を与えたが、710年の唐隆政変で李隆基に処刑された。墓誌から判明した実像まで詳しく解説する。
03.公主

【唐】高陽公主|僧侶との密通と房遺愛謀反事件で破滅した李世民の娘

高陽公主(こうようこうしゅ)は唐太宗・李世民の娘で、宰相・房玄齢の子である房遺愛に嫁いだ皇女である。僧・辯機との密通と太宗による処刑、父帝との対立、房遺愛らが関与した謀反事件、653年に賜死された最期まで、『旧唐書』『新唐書』『資治通鑑』をもとにその生涯と事件の実像を詳しく解説する。
05.才女

【唐】薛濤・魚玄機・李冶|唐代「才色兼備」を象徴する三大女詩人

唐代三大女詩人と称される魚玄機・薛濤・李冶とはどんな女性だったのか。女道士となり恋愛詩を残した魚玄機、成都で多くの文人と交流し「薛濤箋」でも知られる薛濤、詩才を認められ宮廷にも召された李冶。三人の波乱に富んだ生涯、恋愛や文人との交流、代表的な詩と後世の評価を比較しながら詳しく解説する。
03.公主

【唐】太平公主|武則天の娘から玄宗最大の政敵へ 唐王朝を揺るがした皇女の生涯

太平公主(たいへいこうしゅ)は高宗と武則天の娘で、唐の皇女として朝廷に大きな権力を持った。薛紹・武攸曁との結婚を経て政治に関与し、中宗死後は李隆基と協力して韋皇后・安楽公主を排除。睿宗朝で勢力を拡大した後、皇太子李隆基と対立し、玄宗即位後の先天政変に敗れて賜死された。その生涯と武則天以後の皇位継承争いを詳しく解説する。
03.公主

【唐】安楽公主|皇太女を望んだ中宗最愛の傲慢公主

安楽公主(あんらくこうしゅ)は唐中宗・李顕と韋皇后の娘で、両親の房州流謫中に生まれた皇女である。中宗復位後は武崇訓・武延秀との婚姻を背景に権勢を振るい、自らを皇太女にするよう要求。李重俊の反乱、中宗急死と毒殺説、母・韋皇后や上官婉児との関係、710年の唐隆政変で李隆基側に殺害されるまでを詳しく解説する。