王昭君|匈奴に嫁いだ中国四大美女の生涯と和親政策

王昭君(前漢・四大美女) 04.美女

王昭君(おうしょうくん)は前漢の元帝(げんてい/劉奭)の後宮に仕えた宮女で、
から匈奴(きょうど)へ嫁いだ“和親(わしん)”の象徴として知られる実在の女性である。

彼女は中国四大美女の一人にも数えられ、
その名は西施貂蝉楊貴妃と並び、千年以上にわたって語り継がれてきた。

後世、王昭君は「落雁(らくがん)美人」と称され、
異民族の地へ旅立つ「昭君出塞(しょうくんしゅっさい)」の物語と結びつき、
悲しみを帯びた気品ある美女として文学・絵画の題材となった。

本記事では、王昭君の史実、匈奴との和親政策、後世文学による神話化、四大美人伝説、青塚伝承、
日本文学への影響までを詳しく解説する。

王昭君の出自と前漢後期の時代背景

王昭君は紀元前51年頃、荊州南郡秭帰県、現在の湖北省興山県付近に生まれたとされる。
名は檣、あるいは嬙とも伝えられ、字を昭君という。
西晋成立後、司馬昭の「昭」を避ける避諱によって王明君・明妃ともいう。

当時の前漢王朝は武帝時代の大規模遠征によって国力を消耗した後であり、
対匈奴政策も大きな転換期を迎えていた。

前漢王朝にとって、匈奴は建国以来最大の対外問題だった。
特に冒頓単于の時代に急速に強大化し、北方騎馬国家としてと長年対立を続けていた。

しかし武帝による大規模遠征以後、匈奴内部では分裂と弱体化が進行する。
やがて匈奴は内紛状態へ入り、その中で呼韓邪単于は前漢との友好関係を選択するようになった。

王昭君が歴史へ登場する背景には、この「と匈奴の和親政策」が存在している。

後宮入りした王昭君

王昭君は美貌によって後宮へ召し出されたと伝えられる。

ただし、前漢後宮には多数の宮女が存在しており、王昭君もその一人だったと考えられている。
『後漢書』や『琴操』など後世資料では、
王昭君は後宮へ入ったものの長く元帝の寵愛を受けられなかったとされる。

ここから後世有名になる「似顔絵師への賄賂」伝説が形成されていく。

もっとも、この時点ではまだ単なる後宮女性の一人であり、
後世のような「四大美女」扱いではなかった。

呼韓邪単于の入朝と和親政策

紀元前33年、匈奴の呼韓邪単于が前漢へ入朝した。

当時の匈奴は内部抗争と分裂によって弱体化しており、
呼韓邪単于は漢の支援を受けながら勢力維持を図っていた。

そのため彼は前漢へ臣従姿勢を示し、
さらに「漢家の婿」となることで両国関係を安定させようとしたのである。

これは初期の屈辱的和親とは異なり、武帝以後の優位体制を背景にした外交関係だった。
元帝はこれを受け入れ、後宮の宮女の中から呼韓邪単于へ嫁ぐ女性を選ぶこととなった。

そして選ばれたのが王昭君だった。

王昭君の北行

『漢書』によれば、王昭君は呼韓邪単于へ嫁ぎ、「寧胡閼氏」と号した。
「閼氏」は匈奴における王妃称号である。

王昭君は匈奴へ赴いた後、一男を産む。
この子は伊屠智牙師と呼ばれ、後に右日逐王となった。

この時代、中国農耕社会と北方遊牧社会は文化・言語・生活習慣が大きく異なっていた。
そのため、後世文学では王昭君の「異郷への旅立ち」が非常に強調されるようになる。

特に、

・漢宮を離れる美女
・北方へ去る孤独
・故国への望郷
・異民族世界への不安

といった感情は、後世詩人たちに繰り返し描かれる主題となった。

呼韓邪単于の死と再婚

やがて呼韓邪単于は死去する。

王昭君は匈奴の習俗に従い、次代単于である復株累若鞮単于へ再嫁した。
『後漢書』では、王昭君がへの帰国を望んだものの、
成帝から「胡俗に従え」と命じられたと伝えている。

これは、先代君主の妻を後継者が継承するレビラト婚に基づくもので、
遊牧国家では珍しい慣習ではなかった。

しかし漢文化圏では強い違和感を伴う婚姻形態だったため、
後世になると王昭君は「異民族習俗の犠牲となった悲劇の女性」として語られるようになっていく。

「似顔絵師」伝説

現在もっとも有名な王昭君伝説の一つが、「似顔絵師への賄賂」である。
この話は『西京雑記』や『世説新語』などに見える。

それによれば、当時、皇帝が後宮女性を選ぶ際には肖像画が用いられたとされる。
後宮女性たちは画工に賄賂を渡し、美しく描かせることが常態化していた。
しかし王昭君だけは賄賂を贈らなかったため、画工は彼女を醜く描いた。

その結果、元帝は王昭君へ関心を持たなかった。

ところが呼韓邪単于へ嫁ぐ際、元帝は初めて王昭君本人を見て、その美貌に驚愕する。
しかし、すでに匈奴との約束は成立しており、撤回できなかった。
その後、不正が発覚すると、画工毛延寿らは処刑されたという。

もっとも、この話には疑問も多い。

当時、匈奴はにとって最重要外交相手の一つだった。
その相手へ「最も醜い女を送る」という発想自体が外交的に不自然である。
また『後漢書』や『琴操』では、むしろ王昭君自身が自ら志願したとする記述も存在する。

つまり、「画工への賄賂」説話は後世になってから形成された可能性が高い

昭君出塞と後世文学

後世、王昭君を題材とした作品の中でも特に有名となったのが、
「昭君出塞」と呼ばれる物語群である。

「出塞」とは、中国王朝世界から北方異民族の地へ赴くことを意味し、
王昭君が宮を離れて匈奴へ向かう旅立ちそのものが、一つの文学的主題として独立していった。

後世の詩文や絵画では、王昭君はしばしば馬上で琵琶を抱き、北方へ向かう姿で描かれる。
の宮殿や故郷を後にし、異国の草原へ向かう孤独な美女という構図は強い哀愁を伴っており、
王昭君像を象徴する場面として広く定着した。

「国家のため北方へ赴いた美女」「異郷で生涯を送った女性」という王昭君像は、
この「昭君出塞」の物語によって決定的に形作られていったのである。

琵琶を抱く王昭君

後世、王昭君はしばしば「馬上で琵琶を抱く美女」として描かれるようになる。

しかし、正史『漢書』には王昭君と琵琶を結びつける記述は存在しない。

このイメージは、西晋の傅玄『琵琶賦』などに見える烏孫公主伝説が
後に王昭君へ転移したものと考えられている。

それでも、「北方へ去る美女が琵琶を奏でる」という構図は極めて詩情豊かな題材だったため、
後世絵画・戯曲・詩文で盛んに描かれるようになった。

現在の王昭君像は、この文学的イメージによって大きく形成されている。

四大美人と「落雁」

後世、中国では、

西施  ― 沈魚
・王昭君 ― 落雁
貂蝉  ― 閉月
楊貴妃 ― 羞花

という「四大美女」伝説が成立した。

王昭君の「落雁」は、
「彼女の美しさに空を飛ぶ雁が見惚れ、飛ぶのを忘れて落ちた」という意味である。

もちろんこれは完全な文学表現だが、
王昭君が「異郷へ去る美女」として強い叙情性を持っていたことを示している。

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王昭君の見た目・雰囲気(後世の定番イメージ)

王昭君は「清らかで気品ある美女」として描かれるのが特徴である。
「儚い悲劇の美女」でありながら、同時に「運命に耐え、使命を果たした強い女性」でもあった。

 ・眉は遠山のように細い
 ・目は秋水のように澄む
 ・清楚で柔らかな顔立ち
 ・派手ではないが気品がある
 ・哀愁と静けさをまとった美しさ

「青塚」伝説

現在、内モンゴル自治区フフホト付近には「昭君墓」とされる史跡が存在している。

これは後世「青塚」と呼ばれるようになった。「青塚」という名称は、
「周囲が白沙白草で覆われる中、その墓だけは青い草が生えていた」という伝説に由来するとされる。
代以後、この青塚は王昭君を象徴する存在となった。

李白は、「生きては黄金を乏き枉げて図画せられ、死しては青塚を留めて人をして嗟かしむ」と詠み、
杜甫も、「一たび紫台を去りて朔漠連なり、独り青塚を留めて黄昏に向う」と詠んでいる。

以後、「青塚」は単なる墓ではなく、「異郷で生涯を終えた美女」を象徴する文学語となっていった

王昭君を巡る悲劇化

王昭君は時代が下るほど悲劇的女性として描かれるようになる。

特に五胡十六国・南北朝時代には、異民族支配下に置かれた漢族知識人たちが、
自らの境遇を王昭君へ重ね合わせたと考えられている。

そのため、

・異民族へ送られた女性
・祖国を離れた美女
・文化の異なる地で苦しむ存在
・国家犠牲となった女性

として王昭君像が発展していった。
元代の馬致遠『漢宮秋』などは、その代表例である。

日本文学への影響

王昭君物語は日本にも早くから伝わった。

『今昔物語集』には「漢前帝后王昭君行胡国語」として登場し、
『和漢朗詠集』には大江朝綱の漢詩が見える。

さらに『後拾遺和歌集』では赤染衛門が王昭君を題材にした和歌を詠み、
『源氏物語』でも須磨巻で言及されている。

つまり王昭君は、中国だけではなく、
日本文学世界でも「異郷へ去った美女」の典型として受容されていたのである。

まとめ|王昭君は「美と外交」を象徴する四大美女

王昭君は前漢時代、匈奴の呼韓邪単于へ嫁いだ女性である。
『漢書』に見える記録自体は多くないが、
後世には和親政策の象徴として極めて有名な存在となった。

彼女は匈奴で「寧胡閼氏」となり、一男二女を生んだ。
また呼韓邪単于死後には、匈奴習俗に従い復株累若鞮単于へ再嫁している。

後世になると、「似顔絵師への賄賂」「琵琶を抱いて北へ去る美女」「青塚伝説」など
多くの説話が成立し、さらに四大美女「落雁」の一人として神話化された。

王昭君は単なる美女ではない。
中国文学・歴史意識の中で、「異民族との和親」「国家犠牲」「望郷」「異郷の孤独」
を象徴する存在として長く語り継がれてきたのである。

史書・参考文献

『漢書』
『後漢書』
『西京雑記』
『世説新語』
『琴操』
『通典』
『太平寰宇記』
馬致遠『漢宮秋』
『今昔物語集』
『和漢朗詠集』
『後拾遺和歌集』
『源氏物語』
李白『王昭君二首』
杜甫『詠懐古跡五首』
井波律子『中国美女の世界』
渡邉義浩『三国志以前の中国史』

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