神策軍とは?唐後期の宦官軍事政権をわかりやすく解説(年表付き)

唐の宦官軍事支配の流れ 035.宦官

神策軍の出自

神策軍(しんさくぐん)は、王朝後期における皇帝直属の禁軍である。

神策軍はもともと吐蕃との国境防衛を担う辺境軍だったが、
安史の乱の後に長安へ移され、皇帝直属の禁軍として再編された。

その後、⑨徳宗期には十数万の兵力を持つ、禁軍の中でも最大の軍事組織となった。
783年の「奉天の難」で禁軍が反乱を起こすと、⑨徳宗は神策軍に守られて危機を脱した。
この事件を契機に皇帝は神策軍への依存を強め、その兵力は十数万にまで拡大していく。

神策軍の兵士は辺境軍の精鋭や安史の乱後の残存兵、降伏兵などで構成されており、
後には都で募兵された兵も多く含まれるようになった。

主に首都周辺に駐屯しており、つまりは、首都を軍事的に支配する軍でもあった。

 ■主な駐屯地
  長安、奉天、扶風、興平、戸県 

神策軍中尉とは

神策軍の最高司令官は「神策軍護軍中尉」と呼ばれる役職だった。
⑨徳宗期に設置されたこの役職には宦官が任命され、神策軍の軍事指揮を握ることになる。
神策軍は左軍・右軍の二つに分かれていた。
最高司令官としてその両方を統括したのが、宦官の役職である 「神策軍護軍中尉」 である。

神策軍は後期最大の中央軍であり、その兵力は十数万に達したとされる。
そのため神策軍中尉は、単なる軍の指揮官ではなく、
宮廷政治にも大きな影響力を持つ存在となった。

特に文宗期の宦官 仇士良 は神策軍中尉として強大な権力を握り、
835年の甘露の変では神策軍を動かして官僚勢力を粛清した。

このように神策軍中尉は、後期の宦官専権政治を支えた最も重要な軍事ポストの一つだった。

皇帝
│
├ 神策軍護軍中尉(最高司令官・宦官)
│   ├ 左神策軍
│   │   ├ 将軍
│   │   ├ 指揮使
│   │   └ 各部隊
│   │
│   └ 右神策軍
│       ├ 将軍
│       ├ 指揮使
│       └ 各部隊

宦官監軍制度

前期の禁軍は羽林軍・龍武軍などの南衙禁軍が中心だった。
これらは本来、将軍や貴族が指揮する軍隊であり、
宦官が直接軍事指揮を行うことはなかった。

安史の乱以降、皇帝は軍を直接統制することが難しくなり、
自分に最も近い存在である宦官を、軍を監視する役割として派遣するようになった。

これが宦官監軍制度である。

 ■主な派遣先
  ・辺境軍
  ・節度使の軍
  ・遠征軍
 ■目的
  ・皇帝の命令伝達
  ・将軍の監視
  ・軍の報告

宦官専権政治

軍を監察する宦官が派遣されるようになり、
さらに神策軍が後期最大の中央軍へと成長し、
その最高指揮官である「神策軍護軍中尉」には宦官が任命された。

こうして宦官は軍事面にも影響力を持つようになり、
後期には皇帝・宦官・官僚の三者による独特の政治構造が形成された。

この体制が、後に宦官専権政治へと発展していく。

宦官権力を形成した主要人物

この制度の中で軍事と宮廷政治に大きな影響力を持った宦官として、次の人物が知られている。

李輔国:宦官政治の始まり

⑦粛宗・⑧代宗期の宦官
安史の乱の混乱の中で権力を握った。
⑦粛宗・⑧代宗の即位に関与し、皇帝の側近として宮廷政治を主導した。

宦官が政治に深く介入する時代は、李輔国の登場から始まるとされる。

程元振:禁軍政治の拡大

⑧代宗期の宦官
禁軍の影響力を背景に政敵を排除し、宦官の政治関与をさらに強めた。

李輔国の後を継ぎ、宦官権力を拡大させた人物である。

魚朝恩:神策軍軍事宦官の先駆者

⑧代宗期の宦官
神策軍を率いて軍事行動にも関与した。
この頃から神策軍が中央軍として拡大し、
宦官が軍事力を背景に政治へ影響を与えるようになった。

仇士良:宦官専権の頂点

⑭文宗期の宦官
神策軍を掌握し、後期における宦官専権政治の象徴的存在である。

835年、⑭文宗と官僚勢力は宦官排除を狙ったクーデター「甘露の変」を起こしたが、
仇士良は神策軍を動かしてこれを鎮圧した。

この事件によって多くの官僚が粛清され、
以後のでは宦官が宮廷政治を支配する体制が決定的となった。

その後、神策軍は宦官の軍隊として末まで政治に影響を与え続ける。

神策軍中尉(主な人物)

神策軍の指揮権は「神策軍中尉」と呼ばれる宦官が握っていた。
以下は主な神策軍中尉とその時代である。

時期神策軍中尉概要
⑦代宗期魚朝恩神策軍を拡大
⑦代宗期王守澄甘露の変前夜
⑭文宗期仇士良甘露の変で専権
⑱僖宗期田令孜黄巣の乱
⑲昭宗期楊復恭養子軍団
⑲昭宗期劉季述皇帝廃立
⑲昭宗期韓全誨宦官政治の最後

神策軍体制の崩壊

神策軍は後期の中央軍として宦官権力の軍事基盤となったが、
9世紀後半の 黄巣の乱 によって大きな打撃を受けた。

神策軍も戦力を失い、政治的影響力は次第に低下していく。

903年、軍閥 朱全忠 が長安を占領した。
彼は宮廷の宦官を大量虐殺し、神策軍も解体された。

こうして神策軍と宦官政治の時代は終焉した。

唐の宦官軍事支配の流れ図 ― 安史の乱から神策軍体制の崩壊まで ―

安史の乱(755–763)
中央軍が崩壊
↓
李輔国
(粛宗・代宗期)
宦官政治の始まり
↓
程元振
(代宗期)
禁軍政治の拡大
↓
魚朝恩
(代宗期)
神策軍と軍事宦官の台頭
↓
神策軍体制の成立
宦官が禁軍を掌握
↓
仇士良
(文宗期)
甘露の変
宦官専権の頂点
↓
黄巣の乱(874–884)
神策軍が壊滅的打撃
↓
田令孜・韓全誨
(唐末)
神策軍を背景に政治支配
↓
朱全忠
宦官勢力を粛清
神策軍体制の崩壊

まとめ

神策軍は後期最大の禁軍であり、
宦官権力の軍事基盤となった軍隊だった。

その歴史を整理すると次のようになる。

1 神策軍の成立(玄宗期)
2 皇帝直属軍への変化(安史の乱)
3 宦官による指揮体制(徳宗期)
4 宦官専権の頂点(仇士良
5 末の崩壊(朱全忠)

神策軍は単なる禁軍ではなく、
後期政治を動かした軍事装置だったのである。

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