高力士|唐玄宗の最側近として栄華を極め忠義を尽くした宦官

唐の宦官 高力士 035.宦官

高力士は、玄宗(李隆基)の即位前から側近として仕え、
代で最も権勢をふるった宦官として知られる。

玄宗の信頼は絶大で、政治・軍事・宮中の全てに関わり、
「高力士がいるから安心して眠れる」とまで言われた。

一方で、安史の乱では玄宗に最後まで付き従い、
楊貴妃を縊死させるという悲劇的な役割も担った。

乱後は宦官李輔国により失脚し、流刑地で病死した。

出自:武則天の時代に宮廷へ

もとの姓は馮。
に降伏し、耿国公に封じられた末の群雄の馮盎の曾孫。祖父は潘州刺史の馮智玳。

698年、少年時代に去勢しており、「力士」と名付けられた上で、
嶺南安撫討撃使の李千里(呉王李恪の長男)により武則天に献上される。
聡明さと容貌の良さから給事として側に置かれた。

その後、過失で追放されるが、宦官・高延福の養子となり、 以降は高姓を名乗る。

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玄宗との出会い:皇子時代からの“影の相棒”

その後、皇子時代の李隆基(後の玄宗)と結び、恩顧をもって接した。

韋后討伐(710年)で活躍

710年、李隆基が韋后安楽公主を排除するクーデターを起こした際、
高力士は宮中内部から協力。

この功績で内給事に任命される。

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太平公主粛清(713年)でも重要な役割

玄宗即位後、太平公主派を排除する政変でも活躍し、
右監門衛将軍・知内侍省事へ昇進。

ここから高力士の権勢は一気に拡大する。
内外の様々なことを任され、高力士を含めた宦官の権勢は大きなものとなった。

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玄宗の最側近としての全盛期

宮中の全てを取り仕切る“影の宰相”

開元年間、高力士は

 ・上奏文の取次ぎ
 ・詔勅の伝達
 ・宮中の警備
 ・皇帝の私事の相談役

を一手に担い、 玄宗の生活と政治の両面を支える存在となった。

玄宗は「高力士がいるからこそ安心して眠れる」 と語ったと伝わる。

政治にも深く関与:太子問題への介入

・傲慢な王毛仲の排除を玄宗に進言。王毛仲は左遷され、その上で自殺を命じられた。
・宇文融・李林甫・李適之・蓋嘉運・韋堅・楊慎矜・王鉷・楊国忠・安禄山・安思順・高仙芝
 は、高力士と結んだことにより才覚が認められ、高位に抜擢された。
・武恵妃の子(李瑁)を太子にしようとする動きを止め、李瑛(のちの粛宗)を推挙
・王銲と邢縡がに対して謀反を図った際は、禁軍400人を率い、邢縡を斬った。

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安史の乱:玄宗と共に都落ちし、楊貴妃を縊死させる

玄宗に最後まで付き従う

755年、安禄山が反乱を起こすと、 玄宗は長安を脱出して蜀(成都)へ逃亡。
高力士はこの逃避行に最期まで同行した忠臣であった。

馬嵬坡の悲劇

逃亡の途中、軍隊は馬嵬坡(ばかいは)で停止する。
兵士たちは

 ・楊氏一族の腐敗
 ・政治混乱の原因

を理由に怒りを爆発させ、その結果、楊貴妃の処刑が要求された。

玄宗は涙ながらに高力士へ命じ、
高力士は楊貴妃を縊死させたと伝えられている。

この出来事は史でも最も有名な悲劇の一つである。

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乱後の失脚:李輔国により流罪へ

玄宗は太上皇に、粛宗(李亨)が即位

長安奪還後、玄宗は退位して太上皇となり、 粛宗(李亨)が皇帝となる。

宦官・李輔国の台頭

粛宗の側近となった宦官李輔国は、
玄宗の側近である高力士を危険視し、 巫州(湖南)への流罪を命じた。

流刑先で亡くなったが、その後、揚州大都督を追贈され、玄宗の泰陵に陪葬された。

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高力士の有名な逸話

高力士にはいくつか有名な逸話がある。

の大詩人・李白が宮廷で詩を作った際、
酒に酔っていた李白は、高力士に靴を脱がせたという話がある。
このため、李白は官職を得られなかったと言われる。

有名な逸話だが、史実かどうかは不明。

高力士の評価

高力士は王朝の宦官の中でも

 ・有能な側近
 ・忠義の宦官

として比較的高い評価を受けている。

しかし同時に、
楊貴妃の処刑に関与した人物としても歴史に名を残した。

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