01.皇后

【唐】王皇后|武則天に敗れた皇后の宮廷悲劇

王皇后(おうこうごう)は唐高宗・李治の正妻から皇后となった女性である。子がないまま蕭淑妃と寵愛を争い、対抗するため武則天を後宮へ迎えたと伝わるが、やがて武則天と対立。皇女死亡事件や厭勝事件、長孫無忌ら元老の反対を経て廃后となり、蕭淑妃とともに殺害された。その生涯と武則天台頭の経緯を史書から詳しく解説する。
02.妃賓

【南朝陳】張麗華|『玉樹後庭花』に象徴された傾国の美女

張麗華(ちょうれいか)は南朝陳の後主・陳叔宝に寵愛された貴妃である。侍女から後宮で地位を高め、聡明さと優れた記憶力で政務にも影響したと史書に記される。589年に隋軍が建康を攻略すると陳叔宝・孔貴嬪と井戸へ隠れて捕らえられ、のち処刑された。二人の皇子、政治への関与、後世の「傾国の美女」像まで詳しく解説する。
05.才女

【呉】趙夫人|孫権に仕え「呉の三絶」で名を残した伝説の才女

趙夫人(ちょうふじん)は、三国時代の呉で孫権に仕え、絵画・刺繍・機織りに類まれな才能を発揮した女性。「呉の三絶」と称された機絶・針絶・絲絶の技、山川や軍陣を刺繍で描いた地図、風を通す不思議な幔幕の逸話から、孫権の寵愛を受けながらも後宮の中傷によって失脚した生涯までをたどる。
01.皇后

【北魏】馮太后|北魏の実権を握った文明太后の生涯と孝文帝改革

馮太后(ふうたいごう)は、北魏の文成帝の皇后となり、献文帝・孝文帝の二代にわたって実権を握った文明太后。乙渾の排除、寵臣李奕をめぐる献文帝との対立と毒殺疑惑、李訢らの粛清、孝文帝の養育と摂政政治、俸禄制・均田制・三長制の導入など、宮廷の権力闘争と北魏の国家体制を変えた改革、晩年までの生涯を紹介する。
03.公主

【呉】孫魯班|二宮事件を主導した呉最大の権力者・全公主の生涯

孫魯班(そんろはん/全公主)は孫権と歩練師の長女であり、二宮事件で孫覇派の中心人物として活動した呉の公主である。周循・全琮との結婚、王夫人への讒言、孫和失脚工作、孫魯育誅殺、孫亮政権での権勢、失脚とその後までを史実をもとに詳しく解説する。
01.皇后

【北斉】胡皇后|武成帝高湛の皇后で後主高緯の母、放縦と権力の象徴

胡皇后(ここうごう)は、北斉の武成帝・高湛の皇后で、後主・高緯の母。夫の寵臣・和士開との密通、武成帝死後の僧侶・曇献との関係、昭玄統への登用、高緯による幽閉など、正史には数々の醜聞が残る。皇后から皇太后となって北斉後期の宮廷政治にも関わった生涯、北斉滅亡後の足取り、「皇后より娼婦の方が楽しい」という逸話の真偽まで、「淫后」と呼ばれた胡皇后の実像を『北斉書』『北史』からたどる。
05.才女

陶母とは?陶侃を育てた賢母と倹約・教育の逸話

陶母(とうぼ)とは東晋の名臣・陶侃を育てた母で、倹約と厳しい教育で子を導いた賢母として知られる。本記事ではその生涯や逸話、教育方針をわかりやすく解説。
05.才女

孟母(孟子の母)|孟子を育てた賢母と孟母三遷・断機の教え徴

孟母(もうぼ)とは儒家思想家・孟子を育てた母で、「孟母三遷」や「断機の教え」で知られる賢母である。本記事ではその生涯や教育方針、逸話をわかりやすく解説し、理想の母像に迫る。
05.才女

【北宋】欧陽母|欧陽脩を育てた「画荻教子」と鄭氏の生涯

欧陽母(おうようぼ/鄭氏)は北宋の文人・欧陽脩の母で、「画荻教子」で知られる女性である。夫・欧陽観を早くに失い、幼い欧陽脩を連れて随州の欧陽曄を頼り、紙や筆にも乏しい生活の中で葦の茎を使って文字を教えた。亡夫の廉潔な人柄を息子に語った逸話、欧陽脩の成長と官僚人生を支えた教育、後世に形成された賢母像まで詳しく解説する。
05.才女

許穆夫人|『詩経』に名を残した春秋時代の女性詩人

許穆夫人(きょぼくふじん)とは『詩経』に作品が残る中国最古の女性詩人である。祖国・衛の危機に際して詩を通じて思いを訴えた愛国の人物。その生涯や詩の特徴、時代背景をわかりやすく解説。