037.宦官

【唐】程元振|李輔国に代わって禁軍を掌握した唐代の宦官

程元振(ていげんしん)は唐代宗の即位を支え、李輔国失脚後に禁軍を掌握した宦官である。来瑱を讒言して死に追いやり、僕固懐恩とも対立して権勢を拡大したが、吐蕃侵攻への対応を誤り763年に長安が陥落。代宗の陝州避難を招いた責任を問われて失脚し、流刑を命じられた後の最期まで詳しく解説する。
037.宦官

【唐】李輔国|粛宗を支え大きな権力を握った唐代の宦官

李輔国(りほこく)は安史の乱で太子李亨に従い、霊武での粛宗即位を支えた唐の宦官である。粛宗の信任を得て禁軍と朝政を掌握し、玄宗を西内へ移して影響力を排除。張皇后を倒して代宗擁立にも関与し、宦官として異例の中書令・尚父に上った。程元振との関係、専権、代宗による失脚と暗殺まで詳しく解説する。
037.宦官

【唐】高力士|唐玄宗に仕え続けた宦官の生涯と権力

高力士(こうりきし)は唐玄宗の即位前から最側近として仕え、開元の治を支えた宦官である。安史の乱では玄宗に最後まで同行し、禁軍反乱の収拾のため楊貴妃を縊死させた。乱後は宦官・李輔国により流罪となり、762年に広州で病死した。忠義と権勢を併せ持つ唐代最大の宦官として知られる。
037.宦官

【北宋】童貫|北宋末期に軍権を握った最強の宦官

童貫(どうかん)は北宋徽宗に仕え、約20年にわたり兵権に強い影響力を持った宦官である。青唐・西夏戦線で軍功を重ね、方臘の乱を鎮圧し、金との海上の盟や燕雲攻略にも関与。金軍侵攻時の太原撤退で失脚し、欽宗の命で処刑された。顎髭を持つ魁梧な容貌と「六賊」に数えられた実像まで詳しく解説する。
037.宦官

【北宋】梁師成|後世「六賊」の一人に数えられた「隠相」と呼ばれた宦官

梁師成(りょうしせい)は北宋徽宗に寵愛され、「隠相」と呼ばれるほど朝政に影響力を持った宦官である。詔勅を扱う立場を利用して権勢を拡大し、王黼らと結んで売官や収賄を重ね、後世「六賊」の一人に数えられた。宋金関係が緊迫する中、徽宗退位後に失脚し、欽宗の命で処分されるまでの生涯と北宋末政治での実像を詳しく解説する。
01.皇后

【魏】曹節|曹操の娘として生まれ、後漢最後の皇后となった女性

曹節(そうせつ)は曹操の娘で、後漢最後の皇帝・献帝の皇后となった女性である。姉妹の曹憲・曹華とともに献帝の後宮へ入り、伏皇后の死後に皇后となった。曹丕への禅譲で璽綬の引き渡しを拒んだ『後漢書』の逸話から、山陽公夫人となった晩年、死後の献帝との合葬までを紹介する。
01.皇后

【呉】呉夫人|孫策・孫権の母となった孫堅の妻・武烈皇后

呉夫人(ごふじん)は、後漢末期の武将・孫堅の正妻で、孫策・孫権・孫翊・孫匡の母。呉郡の出身で、孫堅との結婚を一族に反対されながらも自ら縁談を受け入れた。夫の戦死後は孫氏一族を支え、孫策が処刑しようとした魏騰を救い、孫権には王晟の助命を求めた。孫策と曹操の人質問題にも関わり、202年に死去。孫権の皇帝即位後、武烈皇后に追尊されるまでの生涯をたどる。
01.皇后

【魏】卞夫人(武宣皇后)|曹操の正室・曹丕や曹植らの母となった賢后の生涯

卞夫人(べんふじん/武宣皇后)は、曹操の妻であり、曹丕・曹植らの母として魏建国を支えた女性である。歌妓時代、丁夫人との関係、質素倹約の逸話、曹洪助命事件、人物像まで史実ベースで詳しく解説する。
01.皇后

【魏】郭女王|曹丕を支えた魏初代皇后と甄夫人との確執

郭女王(郭皇后)は曹丕の寵愛を受け、魏の初代皇后となった女性である。没落した家から皇后へ上った生涯、甄夫人の賜死への関与説、曹叡との複雑な関係、子のない皇后としての立場、曹丕死後の皇太后時代と最期まで、『三国志』をもとに悪女説と史実の違いを詳しく解説する。
05.才女

【魏】辛憲英|三国時代を代表する才女と高平陵の変を見抜いた女性

辛憲英(しん けんえい)は、三国時代の魏で活躍した才女である。高平陵の変での助言、鍾会の野心を見抜いた逸話、羊祜との関係、質素倹約の人物像などを、正史『三国志』『晋書』をもとに詳しく解説する。