【呉】趙夫人|孫権に仕え「呉の三絶」で名を残した伝説の才女

趙夫人(三国(呉)の芸術家) 05.才女

趙夫人(ちょうふじん)は、三国時代の呉の君主・孫権に仕えた女性で、
絵画、刺繍、機織りに優れた才能を持っていたと伝えられる。

彩糸で龍や雲霞を織り出す「機絶」、山川や城邑を刺繍で表す「針絶」、
髪と糸をつないで薄い幔幕を作る「絲絶」の三つの技は、「呉の三絶」と称された。

その逸話は『拾遺記』や『歴代名画記』に残されており、
孫権の求めに応じて地図を刺繍で制作した話や、
戦場にも持ち運べる軽い幔幕を考案した話で知られる。

一方、後宮で中傷を受けて失脚したとも伝えられ、その後の消息は明らかではない。

出自と入宮|孫権に見出された絵画と織物の才能

趙夫人の生年や本名、幼少期については詳しい記録が残されていない。
出自については、『拾遺記』巻八に「丞相達之妹」とあり、趙達の妹だったと伝えられる。
『歴代名画記』にも同様の記述が見られる。
ただし、趙達の官職や経歴については史料上の問題があり、
記述をそのまま確定した史実とみなすことには注意が必要である。

趙夫人は絵画を得意とし、彩色した糸を使って精巧な模様を織り出す技術にも優れていた。
『拾遺記』によれば、指先で彩糸を操り、雲霞や龍蛇を描いた錦を作ることができたという。

当時の織物は衣服や生活用品であるだけでなく、身分や権威を示す品でもあった。
絹織物は宮廷の儀礼や贈答にも用いられ、高度な技術を持つ職人の作品には大きな価値があった。

趙夫人が孫権のもとに迎えられたのも、こうした技芸がきっかけだったと伝えられる。

孫権は魏や蜀との対立が続くなか、山川の地形や軍隊の配置を描ける人物を求めていた。
そこで趙達が妹を推薦し、趙夫人は孫権の前でその才能を示す機会を得たという。

趙夫人は孫権の夫人として伝えられるが、
正式な入宮の時期や後宮での地位、子女の有無などは明らかではない。
『三国志』の后妃伝にも独立した伝記はなく、
その人物像は主として後世に編纂された逸話集によって知られている。

「呉の三絶」|他に並ぶ者がいないと称された三つの技

趙夫人の名を後世に残したのが、「機絶」「針絶」「絲絶」と呼ばれる三つの技芸である。
『拾遺記』は、これらを合わせて「呉の三絶」と呼び、
その精巧さは天下に比べるものがなかったと伝えている。

機絶|指先で雲霞や龍蛇を織り出す

機絶(きぜつ)は、彩色した糸を使って精巧な図柄を織り出す技術である。

『拾遺記』によれば、趙夫人は指先で彩糸を操り、雲霞や龍蛇を描いた錦を作ることができた。
その大きさは、一尺ほどのものから一寸四方ほどの小さなものまでさまざまだったという。

『歴代名画記』では、龍や鳳凰を織り出したと記されている。

趙夫人の作品は、単に布を織るだけでなく、絵画のような図柄を織物の中に表現するものだった。
人物や風景を織り込んだとする説明も見られるが、
古い記録で具体的に挙げられているのは雲霞や龍蛇、龍鳳などの図柄である。

極めて細い糸を使って複雑な模様を表現したという伝承からは、
当時の人々がその精密さに強い関心を寄せていたことがうかがえる。

また、針を使わずに織物を完成させたという話も
趙夫人の技芸を説明する際に取り上げられることがある。
ただし、『拾遺記』の機絶の記述は指先で彩糸を織ったというものであり、
針を一切使用しなかったと明記しているわけではない。

針絶|刺繍によって山川と軍陣を描く

針絶(しんぜつ)は、絹布の上に山川や城邑、軍隊の配置などを刺繍で表現した技術である。

孫権は魏と蜀をまだ平定できていないことを嘆き、軍事行動の参考となる地形図を求めていた。
趙夫人が推薦されたのは、
絵画に優れた人物ならば山川や軍陣の様子を描けると考えられたためだった。

孫権は趙夫人に、九州の山川や湖沼、名山などの地勢を描くよう命じた。

これに対して趙夫人は、絵具で描いたものは色が失われやすく、長く保存するには適さないと述べ、
刺繍による制作を申し出た。

そして四角い絹布の上に、五岳や河海、城邑、列国の地形、軍隊の陣形などを刺繍で表現し、
孫権に献上したという。

この作品が「針絶」と呼ばれた。

絵画の代わりに刺繍を用いることで、色彩や図柄を長く残そうとした点に趙夫人の工夫があった。
地形や軍陣を布の上に表現するという発想は、
芸術作品としての美しさだけでなく、実用的な目的も持っていた。

もっとも、実際にどの程度正確な地図だったのか、
軍事作戦でどのように利用されたのかについては記録がない。
現在、その作品の実物も確認されていない。

絲絶|髪と糸で作った風通しのよい幔幕

絲絶(しぜつ)は、髪と糸をつなぎ合わせ、極めて薄く軽い幔幕を作る技術である。

『拾遺記』によれば、ある夏の日、孫権は昭陽宮で暑さに苦しみ、
紫色の薄絹でできた帷幕を掲げていた。

これを見た趙夫人は、そのような帷幕では十分ではないと述べた。
孫権がどのようなものを作りたいのか尋ねると、
趙夫人は、幕を下ろしたまま涼しい風が入り、外の景色も遮られず、
室内にいる人々が風に乗っているように感じられるものを作りたいと答えた。

孫権がその考えを認めると、趙夫人は制作に取りかかった。

伝承では、趙夫人は髪を裂き、
郁夷国からもたらされた「神膠」という特殊な膠で糸につなぎ合わせたという。
この膠は、切れた弓弦を何度でも接合できるほど強いものだったと説明されている。

趙夫人は数か月をかけて薄い織物を作り、それを幔幕に仕立てた。

完成した幔幕は煙のように軽く、内側からも外側からも透けて見え、
風を通すことで室内を涼しくしたと伝えられる。

さらに、広げると一丈ほどの大きさになり、巻けば枕の中に収められるほど小さくなったという。
『拾遺記』には異なる伝本があり、広げた際の大きさには記述の違いが見られる。

孫権はこの幔幕を気に入り、軍事行動に出る際にも携帯し、陣中の幕として使用したとされる。

宮殿での暑さを和らげるために考案された品が、戦場でも使われるようになったという逸話である。

ただし、神膠の性質や幔幕の性能には伝説的な要素が含まれている。
実物も現存しておらず、記述された製法をそのまま再現できるかどうかは明らかではない。

宮廷文化への影響|絵画と工芸を結びつけた女性

趙夫人の技芸は、絵画、刺繍、織物という異なる分野にまたがっていた。

機絶では彩糸によって絵画的な図柄を作り、針絶では刺繍を地形図の制作に応用し、
絲絶では軽さと通風性を備えた幔幕を考案した。

いずれも、装飾としての美しさと技術的な工夫を結びつけたものだった。

三国時代の宮廷では、絹織物や刺繍は衣装、儀礼用品、贈答品などとして重要な役割を持っていた。
高度な工芸品は君主の権威を示す品にもなり、宮廷文化の発展を支えていた。

趙夫人の作品も、こうした宮廷工芸の一つとして位置づけられる。
ただし、彼女が実際に宮廷衣装や儀礼用布帛、
外交用の贈答品を制作したとする具体的な記録は確認できない。

趙夫人は後世の絵画史でも取り上げられている。

唐代の張彦遠が著した『歴代名画記』巻四には「呉王趙夫人」の名が見え、
絵画と織物に優れた女性として紹介されている。

この書物は古代から唐代までの画家や作品を整理した中国絵画史の重要な文献である。
趙夫人がそこに収録されたことは、彼女が単なる宮廷の工芸職人ではなく、
絵画史上でも語り継がれる存在となっていたことを示している。

もっとも、『歴代名画記』の趙夫人に関する記述は『拾遺記』に依拠しており、
独立した同時代の証言が得られるわけではない。

孫権の寵愛と失脚|技芸を評価されながら中傷を受ける

趙夫人は、その卓越した技芸によって孫権から高く評価されたと伝えられる。

孫権が趙夫人に地形図の制作を命じたことや、彼女の考案した幔幕を軍中にまで持参したことは、
その才能を重視していたことを示す逸話である。

しかし、趙夫人の立場は安定したものではなかった。

『拾遺記』によれば、後に孫権の寵愛を得ようとする者が、
趙夫人は奇異な技を使って君主を惑わせていると中傷した。

その結果、趙夫人は退けられたという。

中傷した人物の名前や具体的な経緯、
趙夫人がどのような処分を受けたのかについては記されていない。

ただし、同書は、趙夫人が疑われて地位を失った後も、
その優れた工芸技術は記録され続けたと伝えている。

孫権の後宮では、多くの女性が寵愛や地位をめぐって複雑な関係に置かれていた。
趙夫人についても、技芸によって君主の関心を集めたことが、
周囲の反感や中傷につながったという筋立てで語られている。

ただし、これらは後世の伝承に基づくものであり、
実際にどのような後宮内の対立があったのかまでは確定できない。

最期|呉の滅亡後に消息を絶った趙夫人

趙夫人が失脚した後、どこでどのように暮らしたのかは明らかではない。

『拾遺記』は、彼女が中傷によって退けられたことを記した後、
呉の滅亡後には所在がわからなくなったと伝えている。

呉は280年、西晋によって滅ぼされた。
しかし、趙夫人がその時点まで生存していたかどうかは不明である。
孫権が252年に死去していることからも、呉の滅亡まで生きていたと断定することはできない。

趙夫人の没年、墓所、子女についても確かな記録は残されていない。

また、趙夫人が制作したとされる錦織や刺繍の地図、幔幕も現存が確認されておらず、
その技術を実物から検証することはできない。

それでも、趙夫人の名は『拾遺記』や『歴代名画記』を通じて後世に伝えられた。

「呉の三絶」という呼び名は、
三国時代の女性が絵画や工芸の分野で優れた才能を発揮したという伝承を象徴している。

趙夫人の生涯には不明な点が多く、伝説的な描写も含まれている。
しかし、君主の求めに応じて地形図を刺繍で作り、
暑さをしのぐための幔幕を考案したという逸話は、
彼女が単に美しい作品を作るだけでなく、
技芸を実用に結びつける人物として描かれていたことを示している。

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史書・参考文献

・王嘉『拾遺記』巻八「呉」
・張彦遠『歴代名画記』巻四「呉王趙夫人」
・『太平御覧』工芸・巧芸関連記述
・陳寿『三国志』呉書「呉主伝」「妃嬪伝」
・裴松之注『三国志』呉書
・中国古代絵画史・工芸史関連研究

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