漢

01.皇后

【後漢】陰麗華|光武帝が「娶妻当得陰麗華」と語った皇后

陰麗華(いんれいか)は後漢の光武帝・劉秀の皇后で、慎み深く賢明な人物として知られる。光武帝が若き日に「仕えるなら陰麗華のような妻」と語った逸話でも有名で、中国史における理想の皇后の一人とされる。その生涯と後漢宮廷の背景を解説する。
06.女傑

【新】呂母|息子の仇を討つため反乱を起こした“母の革命家”

呂母(りょぼ)前漢末から王莽の新王朝にかけて活動した女性反乱指導者で、息子を処刑した海曲県の県宰への復讐を目的に挙兵した人物。私財を投じて貧しい人々を援助し、数千人の支持者を集めて海曲県を攻め落とし、県宰を処刑して仇討ちを果たした。その後まもなく病死したが、配下の人々は樊崇らの赤眉軍に合流し、王莽政権を揺るがす大規模な反乱へとつながった。
02.妃賓

【前漢】班婕妤|成帝に仕え、長信宮に身を引いた才女の生涯と団扇の詩

班婕妤(はんしょうじょ)前漢成帝に寵愛された后妃で、『漢書』を著した班固ら班氏一族につながる才女である。輦への同乗を断った諫言、趙飛燕・趙合徳姉妹の台頭、許皇后とともに受けた呪詛の嫌疑、王政君の長信宮へ自ら退いた晩年、「団扇の詩」に託された伝説まで、その生涯と人物像を詳しく解説する。
04.美女

【前漢】趙飛燕・趙合徳|漢の二趙と呼ばれた絶世の美女姉妹

二趙とは、前漢成帝の寵愛を受けた趙飛燕・趙合徳姉妹を指す。歌舞女から皇后となった趙飛燕、昭儀として後宮を支配した趙合徳、皇子殺害をめぐる『漢書』の記録、成帝急死と合徳の自殺、哀帝・王莽期に失脚した飛燕の最期まで、二人の生涯と後世に広がった悪女伝説の実像を詳しく解説する。
04.美女

【前漢】王昭君|匈奴に嫁いだ中国四大美女の生涯と和親政策

王昭君(おうしょうくん)は前漢元帝の後宮から匈奴の呼韓邪単于へ嫁いだ女性で、中国四大美女の一人に数えられる。紀元前33年の「昭君出塞」、寧胡閼氏としての生活、単于死後の再婚と子女、漢と匈奴の関係、画工への賄賂を拒んだ伝説や「落雁」「青塚」など後世の逸話まで、『漢書』『後漢書』をもとに生涯と実像を詳しく解説する。
037.宦官

【前漢】石顕|前漢末期の腐敗を象徴した専横の宦官

石顕(せきけん)は前漢末期に元帝の信任を得て中書令として権力を私物化した宦官。王氏と結び宰相人事や奏上を操り、賄賂・官職売買・裁判操作を行い政治腐敗の象徴となったが、成帝即位後に失脚し前66年に獄死した。
037.宦官

【前漢】張賀|皇太子の孫を守り育て“宣帝の恩人”となった宦官

張賀(ちょうが)は前漢の宦官で、巫蠱の獄で宮刑に処されながらも掖庭令として幼い劉病已(のちの宣帝)を保護し、教育し、結婚まで取り計らった恩人。死後は陽都哀侯に追封された人物。
037.宦官

【前漢】許広漢|死罪寸前から皇帝の外戚となった“波乱の宦官”

許広漢(きょこうかん)は若くして宮刑を受けた宦官だが、娘の許平君が宣帝の皇后となり、孫の元帝が誕生したことで外戚として大出世した人物。死罪寸前から皇帝の外祖父へと上りつめた波乱の生涯を持つ。
037.宦官

【前漢】司馬遷|宮刑に耐え『史記』を完成させた歴史家

司馬遷(しばせん)は前漢武帝に仕えた太史令で、『史記』を著した歴史家である。父・司馬談の遺志を継ぎ、中国各地を巡って史料を収集。李陵を弁護して投獄され、宮刑を受けながらも執筆を続けた。『報任安書』に残した苦悩、『史記』全130篇の完成と紀伝体の確立、後世への影響まで生涯と実像を詳しく解説する。
02.妃賓

【前漢】李夫人|武帝に寵愛された前漢の夫人と「見せない美」の逸話

李夫人(りふじん)は前漢武帝の寵愛を受け、昌邑王劉髆を生んだ妃で、李延年・李広利の妹にあたる。病に倒れても武帝に顔を見せず、一族の将来を守ろうとした『漢書』の逸話、若くして迎えた死、武帝が招魂を試みた伝承、死後に孝武皇后と追尊されるまで、その生涯と人物像を詳しく解説する。