037.宦官

【後漢】侯覧|巨万の賄賂と張倹弾圧で知られる宦官

侯覧(こうらん)は後漢の桓帝・霊帝期に権勢を振るった宦官である。梁冀粛清後に高郷侯へ封じられ、巨万の賄賂を受け、民家381軒・田地118頃を奪ったとして張倹から告発された。兄・侯参による収奪、張倹への報復と党人弾圧、曹節に代わって長楽太僕を領するまでの権力拡大、172年の失脚と自殺まで、『後漢書』をもとにその生涯を詳しく解説する。
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【後漢】呂強|霊帝に諫言を重ね、黄巾の乱のさなかに自害した宦官

呂強(りょきょう)は後漢霊帝に仕え、宦官でありながら十常侍らの専横を批判した人物である。黄巾の乱を前に党人の赦免や汚職官僚の処罰、宦官一族への封爵抑制などを上奏した改革論、霊帝への諫言、趙忠らとの対立、誣告によって自殺へ追い込まれた最期まで、『後漢書』をもとに生涯と人物像を解説する。
037.宦官

【後漢】孫程|悪宦官を討ち廃太子を復位させた宦官

孫程(そんてい)は後漢の安帝・少帝・順帝期に活躍した宦官で、125年の宮中クーデターを主導し悪宦官・江京らを誅殺。冤罪で廃位された劉保(順帝)を復位させたことで知られる。後漢史では珍しい“正義の行動をした宦官”として評価される。
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【後漢】江京|皇太子劉保を廃位に追い込み、閻氏政権と滅んだ宦官

江京(こうけい)は後漢の安帝・少帝・順帝期に宮中を専横した悪宦官。鄧太后死後に外戚・鄧氏を誣告して失脚させ、皇太子劉保を廃位し、安帝の死を隠して皇帝をすり替えるなど後漢史でも最悪級の専横を行い、最終的に宮中クーデターで誅殺された。
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【後漢】蹇碩|霊帝に重用され西園軍を統率した宦官の生涯

蹇碩(けんせき)は後漢末期に霊帝から最も寵愛された宦官で、西園八校尉の筆頭として軍事権を掌握。皇太子劉協(献帝)擁立を図るが外戚・何進に殺害され、その死が後漢崩壊の連鎖を引き起こした重要人物として知られる。
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【後漢】五侯|梁冀を倒し桓帝朝で権勢を握った五人の宦官

五侯(ごこう)は後漢の桓帝期に外戚・梁冀を誅した功績で侯に封じられた単超・徐璜・具瑗・左悺・唐衡の五名の宦官。外戚政治を終わらせた一方で宦官政治の前例を作り、霊帝期の宦官専横や十常侍の時代へとつながる転換点となった。
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【後漢】鄭衆|外戚竇憲を誅した“宦官政治の起点”となった後漢の宦官

鄭衆(ていしゅう)は後漢の宦官で、幼帝・和帝を支え外戚竇憲を誅殺した功臣。宦官として初めて侯に封ぜられ、養子が後を継ぐ先例を作った人物で、後漢末まで続く外戚と宦官の対立構造の起点となった。
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【後漢】蔡倫|製紙法を革新し文明を変えた後漢の宦官

蔡倫(さいりん)は後漢の宦官で、樹皮や麻くず、魚網などを材料に製紙法を改良し「蔡侯紙」を生み出した人物。中常侍・尚方令として政治にも関わり、文物の発展に大きく貢献したが、政争に巻き込まれ最期は自殺に追い込まれた。
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【前漢】中行説|漢を裏切り匈奴に帰順した“災いの宦官”

中行説(ちゅうこうせつ/ちゅうこうえつ)は前漢の宦官で、公主随行として匈奴に派遣された後に寝返り、匈奴の側近として対漢強硬策を進めた人物。侵攻を煽り、漢に深刻な災いをもたらした“裏切りの宦官”として知られる。
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【前漢】張賀|皇太子の孫を守り育て“宣帝の恩人”となった宦官

張賀(ちょうが)は前漢の宦官で、巫蠱の獄で宮刑に処されながらも掖庭令として幼い劉病已(のちの宣帝)を保護し、教育し、結婚まで取り計らった恩人。死後は陽都哀侯に追封された人物。