李輔国|唐王朝で初めて皇帝を操った宦官

唐の宦官 李輔国 035.宦官

李輔国(704–762)は、玄宗末期〜粛宗・代宗期に権勢をふるった宦官で、
粛宗を霊武で即位させた立役者であり、代で初めて宰相級の権力を持った宦官である。
 ※李輔国任じられ中書令 は本来、宰相職の一つであるが、
  宦官は原則として正式な宰相になれないという慣例があったため、 
  制度上の正式宰相ではない。

その一方で、玄宗(太上皇)を圧迫し、皇太子派を排除し、
最終的には代宗により暗殺されるという劇的な生涯を送った。

出自と宦官入り

高力士の下働きとして宮中入り

もともと身分の低い家の出身であった。
若い頃に去勢され、高力士の僕役として宮中に入った。

李輔国は、頭の回転が速く、人の心を読むのがうまい、
といった能力を持っていたとされている。

↓↓玄宗の最側近・高力士についての個別記事は、こちら

高力士|唐玄宗の最側近として栄華を極め忠義を尽くした宦官
高力士(こうりきし)は唐玄宗の即位前から最側近として仕え、開元の治を支えた宦官。安史の乱では玄宗に最後まで同行し、禁軍反乱の収拾のため楊貴妃を縊死させた。乱後は宦官・李輔国により流罪となり、762年に広州で病死した。忠義と権勢を併せ持つ唐代最大の宦官として知られる。

40歳を過ぎて太子・李亨(後の粛宗)に仕える

閑厩(皇室の馬を管理する部署)を掌握し、
太子・李亨の側近として仕えるようになる。

この人事が後の大出世の基盤となった。

安史の乱:太子を霊武で即位させた“影の立役者”

馬嵬坡で太子に「楊国忠の排除」を進言

755年、安史の乱が勃発し、玄宗は蜀へ逃亡。
李輔国は太子に随行し、馬嵬駅で太子に 「楊国忠を排除すべき」と進言した。

これは太子の独自行動を後押しする重要な助言だった。

霊武での即位を強く推す

李輔国は玄宗と別行動を取っていた太子に対し、
「民心を安定させるため、霊武で即位すべき」 と強く主張した。
756年、太子は霊武で即位し粛宗となる。

李輔国はこの功績により、元帥府行軍司馬に任命され、兵権を掌握した。

粛宗期:権力の絶頂と玄宗への圧迫

粛宗は李輔国を深く信頼し、 開府儀同三司に任じ、郕国公に封じた。

「宮廷政治」「人事」などに大きな影響力を持つだけでなく、
「軍政」の多くも李輔国の手に委ねられた。

玄宗と楊貴妃の時代の終わり

安史の乱終結後、蜀へ逃れていた玄宗が長安に戻ると、
李輔国は玄宗の復権を恐れ、玄宗を西内太極宮へ移動させるよう強要した。

さらに玄宗の側近であった高力士らを免官し、 太上皇の影響力を徹底的に削いだ。

粛宗末期:張皇后との権力闘争と“宮廷クーデター”

皇后殺害事件

粛宗の皇后・張皇后は宮廷で大きな権力を持っていたが、李輔国と対立するようになる。

粛宗が病に倒れると、張皇后は太子・李豫(後の代宗)を排除し、
越王・李係を皇位につけようと画策した。
李輔国はこの陰謀を察知し、太子・李豫を即位させ、張皇后と越王を殺害した。

これにより、李輔国は皇位継承を左右する絶対的権力者となった。

皇帝をも恐れぬ権力

762年、粛宗が死去すると、代宗が即位した。

代宗は李輔国の功績を認め、 司空兼中書令(宰相)に任じ、
さらに“尚父”(父のように尊ぶ存在)とまで呼んだ。

李輔国は宦官でありながら
 ・宰相以上の影響力
 ・皇帝への直接発言権

を持つようになり、宮廷では「宦官が国を動かしている」と言われるほどであった。

李輔国の最期

しかし専横が極まり、代宗の不興を買うことになる。

李輔国は官僚を監視する部署「察事庁子」を設置し、 政務を完全に掌握した。
代宗は李輔国の権力を警戒し、次第に彼を遠ざけた。

その後、李輔国は自宅で刺客に襲われて殺害された。
死後、太傅を追贈されたが、権勢は完全に消えた。

史書は犯人を明記していないが、多くの歴史家は、
皇帝側の命令だった可能性が高いと考えている。
当時禁軍を掌握していた宦官程元振の関与が指摘されている。

↓↓流罪後、女装して密かに長安へ戻った・程元振についての個別記事は、こちら

程元振|李輔国を倒し禁軍を掌握した“中唐の危険な軍事宦官”
程元振(ていげんしん)は唐代の軍事宦官で、代宗即位後に李輔国を暗殺して禁軍を掌握した人物。内廷と軍事を同時に支配し、讒言で忠臣を失脚させるなど専横を極めたが、吐蕃侵攻を黙殺して長安陥落を招き、失脚後に流刑途中で殺害された。

まとめ

李輔国の権力は非常に強く、
 ・皇帝粛宗を補佐
 ・玄宗を幽閉
 ・張皇后を処刑
 ・軍の指揮に関与

などを行い、当時の人々は

「天下の事、皆決於輔国」
(天下の政務はすべて輔国が決める)

とまで言っている。

史書・参考文献

・『旧唐書』宦官伝
・『新唐書』宦官伝
・『資治通鑑』
・氣賀澤保規『隋唐帝国史』
・宮崎市定『中国史』

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