十常侍(じゅうじょうじ)は、後漢末期の霊帝(在位:168〜189)の時代に
宮廷で絶大な権力を握った宦官グループである。
彼らは皇帝の私生活に密着する「中常侍」の地位を利用し、
政治・軍事・人事・財政にまで介入。
賄賂・収奪・粛清を繰り返し、後漢王朝の腐敗と崩壊を決定づけた。
十常侍のメンバー
後漢書では「十常侍」と呼ばれるが、
実際には12名が記録されている。 (「十」は概数)
張譲(ちょうじょう)、趙忠(ちょうちゅう)
夏惲、郭勝、孫璋、畢嵐、栗嵩、段珪、高望、張恭、韓悝、宋典
この中でも 張譲・趙忠 の権勢は突出しており、
霊帝から「わが父、わが母」 と呼ばれたほどである。
十常侍が生まれた背景
宦官が政治を握るようになった理由
・皇帝の私生活に密着
・宮中の情報を独占
・外戚よりも皇帝に近い
という立場から、政治に強く介入するようになった。
桓帝期には「五侯」と呼ばれる宦官グループが
外戚・梁冀を倒し、宦官政治の基盤を作った。
霊帝の即位と宦官政治の完成
霊帝は幼くして即位したため、政治の多くを宦官に依存。
その結果、十常侍が宮廷の実権を完全に掌握した。
十常侍の権力と腐敗
皇帝の寵愛を利用した専横
張譲・趙忠は霊帝の信任を背景に、
・官職売買
・賄賂の横行
・政敵の粛清
・皇帝の詔勅の操作
などを行い、宮廷を完全に支配した。
親族を地方官に送り込み、全国で収奪
十常侍の親族は地方官に任命され、
各地で重税・暴行・財産没収を行った。
後漢書は「人民を貪欲に搾取した」と記す。
人民の生活が破綻するほどのこの社会不満が、
張角の太平道に大量の信者を生む土壌になった。(のちの黄巾の乱)
宦官に逆らう者は“乱心者”として処刑
十常侍の腐敗を批判した呂強、張鈞 などの名士は、逆に処罰された。
党錮の禁とは?十常侍が引き起こした士大夫弾圧事件
党錮の禁(とうこのきん)は、
後漢後期に起きた宦官による大規模な士大夫弾圧事件で、
第一次(166年)と第二次(169年)の2回に分かれる。
そのうち 第二次党錮の禁は十常侍が主導した最大級の粛清であり、
後漢の政治崩壊を決定づけた。
第一次党錮の禁(166年)
宦官と名士の対立が爆発した事件
第一次党錮の禁は、桓帝末〜霊帝初期に起きた。
この時期はまだ十常侍が台頭する前で、
中心となったのは 曹節・王甫・侯覧ら中常侍グループ。
■発端:名士が宦官の腐敗を批判
李膺・杜密ら名士が宦官の専横を公然と批判し、
宦官側はこれを「党人」として告発した。
■結果:名士層が大量に免官
・官職停止
・投獄
・政界からの排除
これが第一次党錮の禁であり、 宦官と士大夫の全面対立の始まりとなった。
第二次党錮の禁(169年)
十常侍が主導した“本格的な粛清”
第二次党錮の禁は、霊帝期に十常侍が権力を握った後に起きた。
ここからは完全に 十常侍の政治弾圧である。
■発端:竇太后死後の「落書事件」
竇太后の死後、宮中に 「宦官の専横を批判する落書」 が現れた。
司隷校尉・劉猛は 「落書の内容は正しい」として捜査を拒否。
これに激怒した十常侍は劉猛を左遷し、段熲に捜査を命じた。
■結果:徹底的な弾圧
・太学生1000人以上が逮捕
・名士が大量に獄死
・党人の官職停止がさらに強化
これが 第二次党錮の禁であり、 後漢の知識人層は壊滅状態となった。
この事件により、 張譲・趙忠を中心とする十常侍は
政治の監視役である士大夫を完全に排除し、宮廷を独占した。
黄巾の乱と十常侍
184年の黄巾の乱では、
十常侍の一人・封諝が反乱軍と内通したとされ、
宦官勢力の信用は大きく失墜した。
それでも十常侍が失脚しなかったのは、
彼らを代わりに排除できる勢力が存在しなかったためである。
・霊帝は幼少期から十常侍に依存
・外戚 何氏は政治力も軍事力も弱い
・士大夫層は党錮の禁で壊滅
・宮中の詔勅・門・警備を宦官が完全に掌握していた
そのため、信用が落ちても実権は揺るがなかった。
結果として、黄巾の乱後も十常侍は宮廷を支配し続け、
後漢の腐敗はさらに深まっていく。
何進との対立と最期
大将軍・何進による宦官討伐計画
後漢末期になると、宦官政治への不満はさらに強まり、
外戚の将軍・何進は宦官勢力の排除を計画。
しかし計画は宦官側に知られ、
何太后を利用して逆に何進を宮中へ誘い込み、暗殺した。
袁紹らが宮中へ乱入し、宦官を虐殺
何進殺害に激怒した袁紹らが宮中へ突入し、
宦官とその一党をほぼ皆殺しにした。
張譲と段珪は皇帝(劉辯・劉協)を連れて逃走したが、
追手に追い詰められ、川へ飛び込み自殺(189年)。
この直後、董卓が皇帝を保護し、後漢の実権は董卓の手に移ることになる。
十常侍の歴史的評価
後漢崩壊の“直接原因”
十常侍の
・賄賂政治
・収奪
・粛清
・外戚との抗争
・皇帝の操縦
は、後漢の政治を完全に麻痺させた。
彼らの専横は 後漢崩壊 → 三国時代の幕開け
を引き起こした最大の要因の一つとされる。
三国志演義での描写
演義では、張譲、趙忠、段珪、曹節、侯覧 などが「十常侍」として描かれ、
極悪非道の象徴として誇張されている。
※実際は、曹節、侯覧は、十常侍とは別系統の前期悪宦官
十常侍の主な逸話まとめ
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霊帝から「父母」と呼ばれるほどの寵愛
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官職売買で巨万の富を築く
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親族を地方官に送り込み、全国で収奪
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批判者を“乱心者”として処刑
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黄巾の乱で内通者が出る
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何進を宮中に誘い込み暗殺
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袁紹らにより宮中で虐殺
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張譲・段珪は皇帝を連れて逃走し、川に飛び込み自殺
関連リンク
後漢王朝の皇帝家系図と一覧|光武帝から献帝まで
中国の宦官とは?歴史・制度・役割・有名宦官をわかりやすく解説【東廠/西廠/錦衣衛】
曹節|霊帝を操り、後漢の宦官政治を決定づけた実質的な主導者
侯覧|巨万の富を築き、後漢の腐敗を象徴した“金の宦官”

