036.女性

01.皇后

【後漢】何皇后|後漢末の政変に翻弄された霊帝皇后・何太后の生涯

何皇后(かこうごう)とは後漢霊帝の皇后で、外戚の何進とともに権力を掌握し宦官と対立した人物である。王美人毒殺や董太后排除などの逸話、董卓による最期まで、その生涯と評価をわかりやすく解説する。
05.才女

【後漢】班昭|『漢書』を完成させ『女誡』を著した才女・歴史家の生涯

班昭(はんしょう)は後漢を代表する女性史家で、班固・班超の妹である。獄死した兄・班固が残した『漢書』の編纂を継承し、宮廷では皇后や貴人の教育を担当。鄧太后から政治上の意見を求められるほど信任され、『女誡』を著した。その生涯と功績、女性観、後世の評価まで史料をもとに詳しく解説する。
01.皇后

【後漢】鄧綏|後漢を安定させた鄧太后の政治と生涯

鄧綏(とうすい)は後漢の和帝の皇后で、名将鄧禹の孫にあたる。和帝死後、幼い殤帝劉隆・安帝劉祜を擁立して臨朝称制し、災害救済や倹約、外戚抑制を進めた。蔡倫・班昭らを重用して約16年にわたり朝政を主導した鄧太后の政治と人物像、死後に鄧氏一族が失脚するまでを『後漢書』から詳しく解説する。
01.皇后

【後漢】竇皇后|無子で後宮を支配した皇后と外戚政治の実態

竇皇后(章徳竇皇后)は後漢章帝の皇后で、実子を持たず梁貴人の子・劉肇を養育した。宋貴人を陥れて皇太子劉慶を廃し、劉肇を皇太子に擁立。和帝即位後は皇太后として臨朝し、兄・竇憲ら外戚竇氏が権力を掌握した。和帝による竇氏粛清と97年の死まで、その生涯と外戚政治の実像を解説する。
01.皇后

【後漢】陰麗華|光武帝が「娶妻当得陰麗華」と語った皇后

陰麗華(いんれいか)は後漢の光武帝・劉秀の皇后で、慎み深く賢明な人物として知られる。光武帝が若き日に「仕えるなら陰麗華のような妻」と語った逸話でも有名で、中国史における理想の皇后の一人とされる。その生涯と後漢宮廷の背景を解説する。
01.皇后

【魏】張春華|司馬懿の正妻で司馬師・司馬昭の母、その実像を解説

張春華(ちょうしゅんか)は、三国時代の魏の権力者・司馬懿の正妻で、司馬師・司馬昭の母。司馬懿の仮病を目撃した侍女を殺害して秘密を守った逸話、柏夫人への寵愛による夫婦関係の悪化、絶食して抗議した事件、息子たちを巻き込んだ騒動、死後に西晋の宣穆皇后として追尊されるまで、司馬氏一族の権力形成を支えた女性の生涯と人物像を紹介する。
06.女傑

【新】呂母|息子の仇を討つため反乱を起こした“母の革命家”

呂母(りょぼ)前漢末から王莽の新王朝にかけて活動した女性反乱指導者で、息子を処刑した海曲県の県宰への復讐を目的に挙兵した人物。私財を投じて貧しい人々を援助し、数千人の支持者を集めて海曲県を攻め落とし、県宰を処刑して仇討ちを果たした。その後まもなく病死したが、配下の人々は樊崇らの赤眉軍に合流し、王莽政権を揺るがす大規模な反乱へとつながった。
02.妃賓

【前漢】班婕妤|成帝に仕え、長信宮に身を引いた才女の生涯と団扇の詩

班婕妤(はんしょうじょ)前漢成帝に寵愛された后妃で、『漢書』を著した班固ら班氏一族につながる才女である。輦への同乗を断った諫言、趙飛燕・趙合徳姉妹の台頭、許皇后とともに受けた呪詛の嫌疑、王政君の長信宮へ自ら退いた晩年、「団扇の詩」に託された伝説まで、その生涯と人物像を詳しく解説する。
04.美女

【前漢】趙飛燕・趙合徳|漢の二趙と呼ばれた絶世の美女姉妹

二趙とは、前漢成帝の寵愛を受けた趙飛燕・趙合徳姉妹を指す。歌舞女から皇后となった趙飛燕、昭儀として後宮を支配した趙合徳、皇子殺害をめぐる『漢書』の記録、成帝急死と合徳の自殺、哀帝・王莽期に失脚した飛燕の最期まで、二人の生涯と後世に広がった悪女伝説の実像を詳しく解説する。
04.美女

【前漢】王昭君|匈奴に嫁いだ中国四大美女の生涯と和親政策

王昭君(おうしょうくん)は前漢元帝の後宮から匈奴の呼韓邪単于へ嫁いだ女性で、中国四大美女の一人に数えられる。紀元前33年の「昭君出塞」、寧胡閼氏としての生活、単于死後の再婚と子女、漢と匈奴の関係、画工への賄賂を拒んだ伝説や「落雁」「青塚」など後世の逸話まで、『漢書』『後漢書』をもとに生涯と実像を詳しく解説する。