中国史

06.女傑

蘇三娘|太平天国で戦った女性指導者の生涯と最期

蘇三娘(そさんじょう)は太平天国に参加し、南京攻略前後に活動したと伝わる女性武将である。広西の武装勢力から太平軍に加わり、羅大綱らと行動したとされる一方、男装・飛鏢・仇討ちなど有名な女傑像には後世の伝説も多い。女軍との関係や鎮江方面での活動、史料から消息が途絶える最期まで、史実と伝承を分けて詳しく解説する。
06.女傑

洪宣嬌|太平天国で「女軍」を率いた女性指導者の実像と謎

洪宣嬌(こうせんきょう)は洪秀全の妹で、蕭朝貴の妻となり太平天国の「女軍」を率った女性として語られてきた。しかし初期史料ではその実像を確認しにくく、名前や出自、軍事活動には多くの疑問が残る。金田蜂起や女営との関係、女性武将として広まった逸話、実在説をめぐる史料上の問題と最期の諸説まで詳しく解説する。
037.宦官

【唐】辺令誠|高仙芝・封常清を処刑へ追い込んだ唐の監軍宦官

辺令誠(へんれいせい)は唐玄宗に仕え、西域遠征や安史の乱で監軍を務めた宦官である。潼関では封常清・高仙芝を告発し、玄宗の勅命による両将の処刑を執行。その後も哥舒翰の軍を監督したが、潼関陥落後は安禄山側に帰順した。唐軍の長安奪還後、粛宗によって処刑されるまでの生涯と安史の乱への影響を詳しく解説する。
037.宦官

楊思勗|唐玄宗に重用された宦官武将の戦歴と残虐な処刑

楊思勗(ようしきょく)は、唐玄宗の信任を受け、南方各地の反乱を鎮圧した宦官武将。李重俊の乱や韋皇后排除への参加、安南の梅叔鸞、五渓の覃行璋、邕州の梁大海、瀧州の陳行範らとの戦い、驃騎大将軍への昇進と虢国公への封爵、捕虜の生皮を剥ぐ残虐行為、死体を積み上げた京観、牛仙童への凄惨な処刑まで、軍功と恐怖によって名を残した生涯を紹介する。
06.女傑

王聡児|清朝を震撼させた白蓮教徒を率いた女性反乱指導者

王聡児(おうそうじ)は清朝嘉慶年間の川楚白蓮教徒の反乱を率いた女性指導者である。夫・斉林が処刑された後、1796年に姚之富らと湖北で挙兵し、河南・陝西・四川方面を転戦して清軍と戦った。総教師として勢力を率いるが、1798年に追い詰められ姚之富とともに崖から身を投じたと伝わる。その生涯と清朝を揺るがした反乱を詳しく解説する。
032.権臣

和珅(ヘシェン)|罪二十条と莫大な財産で断罪された清朝の権臣

和珅(ヘシェン)は乾隆帝に見いだされ、侍衛から軍機大臣・戸部尚書などへ異例の出世を遂げた清朝の権臣である。皇帝の厚い信任を背景に乾隆晩年の政治で大きな影響力を持ち、莫大な財産を蓄積した。1799年、乾隆帝の死直後に嘉慶帝によって拘束され、罪二十条を突きつけられて自尽。その出世と蓄財、没収財産をめぐる伝説まで詳しく解説する。
03.公主

固倫和孝公主|乾隆帝が溺愛した末娘と和珅一族の運命

固倫和孝公主(こりんわこうこうしゅ)は乾隆帝の第十皇女で、惇妃汪氏との間に生まれた末娘である。皇后の娘ではないながら最高位の固倫公主に封じられるほど父帝に寵愛され、和珅の長男・豊紳殷徳と結婚した。乾隆帝死後、嘉慶帝が和珅を粛清すると夫も処分を受け、公主の立場は一変する。破格の待遇を受けた少女時代から和珅一族没落後の晩年まで詳しく解説する。
037.宦官

【秦】趙高|胡亥を皇帝に立て、秦を揺るがした権臣の生涯

趙高(ちょうこう)は始皇帝に仕え、沙丘の政変で李斯とともに胡亥を二世皇帝へ擁立した秦の権臣である。扶蘇・蒙恬を死に追いやり、李斯も処刑して丞相となった。「指鹿為馬」で臣下を選別し、秦末の反乱が広がる中で胡亥を自殺させるが、擁立した子嬰に謀殺された。その生涯と秦滅亡への影響を詳しく解説する。
033.武将

年羹堯|雍正帝に重用された将軍の生涯・青海平定と失脚

年羹堯(ねんこうぎょう)は康熙・雍正朝に仕え、西北軍事を担った清朝の重臣である。四川・川陝で実績を重ね、雍正帝即位後には青海でロブサン・ダンジンの反乱を鎮圧して「年大将軍」と呼ばれるほどの権勢を得た。しかし絶頂からわずか数年で失脚し、92条の罪状を突きつけられて自尽を命じられる。妹・年貴妃、誤字事件、雍正帝との関係から急転した最期まで詳しく解説する。
02.妃賓

年貴妃|雍正帝に仕えた年羹堯の妹、敦粛皇貴妃の生涯

年貴妃(ねんきひ/年氏)は年羹堯の妹で、皇子時代の雍正帝に側福晋として嫁いだ女性である。福宜・福恵・福沛ら三男一女を産むが、子供はいずれも成人しなかった。雍正帝即位後は貴妃となり、病状が悪化すると皇貴妃へ昇進。兄・年羹堯が失脚する中でも厚遇され、死後は敦粛皇貴妃と諡され泰陵に従葬された。その生涯と雍正帝との関係を詳しく解説する。