蘇三娘(そさんじょう)は、
清末の広西で活動した会党系武装勢力の女性指導者として知られ、
のちに太平天国へ加わったと伝えられる人物である。
「太平天国の女将軍」「女軍を率いた猛将」として有名だが、その生涯には不明な点が多い。
本姓を馮氏あるいは楊氏、名を玉娘とする説、
広東高州出身あるいは広西霊山出身とする説などがあり、
若年期の詳しい経歴も後世の伝承によって大きく膨らんでいる。
一方、蘇三娘そのものが完全な架空人物だったと見る必要もない。
同時代の龍啓瑞が『蘇三娘行』を詠み、夫の仇を討って武装集団を率った女性として描いている。
清末広西の会党運動から太平天国へ流れ込んだ、実在性の高い女性指導者として見るのが妥当である。
中国人民大学清史研究所も、
蘇三娘を当時の広西で活動した女性会党指導者の一人として取り上げている。
蘇三娘とは何者か|夫の死から武装集団の指導者へ
蘇三娘の出自については複数の説がある。
広西霊山の人物とする説、広東高州の出身とする説があり、
本姓についても馮氏、楊氏など一定しない。
「玉娘」という名も広く紹介されているが、
確実な同時代史料によって固定できる本名とは言いにくい。
若い頃から父について武芸や曲芸を学び、各地を巡っていたという話も伝わる。
飛鏢や刀術に優れたという逸話まであるが、
こうした細部には後世の英雄譚が混じっている可能性が高い。
比較的広く伝えられているのが、
霊山周辺で活動していた会党指導者・蘇三あるいは蘇三相と結婚したという話である。
そこから「蘇三娘」と呼ばれるようになったとされる。
夫・蘇三の死と復讐
蘇三は天地会系の会党勢力に関わり、広西南部で反清活動を行っていたとされる。
やがて蘇三が敵対勢力によって殺害されると、蘇三娘は夫の仇を討つために兵を集めた。
土地や財産を処分して数百人を集め、自ら軍勢を率いて仇を討ち、
その後も横州・霊山周辺で活動したという伝承が残る。
この部分について重要なのが、清朝側の人物である龍啓瑞が詠んだ『蘇三娘行』である。
龍啓瑞は広西出身の官僚・文人で、蘇三娘を夫のために喪服を着て仇を討ち、
戦場では多くの兵の先頭に立つ女性として描いた。
単なる後世の小説ではなく、太平天国と同時代を生きた人物が蘇三娘を題材にしているため、
少なくとも「夫を失った後に武装勢力を率った女性」の評判が当時すでに存在していたことが分かる。
後世には「劫富済貧の義賊」「悪徳地主を倒す女侠」として語られるようになったが、
ここまで整った英雄像については慎重に見る必要がある。
天地会との関係
19世紀半ばの広西では、
天地会・三合会などと総称される会党勢力が各地に存在し、地方の武装集団や反乱と結びついていた。
蘇三娘もその流れの中にいた人物と考えられている。
ただし、当時の会党は一枚岩の全国組織ではなく、多数の「山堂」や地域集団に分かれていた。
したがって「天地会という巨大組織の女性幹部だった」と考えるより、
広西の会党系武装勢力を率いた女性指導者と見る方が実態に近い。
中国人民大学清史研究所の研究でも、
蘇三娘は邱二嫂らとともに広西各地の「山堂女傑」の一人として挙げられている。
太平天国への参加|約2000人を率いたという伝承
拜上帝会を中心とする洪秀全らの勢力が広西で拡大すると、
周辺で活動していた会党勢力の一部もこれに合流した。
蘇三娘については、約2000人を率いて太平軍へ加わったと伝えられている。
加入時期には1849年説、1850年末から1851年初頭とする説など違いがあるが、
金田起義前後の段階で太平軍に加わったという説明が一般的である。
『中国歴史大辞典』や『太平天国大辞典』系の記述では、
1851年1月ごろ大湟江口で太平軍に合流したとされる。
その後、太平軍は永安から桂林・長沙方面へ北上し、武昌を攻略して長江を下り、
1853年には南京を占領した。
蘇三娘もこの進軍に同行し、永安・桂林・長沙・武昌・南京など各地を転戦したと伝えられる。
ただし、「すべての主要戦闘で先陣を切って大勝した」といった描写は
後世の人物伝で強調されたものであり、
個々の戦闘について蘇三娘自身の行動を細かく追える史料が揃っているわけではない。
「女軍」は本当に存在したのか
太平天国には女性を集団として編成する制度が存在した。
広西から進軍した太平軍では、男女を分けて組織し、
南京占領後には「男館」「女館」を設けて家族生活まで分離する政策が行われた。
その中で女性たちも物資輸送や築城、軍事関連の仕事に動員された。
ただし、後世によく語られる「男女平等を掲げたため巨大な女性戦闘部隊を作った」
という説明は単純すぎる。
太平天国は女性に纏足禁止など従来とは異なる政策を実施し、一部の女性に新しい役割を与えた一方、
男女隔離を厳格に行い、女性を男性と完全に対等な政治主体として扱ったわけでもなかった。
蘇三娘は後世、「女軍軍帥」「女営副総管」などの役職に就き、女性兵を率いたとされる。
しかし、洪宣嬌とともに巨大な女軍を統率していたという具体像には、後世の伝承も混じっている。
女性集団が存在したことと、
蘇三娘が近代的な意味で女性軍団の最高司令官だったことは分けて考える必要がある。
↓↓洪宣嬌についての個別記事は、こちら

南京入城と鎮江攻略|「女将軍」蘇三娘の名声
蘇三娘の名声を考えるうえで重要なのが、1853年の南京占領前後である。
太平軍が南京へ入った頃、蘇三娘はすでに知られた人物だったらしく、
龍啓瑞の『蘇三娘行』には、人々が彼女を見ようと集まった様子まで描かれている。
つまり、「武装集団を率いる女傑」という評判そのものは、
かなり早い段階から存在したと考えられる。
南京を天京とした太平天国は、さらに長江下流の要地へ軍を進めた。
羅大綱と鎮江へ
1853年、太平軍は南京東方の鎮江を攻略した。
この戦いでは羅大綱が重要な役割を果たしており、
蘇三娘も女性部隊を率いて行動したと伝えられている。
後世の記録では、羅大綱が男性軍、蘇三娘が女性軍を率いて鎮江を攻撃したとされる。
さらに、蘇三娘が城壁へ突入して戦った、鎮江占領後も女兵を率いて清軍の反撃を撃退した、
といった逸話が加えられている。
この頃の彼女について、
「緑旗黄幌女元戎、珠帽盤龍結束工」と女将軍の姿を描いた詩も伝わっている。
一方で、こうした描写すべてを一次史料として扱うことはできない。
蘇三娘が鎮江方面で活動したという骨格と、
華麗な軍装で女兵を率いて先頭から城壁を駆け上がったという英雄的描写は分けて扱う必要がある。
羅大綱と結婚したのか
蘇三娘の後半生で有名なのが、太平天国の将軍・羅大綱と結婚したという説である。
羅大綱もまた会党系の武装勢力から太平軍へ合流したとされる人物で、
南京攻略や鎮江方面の軍事行動で活躍した。
後世の『天国志』「列女伝」には、蘇三娘について1855年に羅大綱へ嫁いだ後、
消息が分からなくなったという記述がある。
しかし『天国志』は太平天国当時の公式記録そのものではなく、後世に編纂された著作である。
最期|1850年代半ばを境に記録から消える
蘇三娘の最期は分かっていない。
1853年の南京・鎮江方面での活動以後、彼女に関する確実な情報は急速に少なくなる。
後世には、
・鎮江防衛戦で戦死した
・太平軍の北伐に参加して戦死した
・捕らえられて処刑された
・羅大綱と結婚して軍事活動から退いた
・太平天国から離れて生き延びた
など、さまざまな説が生まれた。
しかし、どれも決定的な史料によって確認されていない。
特に「太平天国滅亡時まで鎮江を守り続けた」という説は年代的にも問題がある。
鎮江は1864年の天京陥落よりはるか以前に太平軍の支配を失っており、
蘇三娘の消息を1864年まで連続して追える記録もない。
また、北伐軍に加わって戦死したという説も確認できない。
羅大綱との結婚説を採る場合でも、その後どうなったのかは不明である。
したがって現在分かる範囲では、
蘇三娘は1850年代前半から半ばにかけて史料上から姿を消し、その後の消息は不明
とするのが最も正確である。
まとめ|蘇三娘は実在性の高い「女将軍」だった
蘇三娘は、太平天国の女性人物の中でも、史実と伝説が入り混じった存在である。
本姓や出生地、若年期の経歴には異説があり、
「武芸者の娘」「飛鏢の名手」「劫富済貧の義賊」などの逸話には
後世の脚色が含まれている可能性が高い。
しかし、夫を失った後に広西で武装勢力を率った女性が存在し、
太平天国へ合流したという骨格については、
同時代の龍啓瑞が『蘇三娘行』を残していることからも、単なる創作とは考えにくい。
その後、蘇三娘は太平軍とともに長江流域へ進み、南京・鎮江方面で活動したと伝えられる。
女性兵を率いた「女将軍」としての具体像には伝説化も見られるが、
実際に武装集団を率いた女性指導者だった可能性は高い。
一方、1850年代半ば以降の消息は分からない。
戦死したのか、羅大綱と結婚したのか、それとも別の形で生き延びたのか。
後世に多くの結末が作られたこと自体が、
蘇三娘について確かな記録が途中で途絶えていることを物語っている。
洪宣嬌が「史実上の女性と後世の伝説的人物が重なった存在」なら、
蘇三娘はそれより一歩史実側に位置する。
同時代にも武勇を知られながら、その生涯の多くを伝説に包まれた、
清末広西の女性武装指導者である。
史書・参考文献
・龍啓瑞『経徳堂集・浣月山房詩集』所収「蘇三娘行」
・『粤匪起手根由』
・羅爾綱『太平天国史』
・羅爾綱『太平天国人物』
・中国史学会編『中国近代史資料叢刊 太平天国』
・中国社会科学院近代史研究所編『太平天国大辞典』
・太平天国歴史博物館編・羅爾綱主編『太平天国文書』
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