中国史

037.宦官

劉季述|昭宗を廃位し、皇太子を擁立した唐末の宦官

劉季述(りゅうきじゅつ)は唐末の宦官で、神策軍を掌握し、900年に昭宗を廃位した人物。宰相崔胤との対立、王仲先らと起こした光化三年の変、昭宗と何皇后の少陽院幽閉、皇太子李裕の擁立、百官への署名強制と詔書の偽造、孫徳昭らによる反撃と901年の殺害まで、唐末の宮廷を揺るがした政変の経緯を詳しく紹介する。
037.宦官

楊復恭|昭宗を擁立した唐末の権力宦官と養子軍団の反乱

楊復恭(ようふくきょう)は、唐末に田令孜と対立し、その失脚後に神策軍を掌握した宦官。僖宗の死後に昭宗を擁立して朝廷の実権を握り、養子600人を各地の監軍に配置して「外宅郎君」と呼ばれる勢力を築いた。外戚王瓌の殺害疑惑、李克用討伐をめぐる昭宗との対立、養子楊守立(李順節)の離反、891年の長安での武力衝突、楊守亮らと興元で抗戦した経緯、李茂貞による討伐と韓建に捕らえられて処刑されるまでをたどる。
037.宦官

田令孜|皇帝を連れ回して政治を混乱させた宦官

田令孜(でんれいし)は唐末の僖宗から「阿父」と呼ばれ、神策軍を掌握して朝廷の実権を握った宦官。黄巣の乱による長安陥落と蜀への逃亡、兄の陳敬瑄を西川節度使に据えた権力基盤、塩池の利権をめぐる王重栄との対立、李克用との戦争、朱玫による李熅擁立、僖宗を連れた二度目の逃亡、失脚後に王建によって殺害されるまでの生涯をたどる。
037.宦官

【唐】王守澄|憲宗末から文宗期に神策軍と枢密を握った宦官

王守澄(おうしゅちょう)は唐後期に神策軍を掌握し、穆宗・敬宗・文宗三代で権勢を振るった宦官である。憲宗の死と穆宗即位に深く関与し、宋申錫を失脚させ、鄭注を登用して朝政への影響力を拡大。しかし宦官排除を図る文宗と李訓らの策によって835年に毒殺された。甘露の変へ至る宦官政治とその生涯を詳しく解説する。
037.宦官

【唐】仇士良|甘露の変から武宗擁立まで神策軍を握った宦官

仇士良(きゅうしりょう)は神策軍を掌握し、唐後期の朝廷で強大な権力を握った宦官である。文宗と李訓・鄭注が宦官排除を図った835年の甘露の変を制圧し、宰相らへの大規模な粛清を主導。文宗死後の皇位継承にも介入して武宗を擁立した。王守澄との権力争いから李徳裕との関係、引退と死後の追及まで詳しく解説する。
02.妃賓

珍妃|光緒帝に愛され、井戸に投げ込まれた清朝最後の悲劇

珍妃(ちんぴ)は姉・瑾妃とともに光緒帝の後宮へ入り、その寵愛を受けた他他拉氏の妃である。売官問題で降格され、戊戌変法後には宮中に幽閉された。1900年、八カ国連合軍が北京へ迫る中で井戸に落とされ死亡。西太后との関係、光緒帝との結婚生活、処刑をめぐる史料と珍妃井まで詳しく解説する。
037.宦官

安徳海|西太后の寵愛を受けながら処刑された清末の宦官

安徳海(あんとくかい)は咸豊帝・同治帝期に西太后の信任を受けた宦官である。辛酉政変を機に台頭し、同治帝や恭親王奕訢との対立を深めた。1869年、宮廷の禁令に反して北京を離れ山東へ入ると、巡撫・丁宝楨に拘束され済南で処刑された。その権勢と南行事件、李蓮英台頭へつながる最期まで詳しく解説する。
037.宦官

李蓮英|西太后に仕え続けた清末最大の宦官

李蓮英(りれんえい)は同治・光緒朝で西太后の厚い信任を受け、清末の宮廷で大きな影響力を持った宦官である。安徳海の死後に台頭して総管太監となり、醇親王奕譞の海軍視察にも同行。光緒帝との関係や収賄・珍妃事件をめぐる伝説、西太后死後の引退、1911年の死と墓の発掘から生まれた死因説まで詳しく解説する。
01.皇后

西太后(慈禧太后)|清朝末期の政治を動かした皇太后の生涯

西太后(慈禧太后)は咸豊帝の妃から同治帝の生母となり、辛酉政変後に東太后と垂簾聴政を行った清末の皇太后である。光緒帝擁立、日清戦争、戊戌変法と光緒帝幽閉、義和団事件、西安避難、清末新政まで約半世紀の政治に関与した。その権力掌握と「悪女」像の実像を詳しく解説する。
037.宦官

【唐】魚朝恩|禁軍・神策軍を掌握した唐代の軍事宦官

魚朝恩(ぎょちょうおん)は唐の粛宗に重用され、皇帝直属の禁軍を掌握した軍事宦官。安史の乱で粛宗の霊武即位を支え、後世の神策軍につながる宦官軍事支配の基礎を築いた。政務にも介入し、皇太子・代宗と対立。代宗即位後に誅殺された中唐最大の専横宦官である。