037.宦官

037.宦官

李蓮英|西太后に仕え続けた清末最大の宦官

李蓮英(りれんえい)は同治・光緒朝で西太后の厚い信任を受け、清末の宮廷で大きな影響力を持った宦官である。安徳海の死後に台頭して総管太監となり、醇親王奕譞の海軍視察にも同行。光緒帝との関係や収賄・珍妃事件をめぐる伝説、西太后死後の引退、1911年の死と墓の発掘から生まれた死因説まで詳しく解説する。
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【唐】魚朝恩|禁軍・神策軍を掌握した唐代の軍事宦官

魚朝恩(ぎょちょうおん)は唐の粛宗に重用され、皇帝直属の禁軍を掌握した軍事宦官。安史の乱で粛宗の霊武即位を支え、後世の神策軍につながる宦官軍事支配の基礎を築いた。政務にも介入し、皇太子・代宗と対立。代宗即位後に誅殺された中唐最大の専横宦官である。
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【唐】辺令誠|高仙芝・封常清を処刑へ追い込んだ唐の監軍宦官

辺令誠(へんれいせい)は唐玄宗に仕え、西域遠征や安史の乱で監軍を務めた宦官である。潼関では封常清・高仙芝を告発し、玄宗の勅命による両将の処刑を執行。その後も哥舒翰の軍を監督したが、潼関陥落後は安禄山側に帰順した。唐軍の長安奪還後、粛宗によって処刑されるまでの生涯と安史の乱への影響を詳しく解説する。
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楊思勗|唐玄宗に重用された宦官武将の戦歴と残虐な処刑

楊思勗(ようしきょく)は、唐玄宗の信任を受け、南方各地の反乱を鎮圧した宦官武将。李重俊の乱や韋皇后排除への参加、安南の梅叔鸞、五渓の覃行璋、邕州の梁大海、瀧州の陳行範らとの戦い、驃騎大将軍への昇進と虢国公への封爵、捕虜の生皮を剥ぐ残虐行為、死体を積み上げた京観、牛仙童への凄惨な処刑まで、軍功と恐怖によって名を残した生涯を紹介する。
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【秦】趙高|胡亥を皇帝に立て、秦を揺るがした権臣の生涯

趙高(ちょうこう)は始皇帝に仕え、沙丘の政変で李斯とともに胡亥を二世皇帝へ擁立した秦の権臣である。扶蘇・蒙恬を死に追いやり、李斯も処刑して丞相となった。「指鹿為馬」で臣下を選別し、秦末の反乱が広がる中で胡亥を自殺させるが、擁立した子嬰に謀殺された。その生涯と秦滅亡への影響を詳しく解説する。
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王承恩|崇禎帝に殉じた明末の宦官と北京陥落の最期

王承恩(おうしょうおん)は明末の崇禎帝に仕えた司礼監の宦官。1644年、李自成軍による北京陥落の際、景山で自害した皇帝に殉じたと『明史』に記される。皇子たちの脱出や長平公主の救出をめぐる伝承、殉死者を王之心・王之俊とする異説、順治帝・康熙帝による顕彰、思陵近くの墓碑まで、明朝滅亡の最終局面と王承恩の事績をたどる。
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魏忠賢|天啓帝の寵臣から「九千歳」へ、東林党弾圧と明末最大の宦官権力

魏忠賢(ぎちゅうけん)は、明末の天啓帝に仕え、「九千歳」と称されるほどの権勢を握った宦官。賭博に明け暮れた青年時代を経て自ら去勢し、宮廷入りすると皇帝の乳母・客氏と結んで出世した。司礼監と東廠を掌握し、楊漣の二十四大罪による弾劾を退け、左光斗ら東林派官僚を投獄・拷問によって死に追いやった。閹党による官僚人事の支配、各地に広がった生祠、後金との戦争が続く中での政治混乱、崇禎帝即位後の追放と自害までをたどる。
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馮保|張居正と万暦初政を支えた宦官の権力掌握と失脚

馮保(ふうほ)は明の隆慶帝・万暦帝に仕え、司礼監掌印太監として宮廷の実権を握った宦官。幼い万暦帝の即位に際して李太后・張居正と結び、政敵の高拱を失脚させた。張居正の改革を宮廷内から支える一方、皇帝の教育や官僚人事に介入し、奪情問題では反対派の弾圧にも関与した。側近の徐爵らを通じた蓄財や専権は反発を招き、1582年に張居正が死去すると、成長した万暦帝の命令で南京へ追放された。
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劉瑾|正徳帝に寵愛された「八虎」筆頭の宦官と専権政治・凌遅刑の最期

劉瑾(りゅうきん)明の正徳帝に仕え、宦官集団「八虎」の筆頭として朝廷の実権を握った。皇太子時代から朱厚照に近侍し、即位後は劉健・謝遷ら重臣を追放して司礼監を掌握。官僚人事や財政に介入し、内行廠を設置して東廠・西廠の関係者まで監視するなど、強権的な政治を進めた。罰米の徴収や賄賂によって巨額の財産を蓄えたが、1510年の安化王の乱を機に楊一清と張永が排除を画策。謀反の疑いで逮捕され、凌遅刑に処された。
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汪直|成化帝の西廠を率いた宦官の権勢と失脚・北辺遠征

汪直(おうちょく)は明の成化帝に重用された宦官。万貴妃に仕えた後、1477年に設置された西廠の長官となり、錦衣衛を使って官僚の逮捕や拷問を進めた。商輅らによる弾劾、西廠の廃止と復活、王越と結んだモンゴル遠征、東廠の尚銘との対立、1482年の失脚まで、その権勢と政治的影響をたどる。