037.宦官

037.宦官

【前漢】許広漢|死罪寸前から皇帝の外戚となった“波乱の宦官”

許広漢(きょこうかん)は若くして宮刑を受けた宦官だが、娘の許平君が宣帝の皇后となり、孫の元帝が誕生したことで外戚として大出世した人物。死罪寸前から皇帝の外祖父へと上りつめた波乱の生涯を持つ。
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【前漢】司馬遷|宮刑に耐え『史記』を完成させた歴史家

司馬遷(しばせん)は前漢武帝に仕えた太史令で、『史記』を著した歴史家である。父・司馬談の遺志を継ぎ、中国各地を巡って史料を収集。李陵を弁護して投獄され、宮刑を受けながらも執筆を続けた。『報任安書』に残した苦悩、『史記』全130篇の完成と紀伝体の確立、後世への影響まで生涯と実像を詳しく解説する。
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【前漢】中行説|漢を裏切り匈奴に帰順した“災いの宦官”

中行説(ちゅうこうせつ/ちゅうこうえつ)は前漢の宦官で、公主随行として匈奴に派遣された後に寝返り、匈奴の側近として対漢強硬策を進めた人物。侵攻を煽り、漢に深刻な災いをもたらした“裏切りの宦官”として知られる。
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韓全誨|昭宗を鳳翔へ連行した唐末の宦官と朱全忠との対立

韓全誨(かんぜんかい)は唐末の宦官で、劉季述の失脚後に神策軍護軍中尉となり、宮廷の軍事権を掌握した。宰相崔胤による宦官排除に対抗して鳳翔節度使・李茂貞と結び、901年には抵抗する昭宗を皇族とともに鳳翔へ強制連行。朱全忠による包囲戦で城内は深刻な飢餓に陥り、903年には李茂貞によって処刑された。昭宗の連行から宦官の大量粛清、朱全忠による朝廷掌握までをたどる。
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劉季述|昭宗を廃位し、皇太子を擁立した唐末の宦官

劉季述(りゅうきじゅつ)は唐末の宦官で、神策軍を掌握し、900年に昭宗を廃位した人物。宰相崔胤との対立、王仲先らと起こした光化三年の変、昭宗と何皇后の少陽院幽閉、皇太子李裕の擁立、百官への署名強制と詔書の偽造、孫徳昭らによる反撃と901年の殺害まで、唐末の宮廷を揺るがした政変の経緯を詳しく紹介する。
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楊復恭|昭宗を擁立した唐末の権力宦官と養子軍団の反乱

楊復恭(ようふくきょう)は、唐末に田令孜と対立し、その失脚後に神策軍を掌握した宦官。僖宗の死後に昭宗を擁立して朝廷の実権を握り、養子600人を各地の監軍に配置して「外宅郎君」と呼ばれる勢力を築いた。外戚王瓌の殺害疑惑、李克用討伐をめぐる昭宗との対立、養子楊守立(李順節)の離反、891年の長安での武力衝突、楊守亮らと興元で抗戦した経緯、李茂貞による討伐と韓建に捕らえられて処刑されるまでをたどる。
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田令孜|皇帝を連れ回して政治を混乱させた宦官

田令孜(でんれいし)は唐末の僖宗から「阿父」と呼ばれ、神策軍を掌握して朝廷の実権を握った宦官。黄巣の乱による長安陥落と蜀への逃亡、兄の陳敬瑄を西川節度使に据えた権力基盤、塩池の利権をめぐる王重栄との対立、李克用との戦争、朱玫による李熅擁立、僖宗を連れた二度目の逃亡、失脚後に王建によって殺害されるまでの生涯をたどる。
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【唐】王守澄|憲宗末から文宗期に神策軍と枢密を握った宦官

王守澄(おうしゅちょう)は唐後期に神策軍を掌握し、穆宗・敬宗・文宗三代で権勢を振るった宦官である。憲宗の死と穆宗即位に深く関与し、宋申錫を失脚させ、鄭注を登用して朝政への影響力を拡大。しかし宦官排除を図る文宗と李訓らの策によって835年に毒殺された。甘露の変へ至る宦官政治とその生涯を詳しく解説する。
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【唐】仇士良|甘露の変から武宗擁立まで神策軍を握った宦官

仇士良(きゅうしりょう)は神策軍を掌握し、唐後期の朝廷で強大な権力を握った宦官である。文宗と李訓・鄭注が宦官排除を図った835年の甘露の変を制圧し、宰相らへの大規模な粛清を主導。文宗死後の皇位継承にも介入して武宗を擁立した。王守澄との権力争いから李徳裕との関係、引退と死後の追及まで詳しく解説する。
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安徳海|西太后の寵愛を受けながら処刑された清末の宦官

安徳海(あんとくかい)は咸豊帝・同治帝期に西太后の信任を受けた宦官である。辛酉政変を機に台頭し、同治帝や恭親王奕訢との対立を深めた。1869年、宮廷の禁令に反して北京を離れ山東へ入ると、巡撫・丁宝楨に拘束され済南で処刑された。その権勢と南行事件、李蓮英台頭へつながる最期まで詳しく解説する。