貂蝉|三国志で呂布と董卓を翻弄した中国四大美女

貂蝉(三国志の四大美女) 04.美女

貂蝉は、中国古典小説『三国志演義』に登場する架空の女性であり、
董卓と呂布を破滅へ導いた「連環計」の中心人物として広く知られている。

実在の人物ではないにもかかわらず、その名は西施王昭君楊貴妃と並び、
中国四大美人の一人として語られるようになった。

もっとも、貂蝉という存在は最初から現在知られる姿だったわけではない。
正史『三国志』には「貂蝉」という名の女性は登場せず、
董卓配下の侍女と呂布の密通を示唆する程度の記述しか存在しない。

後世の講談、雑劇、戯曲、小説によって物語が肉付けされ、
やがて『三国志演義』の中で現在の貂蝉像が完成していったのである。

そのため、貂蝉を語る際には、史実として確認できる部分と、
後世創作によって形成された伝承・文学像とを分けて見る必要がある。

本記事では、『三国志演義』における貂蝉の役割、モデルと考えられる人物、
元代雑劇での設定、関羽との逸話、日本作品での翻案などを含め、
後世に作り上げられていった「貂蝉」という存在を詳しく解説する。

正史『三国志』に貂蝉は存在しない

まず重要なのは、貂蝉は史実上の実在人物ではないという点である。

陳寿が3世紀末に編纂した正史『三国志』には、「貂蝉」という女性は登場しない。
呂布伝には、董卓が呂布へ侍女を与えていたこと、呂布が董卓の侍女と密通していたこと、
発覚を恐れていたことなどが記されているが、女性の名は書かれていない。

『三国志』呂布伝には、呂布が董卓に仕え、董卓の侍女と私通していたため不安を抱いていたこと、
さらに董卓が激怒して呂布へ戟を投げつけたことなどが記録されている。
そして後に王允が董卓誅殺計画を打ち明け、呂布がこれへ加担したとされる。

つまり、

・董卓
・呂布
・侍女との密通
・王允の謀略
・董卓暗殺

という骨格自体は、正史にも存在している。
後世の物語作者たちは、この「侍女」を発展させ、一人の絶世美女として再構成したのである。

『三国志演義』で完成した貂蝉像

現在広く知られる貂蝉像を決定づけたのは、14世紀頃に成立した『三国志演義』である。

『三国志演義』第八回で、貂蝉は王允の養女として登場する。
幼少時に市で売られていた孤児を王允が引き取り、
歌舞や礼法など諸芸を学ばせて育てたという設定になっている。

当時、後漢朝廷は董卓によって完全に掌握されていた。
董卓は暴政を敷き、献帝を擁して朝廷を牛耳り、
さらに洛陽を焼き払って長安へ遷都するなど専横を極めていた。

王允は董卓打倒を考えていたが、有効な手段を見出せず苦悩していた。
そこへ養女貂蝉が現れ、自ら国難を憂えていることを示す。

『演義』では、貂蝉が月を眺めながら憂国の歌を口ずさむ場面が描かれており、
これが後世有名となった「閉月」の典故へつながっていく。

王允はここで「連環計」を思いつく。

連環計とは何か

貂蝉の物語で特に有名なのが、呂布と董卓が貂蝉を巡って争う「鳳儀亭」の場面である。
そして「連環計」は、『三国志演義』でも特に有名な策略の一つである。

王允はまず呂布へ貂蝉を会わせ、その美貌によって呂布を魅了する。
呂布は貂蝉へ一目惚れし、彼女を妻に迎えられるものと思い込む。

しかし王允は、その直後に今度は董卓へ貂蝉を献上してしまう。

董卓もまた貂蝉の美貌へ溺れ、彼女を自らの側へ置く。
これによって呂布は激怒するが、王允は「董卓へ逆らえなかった」と言い逃れをする。

その後、『演義』では貂蝉が董卓と呂布の双方へ異なる態度を見せる。
呂布へは「董卓の下へ行きたくない」と涙ながらに訴え、
董卓へは逆に「乱暴者の呂布が恐ろしい」と泣きつく。

こうして董卓と呂布の間には疑念と嫉妬が生まれ、両者の関係は急速に悪化していく。
やがて呂布は王允と結託し、192年、董卓を暗殺する。

これが『三国志演義』における「連環計」である。

もっとも、「連環計」という名称自体は、
後世兵法化された呼称であり、正史に存在するわけではない。

また、『演義』においても、実際には「美女を使って敵対関係を生み出した策略」であり、
後世一般化した三十六計の「連環計」と完全一致するものではない。

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貂蝉と呂布

董卓死後、貂蝉は呂布の妾となる。

『三国志演義』では、呂布は貂蝉を深く寵愛しており、
しばしば彼女へ心を乱される姿が描かれる。

これは呂布の弱点を示す演出でもあった。

呂布は武勇では三国時代屈指の猛将として描かれる一方、
感情に流されやすく、猜疑心が強く、政治判断に欠ける人物として表現されることが多い。
貂蝉との関係も、その弱さを象徴するものとして機能している。

198年、曹操軍が下邳を包囲すると、陳宮は呂布へ「掎角の勢」を提案する。
これは城内外から挟撃する戦法だった。

しかし『演義』では、貂蝉や正妻厳氏が出陣へ反対したため、
呂布は決断を鈍らせたと描写される。
結果として呂布は敗北し、曹操へ捕らえられて処刑された。

なお、呂布敗死後の貂蝉について、『三国志演義』本文ではほとんど語られていない
ここから先の貂蝉像は、主に後世戯曲や民間伝承によって発展していくことになる。

元代雑劇と「任紅昌」

貂蝉像形成において大きな役割を果たしたのが、元代雑劇である。

代表的なのが『錦雲堂美女連環計』で、
この作品では貂蝉へ「任紅昌」という姓名が与えられている。

また、この作品では「貂蝉」という呼称について、
宮中で貂蝉冠を司る役職に由来するという設定が付け加えられている。

さらに『演義』とは異なり、ここでの貂蝉は呂布の正式な妻として描かれている場合もある

つまり貂蝉像は、時代ごとにかなり異なっていたのである。

「閉月」伝説と四大美人

後世、中国では美女を象徴する四つの典故として、

西施  ― 沈魚
王昭君 ― 落雁
・貂蝉  ― 閉月
楊貴妃 ― 羞花

が成立した。

このうち貂蝉の「閉月」は、「月が彼女の美貌を恥じて雲へ隠れた」という意味である。

『演義』では、貂蝉が月を見上げながら憂国の思いを抱く場面が描かれており、
後世ここから「閉月」伝説が形成されたと考えられている。

ただし、四大美人という括り自体は後世成立した文化概念であり、
古代から固定して存在していたわけではない。

また、貂蝉は実在人物ですらないため、四大美人の中でも特に文学・演劇色の強い存在となっている。

貂蝉の見た目・性格・雰囲気(後世の定番イメージ)

西施王昭君が「静かな美」なら、貂蝉は「艶と誘惑の美」。
見る者の理性を崩すような、魔性の美が強調されるのが特徴である。

・妖艶で華やか
・涙を武器にする儚さ
・男心を翻弄する魔性
・芯が強く、状況に適応する賢さ
・美しさと悲劇性が共存する存在

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華佗による「首の交換」伝説

民間伝承では、さらに奇抜な説話も作られている。
その一つが、「貂蝉は元々醜女だった」という話である。

この伝説では、王允が董卓誅殺計画のため美女を必要としていたが、
貂蝉は容姿に恵まれていなかった。
そこで神医 華佗が西施の首を移植し、さらに荊軻の胆力を与えたという。

当然ながら、これは完全な伝奇小説的創作であり、史実性は皆無である。

しかし、このような荒唐無稽な話が生まれるほど、
貂蝉という存在が後世中国文化で巨大化していたことは確かである。

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関羽が貂蝉を斬る物語

後世、関羽信仰が強まる中で、「関羽斬貂蝉」という物語も成立した。

これは『風月錦嚢』所収『三国志大全』などに見られる筋書きで、
呂布死後、貂蝉が節義を失い関羽へ媚びたため、
関羽が彼女を「不義」と断じて斬るという内容である。

また湖北地方伝承では、劉備や張飛が貂蝉へ惹かれる様子を見た関羽が、
後難を恐れて彼女を斬ろうとしたという話も存在する。

さらに京劇『斬貂蝉』でも、この系統の物語が演じられる。

ここでは貂蝉は「男を惑わせ国を乱す美女」として扱われることが多く、
『演義』の「忠義のため自ら犠牲となった女性」とはかなり異なる描かれ方になっている。

日本作品における貂蝉

日本でも貂蝉は非常に有名な三国志女性キャラクターとなっている。

特に大きな影響を与えたのが、吉川英治『三国志』である。
吉川版では、貂蝉は連環計成功後、自害するという展開になっている。
これは『演義』本文には存在しない翻案である。

さらに横山光輝『三国志』も、この吉川版を強く踏襲したため、
日本では「貂蝉=最後に自害した女性」という印象が非常に広まった

また園田光慶版では、董卓残党掃討中に殺害される展開となっている。

『天地を喰らう』では呂布の妹として登場し、
近年のゲーム作品では女戦士、悪女、妖艶な策略家など様々な再解釈が行われている。

つまり貂蝉は、時代や媒体ごとに姿を変え続けるキャラクターなのである。

貂蝉は悪女か、それとも忠女か

貂蝉像は時代によって大きく変化している。

『三国志演義』では、
基本的には「漢王朝救済のため自らを犠牲にした忠義の女性」として描かれている。

しかし一方で、

・男を誘惑する悪女
・国を乱す妖婦
・節義を失った女性

として描く作品も少なくない。

特に関羽信仰系統では、「美女による誘惑」そのものが否定される傾向が強く、
貂蝉は危険な存在として処理されやすかった。

逆に近代以降は、

・政治に翻弄された悲劇の女性
・自ら運命を切り開こうとした女性
・策略を担う知的女性

として再評価される例も増えている。

つまり貂蝉とは、単なる『三国志演義』の一登場人物ではなく、
中国文化における「美女」「誘惑」「忠義」「政治」「悲劇」を映し出す存在として
変化し続けてきたのである。

まとめ

貂蝉は『三国志演義』に登場する架空の女性であり、
董卓と呂布を対立させる「連環計」の中心人物として描かれた。

正史『三国志』にその名は存在しないが、呂布と董卓侍女の密通記事が後世発展し、
貂蝉という絶世美女像が形成されていったと考えられている。

『三国志演義』では王允の養女として董卓誅殺へ協力し、後には呂布の妾となる。
また元代雑劇では「任紅昌」という名も与えられ、さらに後世には関羽によって斬られる物語や、
四大美人「閉月」の伝説なども成立した。

日本でも吉川英治や横山光輝作品によって広く知られるようになり、
現在でも三国志を代表する女性キャラクターの一人となっている。

貂蝉は実在人物ではない。
しかし、だからこそ時代ごとの価値観や理想像を映し出しながら、
忠女・悪女・悲劇の美女・策略家など多様な姿へ変化し続けてきたのである。

史書・参考文献

『三国志』
『後漢書』
『三国志演義』
『錦雲堂美女連環計』
『風月錦嚢』
『三国志大全』
吉川英治『三国志』
井波律子『三国志演義』
小川環樹・金田純一郎訳『三国志演義』
渡邉義浩『三国志演義の世界』

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