虞姫|項羽に殉じた「覇王別姫」の悲劇の美女

虞姫(項羽の愛妾) 04.美女

虞姫(ぐき)は、秦末の覇者・項羽のそばにいた女性であり、
後世には「覇王別姫」の悲劇のヒロインとして知られるようになった人物である。

項羽が劉邦との天下争いに敗れようとしていた垓下で、
「虞や虞や、若を奈何せん」と歌ったことから、その名は二千年以上にわたって語り継がれてきた。

しかし、現在広く知られている虞姫の物語と、史書に記録された虞姫の姿は同じではない。

『史記』が伝えているのは「虞という名の美人」が項羽に寵愛されて従っていたことと、
垓下で項羽の歌に唱和したことだけである。

出身地も、生年も、項羽といつ出会ったのかも記されておらず、
項羽の前で剣を取って自害したという有名な最期さえ『史記』本文には書かれていない。

わずかな史書の記録から、なぜ虞姫は中国を代表する悲劇の女性へと変わっていったのか。

その実像と伝説を分けながら、虞姫という人物をたどる。

虞姫とは何者だったのか

虞姫について確実に分かることは、驚くほど少ない。

司馬遷の『史記』「項羽本紀」では、
垓下の場面で初めて、「美人有り、名は虞、常に幸せられて従う」と記される。

ここでいう「美人」は、単に容姿の美しい女性という意味だけではなく、
君主のそばに仕える女性を指す語でもある。
『史記』から確認できるのは、虞という女性が項羽から寵愛され、
その行軍に従っていたということである。

一方、後に班固が編纂した『漢書』「陳勝項籍伝」では、
「美人有り、姓は虞氏、常に幸せられて従う」と記されている。

『史記』では「名虞」、『漢書』では「姓虞氏」とされており、
「虞」が名なのか姓なのかについてさえ史料間で違いがある。

現在一般に使われる「虞姫」という呼称も、
『史記』本文が彼女を「虞姫」と記しているわけではない。

↓↓「史記」を完成させた司馬遷についての個別記事は、こちら

【前漢】司馬遷|宮刑に耐え『史記』を完成させた歴史家
司馬遷(しばせん)は前漢武帝に仕えた太史令で、『史記』を著した歴史家である。父・司馬談の遺志を継ぎ、中国各地を巡って史料を収集。李陵を弁護して投獄され、宮刑を受けながらも執筆を続けた。『報任安書』に残した苦悩、『史記』全130篇の完成と紀伝体の確立、後世への影響まで生涯と実像を詳しく解説する。

出身地・生没年・家族は分からない

虞姫の生年、出身地、父母、家柄について、同時代に近い基本史料から確実なことは分からない。
項羽との出会いや、いつから行動を共にするようになったのかも不明である。

後世には虞姫の出身地や家族についてさまざまな説や伝説が生まれ、
虞子期を兄弟とする物語なども作られたが、
これらを『史記』や『漢書』によって確認することはできない。

したがって、虞姫の前半生を詳しく描く場合には、
史実ではなく後世の伝承であることを区別する必要がある。

項羽とともに戦乱の時代を生きる

虞姫が生きたとされる時代は、秦帝国が崩壊し、中国各地で反乱と戦争が続いた時代だった。

紀元前209年に陳勝・呉広の乱が起こると、各地で反秦勢力が蜂起した。
項羽も叔父の項梁とともに挙兵し、秦軍との戦いで頭角を現す。

秦の滅亡後、項羽は諸侯を分封して「西楚の覇王」を称したが、
やがて漢王となった劉邦との間で天下を争うことになった。
これが楚漢戦争である。

『史記』は虞姫がいつ項羽のもとに入ったのかを記していないため、
彼女がこの戦争のどの段階から項羽に従っていたのかは分からない。

ただし「常に幸せられて従う」という記述からは、垓下で突然現れた女性ではなく、
項羽から寵愛され、その身辺に付き従っていた存在だったことがうかがえる。

政治や軍事に関与した記録はない。
後世の物語では項羽を諫めたり励ましたりする女性として描かれることもあるが、
史書上の虞姫にそのような役割を確認することはできない。

垓下の戦い|項羽が追い詰められた最後の夜

紀元前202年、楚漢戦争は最終局面を迎えた。

劉邦の漢軍に韓信、彭越らの軍勢が加わり、項羽の楚軍は垓下で幾重にも包囲された。
『史記』によれば、項羽軍はすでに兵が少なく、食糧も尽きていた。

その夜、包囲する漢軍の陣営から楚の歌が聞こえてきた。
項羽は驚き、「漢はすでに楚をすべて手に入れたのか。どうしてこれほど楚人が多いのか」と嘆いた。
ここから、周囲を敵に囲まれて孤立することを意味する「四面楚歌」という故事成語が生まれた。

項羽は戦況が決定的になったことを悟り、夜に起きて陣幕の中で酒を飲んだ。
その場にいたのが虞である。

『史記』はここで、虞と並んでもう一つ、項羽が愛した存在を記している。
「騅(すい)」という名の駿馬である。

虞と騅は、天下を争った覇王がすべてを失おうとする場面で、
最後まで彼のそばに残された存在として登場する。

「虞や虞や若を奈何せん」|垓下の歌

項羽は悲憤のなか、自ら歌を作った。

力は山を抜き 気は世を蓋う
時利あらずして 騅逝かず
騅の逝かざる 奈何すべき
虞や虞や 若を奈何せん

自分には山を引き抜くほどの力があり、気概は天下を覆うほどであった。
しかし時運は味方せず、愛馬の騅さえ進もうとしない。
騅が進まないのをどうすればよいのか。

そして最後に、「虞よ、虞よ、お前をどうすればよいのか」と歌う。

項羽がこの歌で嘆いているのは、自分自身の死だけではない。
愛馬の騅と、残される虞の運命をどうすることもできない状況に追い込まれたことが表されている。

天下を争い続けた項羽が、最後の局面で一人の女性の名を呼んだ。
虞姫が後世まで忘れられなかった最大の理由は、この四句目にある。

『史記』によれば、項羽はこの歌を何度か歌い、虞もこれに和した。
項羽は涙を流し、周囲の者たちも皆泣き、顔を上げて項羽を見ることができなかったという。

虞姫の返歌|『楚漢春秋』に残された四句

『史記』本文は、虞が項羽の歌に「和した」と記すだけで、その歌詞を載せていない。

しかし、陸賈の著作とされる『楚漢春秋』の逸文には、虞美人の歌として次の四句が伝えられている。

漢兵已に地を略し
四方楚歌の声
大王の意気尽く
賤妾何ぞ生を聊んぜん

漢軍はすでに各地を攻略し、四方から楚の歌が聞こえる。
大王の意気も尽きようとしている。
それならば、私はどうして生きながらえることができようか。
という内容である。

『楚漢春秋』そのものは現存しておらず、この歌は後世の引用によって伝わっている。
そのため、『史記』本文に記された事実とまったく同じ確実性で扱うことはできない。

それでも、虞が項羽の歌に和したという『史記』の記述に対して、
後世に具体的な言葉を与えた重要な史料である。

この返歌によって、虞は単に項羽から別れを惜しまれる女性ではなく、
自らも死を覚悟して項羽に応える女性として描かれるようになった。

虞姫は本当に自害したのか

「覇王別姫」で最も有名なのは、
虞姫が項羽の足手まといになることを避けるため、剣で自らの命を絶つ場面である。

しかし、この場面は『史記』には存在しない。
『史記』では、虞が項羽の歌に和し、項羽と周囲の者たちが涙を流したところで、
虞についての記述は途切れる。

その直後、項羽は馬に乗り、配下の騎兵八百余騎とともに夜陰に乗じて包囲を突破した。
ここに虞が同行したとは書かれていない。
かといって、虞がその場で死んだとも書かれていない。

したがって史料上は、垓下の別れ以後の虞の消息は不明というのが正確である。

「項羽の前で自刎した虞姫」は後世に完成した

後世の文学や戯曲では、『楚漢春秋』に伝わる「どうして私は生きながらえようか」という返歌が、
虞姫の死へと結びつけられていった。

項羽を生かすために虞姫が自ら死を選び、その後に項羽が単身戦場へ向かうという構図は、
英雄と美女の最後の別れとして非常に劇的である。

やがて虞姫は剣を取って自刎する女性として描かれ、「覇王別姫」の物語が形成されていった。

つまり、「項羽が虞との別れを嘆いて歌った」ことは『史記』に記されている。
「虞が死を覚悟する内容の歌を返した」ことは『楚漢春秋』の逸文として伝わる。
「虞が項羽の前で剣を取って自害した」という具体的な場面は、後世に発展した物語である。

この三つを区別することが、虞姫の史実を考えるうえで重要となる。

項羽の最期と、歴史から消えた虞姫

虞との別れの場面を終えると、『史記』の物語は項羽の脱出へ移る。
項羽は八百余騎を率いて夜のうちに垓下の包囲を突破したが、
漢軍の追撃を受け、従う兵は急速に減っていった。
東城に至った時には、残されたのはわずか二十八騎だった。

それでも項羽は漢軍と戦いながら逃走を続け、最後には烏江へたどり着いた。
烏江の亭長は船を用意し、長江を渡って江東へ戻るよう勧めたが、項羽はこれを拒んだ。

かつて江東の若者八千人を率いて長江を渡りながら、一人も帰すことができなかった自分が、
どのような顔をして江東の父兄に会えるのかと語ったのである。
その後も漢軍と戦い続けた項羽は、最後には自ら首を刎ね、三十一年の生涯を閉じた。

『史記』が項羽の脱出から死までを詳しく記しているのに対し、
虞については垓下の夜を最後に一言も記していない。
項羽とともに包囲を脱出したとも、その場に残ったとも、死んだとも書かれておらず、
その後の消息は完全に途絶えている。

史実上の虞姫の姿は、項羽が「虞や虞や、若を奈何せん」とその名を呼び、
虞が歌に和したところで消える。後世に広まった自刎の物語とは異なり、
史書には彼女の結末が存在しない。

この空白があったからこそ、後世の文学や戯曲は虞姫の最期をさまざまに描き、
「覇王別姫」という物語を完成させていった。

虞美人草|虞姫の死から生まれた花の伝説

虞姫には「虞美人草」と呼ばれる花の伝説も結びついた。
日本では一般にヒナゲシとして知られる花である。

後世の伝承では、虞姫が死んだ後、その血が落ちた場所から赤い花が咲いた、
あるいは虞姫の墓のそばに草が生えたと語られるようになった。
その花が「虞美人草」と呼ばれるようになったという。

もちろん、『史記』や『漢書』にはこのような話はない。
しかし、虞姫と花が結びつけられたことは、後世に形成された彼女の人物像をよく示している。

短い期間だけ鮮やかな花を咲かせ、やがて散る虞美人草は、
滅びゆく項羽に寄り添った女性という虞姫のイメージと重ねられた。

「覇王別姫」はどのように作られたのか

史書の虞は、ほとんど言葉を持たない。
『史記』では名前が現れるのも垓下の一場面だけであり、人物像を説明する記述さえない。
ところが後世になると、その空白が文学によって埋められていった。

項羽に忠実に従う女性、敗北しても項羽を見捨てない女性、
自らの死によって愛する男を戦場へ送り出す女性という人物像が形成され、
詩、詞、戯曲、小説、絵画などで繰り返し描かれた。

なかでも「覇王別姫」は、項羽と虞姫の最後の別れを扱う代表的な物語となった。

後世の演劇では、項羽が垓下で敗北を悟り、虞姫が剣舞を舞った後、
自ら命を絶つという場面が大きな見せ場となる。

こうして史書ではわずか数行しか登場しない女性が、
中国文化を代表する悲劇のヒロインへと変化していった。

虞姫の実像|「忠節の女性」という評価は史実なのか

虞姫はしばしば、項羽に最後まで尽くした「忠節の女性」と評価される。
しかし、これも史書の記録そのものというより、後世に形成された人物像として考える必要がある。

『史記』から確実に読み取れるのは、虞が項羽から寵愛され、その行動に付き従い、
垓下という絶望的な状況でも彼のそばにいたということである。
一方で、彼女が自ら望んで最後まで従ったのか、どのような性格だったのか、
項羽に対して何を考えていたのかは分からない。

政治的野心がなかった、項羽の精神的な支えだった、美貌と才気を兼ね備えていたといった説明も、
史書から直接確認できる人物評ではない。

虞姫の存在を特徴づけるのは、むしろ記録の少なさである。

劉邦の妻である呂后のように政治に関与して史書に多くの記録を残した女性とは対照的に、
虞姫は項羽の人生が終わろうとする瞬間にだけ鮮明に姿を現す。

司馬遷が詳しい伝記を残さなかったからこそ、
「虞や虞や、若を奈何せん」という項羽の言葉が、彼女の人物像そのものを形作ることになった。

まとめ|史実の虞姫と「覇王別姫」の虞姫

虞姫は、中国史上もっとも有名な女性の一人でありながら、
その生涯のほとんどが分からない人物である。

『史記』が伝えるのは、項羽に「虞」という寵愛された女性が常に従っていたこと、
垓下で項羽が彼女の名を呼んで歌ったこと、そして虞がその歌に和したことだけである。

『漢書』では彼女を「虞氏」と記し、
『楚漢春秋』の逸文には「大王の意気が尽きるなら、自分も生きながらえることはできない」
という内容の返歌が残されている。

一方、剣舞を舞って項羽の前で自害するという有名な場面は、『史記』には記されていない。
史実の虞姫と、後世の「覇王別姫」の虞姫との間には大きな隔たりがある。

それでも、虞姫が単なる後世の架空人物というわけではない。
項羽が天下を失う最後の夜、彼のそばに「虞」という女性がいたことは、
『史記』と『漢書』がともに伝えている。

山を抜くほどの力を誇った項羽が、敗北を前にして最後に案じたものの一つが彼女の運命だった。

史書に残されたそのわずかな場面が後世の想像力を刺激し、
虞姫を「忠節」「情愛」「儚さ」を象徴する女性へと変えていったのである。

史書・参考文献

・司馬遷『史記』巻七「項羽本紀」
・班固『漢書』巻三十一「陳勝項籍伝」
・陸賈『楚漢春秋』逸文(『史記正義』などに引用)

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