06.女傑

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【南宋】梁紅玉|韓世忠とともに金軍に抗した南宋の女傑・黄天蕩の戦いと生涯

梁紅玉(りょうこうぎょく)は、南宋の名将・韓世忠の妻として金軍との戦いに関わった女性。高宗が皇位を奪われた苗劉の兵変では復位に貢献し、黄天蕩の戦いでは太鼓を打って宋軍を鼓舞したと伝わる。金軍の脱出を許した夫を弾劾した記録、安国夫人・護国夫人の封号、出自や戦死をめぐる伝承まで、その生涯と後世の女将軍像をたどる。
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【殷】婦好|殷王武丁の妻にして軍を率いた女性将軍

婦好(ふこう)は殷王朝の王・武丁の妃であり、軍を率いた女性将軍として知られる人物。甲骨文にも記録が残り、実在が確認されている中国最古級の女性の一人。祭祀や政治にも関わったその生涯を解説する。
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【呉】孫尚香|劉備に嫁いだ東呉の姫と「梟姫」伝説

孫尚香(そんしょうこう)は、三国時代の呉の孫権の妹で、劉備に政略結婚で嫁いだ女性。武装した侍女たちを従え、諸葛亮にも警戒された気性の強さや、劉禅を連れて呉へ帰ろうとした事件、趙雲・張飛による阻止、帰国後の不明な消息をたどる。さらに「梟姫」「弓腰姫」の呼び名や長江投身伝説、『三国志演義』で描かれた姿と史実の違いにも迫る。
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冼夫人|梁・陳・隋を渡り歩いた“嶺南の女王”の実像

冼夫人(せんふじん)は嶺南の俚人有力者の家に生まれ、高涼太守・馮宝と結婚した女性指導者である。梁末の混乱では陳覇先に協力し、陳代には欧陽紇の反乱に対処。589年の陳滅亡を嘆いた後は隋に帰順し、嶺南安定に尽力した。譙国夫人への冊封、趙訥の処罰、隋書に「聖母」と称された生涯と功績を詳しく解説する。
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【唐】平陽公主|父・李淵を助け唐建国を支えた“娘子軍”の女将軍

平陽公主(へいようこうしゅ)は唐高祖・李淵の娘で、柴紹の妻となった皇女である。617年に父が太原で挙兵すると関中で兵を集め、何潘仁ら複数の勢力を従えて数万の軍勢を形成し、李世民らとともに長安攻略を支えた。後世「娘子軍」として知られる軍勢の実像から、唐建国への貢献、623年の死と女性として異例の軍礼を伴った葬儀まで詳しく解説する。
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王異|馬超と戦った涼州の烈婦と「九つの奇計」を支えた女性

王異(おうい)は、後漢末から三国時代に活躍した趙昂の妻であり、『三国志』で実際に戦闘参加が記される数少ない女性である。馬超との戦い、人質となった息子、九つの奇計などを史実ベースで詳しく解説する。
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【新】呂母|息子の仇を討つため反乱を起こした“母の革命家”

呂母(りょぼ)前漢末から王莽の新王朝にかけて活動した女性反乱指導者で、息子を処刑した海曲県の県宰への復讐を目的に挙兵した人物。私財を投じて貧しい人々を援助し、数千人の支持者を集めて海曲県を攻め落とし、県宰を処刑して仇討ちを果たした。その後まもなく病死したが、配下の人々は樊崇らの赤眉軍に合流し、王莽政権を揺るがす大規模な反乱へとつながった。
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蘇三娘|太平天国で戦った女性指導者の生涯と最期

蘇三娘(そさんじょう)は太平天国に参加し、南京攻略前後に活動したと伝わる女性武将である。広西の武装勢力から太平軍に加わり、羅大綱らと行動したとされる一方、男装・飛鏢・仇討ちなど有名な女傑像には後世の伝説も多い。女軍との関係や鎮江方面での活動、史料から消息が途絶える最期まで、史実と伝承を分けて詳しく解説する。
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洪宣嬌|太平天国で「女軍」を率いた女性指導者の実像と謎

洪宣嬌(こうせんきょう)は洪秀全の妹で、蕭朝貴の妻となり太平天国の「女軍」を率った女性として語られてきた。しかし初期史料ではその実像を確認しにくく、名前や出自、軍事活動には多くの疑問が残る。金田蜂起や女営との関係、女性武将として広まった逸話、実在説をめぐる史料上の問題と最期の諸説まで詳しく解説する。
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王聡児|清朝を震撼させた白蓮教徒を率いた女性反乱指導者

王聡児(おうそうじ)は清朝嘉慶年間の川楚白蓮教徒の反乱を率いた女性指導者である。夫・斉林が処刑された後、1796年に姚之富らと湖北で挙兵し、河南・陝西・四川方面を転戦して清軍と戦った。総教師として勢力を率いるが、1798年に追い詰められ姚之富とともに崖から身を投じたと伝わる。その生涯と清朝を揺るがした反乱を詳しく解説する。