03.公主

固倫和孝公主|乾隆帝が溺愛した末娘と和珅一族の運命

固倫和孝公主(こりんわこうこうしゅ)は乾隆帝の第十皇女で、惇妃汪氏との間に生まれた末娘である。皇后の娘ではないながら最高位の固倫公主に封じられるほど父帝に寵愛され、和珅の長男・豊紳殷徳と結婚した。乾隆帝死後、嘉慶帝が和珅を粛清すると夫も処分を受け、公主の立場は一変する。破格の待遇を受けた少女時代から和珅一族没落後の晩年まで詳しく解説する。
037.宦官

【秦】趙高|胡亥を皇帝に立て、秦を揺るがした権臣の生涯

趙高(ちょうこう)は始皇帝に仕え、沙丘の政変で李斯とともに胡亥を二世皇帝へ擁立した秦の権臣である。扶蘇・蒙恬を死に追いやり、李斯も処刑して丞相となった。「指鹿為馬」で臣下を選別し、秦末の反乱が広がる中で胡亥を自殺させるが、擁立した子嬰に謀殺された。その生涯と秦滅亡への影響を詳しく解説する。
033.武将

年羹堯|雍正帝に重用された将軍の生涯・青海平定と失脚

年羹堯(ねんこうぎょう)は康熙・雍正朝に仕え、西北軍事を担った清朝の重臣である。四川・川陝で実績を重ね、雍正帝即位後には青海でロブサン・ダンジンの反乱を鎮圧して「年大将軍」と呼ばれるほどの権勢を得た。しかし絶頂からわずか数年で失脚し、92条の罪状を突きつけられて自尽を命じられる。妹・年貴妃、誤字事件、雍正帝との関係から急転した最期まで詳しく解説する。
02.妃賓

年貴妃|雍正帝に仕えた年羹堯の妹、敦粛皇貴妃の生涯

年貴妃(ねんきひ/年氏)は年羹堯の妹で、皇子時代の雍正帝に側福晋として嫁いだ女性である。福宜・福恵・福沛ら三男一女を産むが、子供はいずれも成人しなかった。雍正帝即位後は貴妃となり、病状が悪化すると皇貴妃へ昇進。兄・年羹堯が失脚する中でも厚遇され、死後は敦粛皇貴妃と諡され泰陵に従葬された。その生涯と雍正帝との関係を詳しく解説する。
02.妃賓

董鄂妃|順治帝が溺愛した順治帝の出家伝説

董鄂妃(ドンゴヒ)は順治帝の寵愛を受け、入宮後わずかな期間で皇貴妃へ昇進した清朝の妃である。皇四子を産むが幼くして失い、自身も22歳で死去。順治帝は深く悲しみ、皇后に追尊して自らその生涯を記した。皇帝が翌年に急逝したことで生まれた五台山出家伝説や董小宛との同一人物説まで、史実と伝説を分けて詳しく解説する。
031.皇帝

福臨(順治帝)|清の中国支配を進めた若き皇帝の生涯を解説

順治帝(福臨/フリン)はホンタイジの死後、わずか6歳で即位した清朝第3代皇帝である。ドルゴンの摂政下で北京へ入り、清による中国支配が本格化。親政後は南明勢力との戦争や統治体制の整備を進めた。董鄂妃を深く寵愛したことでも知られ、その死後には出家を望んだとする伝説も残る。24歳で急逝し、康熙帝へ皇位が継承されるまでの生涯を詳しく解説する。
01.皇后

孝荘文皇后(孝荘太后)とは|ホンタイジ・順治帝・康熙帝の三代を生きた清朝の太皇太后

孝荘文皇后(孝荘太后)はモンゴル・ホルチン部出身で、ホンタイジの荘妃となり順治帝を産んだ女性である。ホンタイジ急死後の幼帝即位とドルゴン摂政、清の北京入城を経験し、順治帝死後は太皇太后として幼い康熙帝を支えた。清朝三代にわたる生涯と政治的影響、ドルゴンとの再婚説など後世の伝説まで詳しく解説する。
古代

【ミステリ】徐福はどこへ消えたのか?二度の航海と日本渡来説の真相

徐福はなぜ戻らなかったのか?始皇帝の命で不老不死の薬を求めた航海と失踪の謎、日本渡来説や逃亡説などを史料とともに詳しく解説します。
03.公主

長平公主|崇禎帝に左腕を斬られ、明滅亡後も生き延びた皇女の生涯

長平公主(ちょうへいこうしゅ)は明最後の皇帝・崇禎帝の娘。1644年の北京陥落で父帝に左腕を斬られながら生き延び、清朝下で出家を願うも認められず、婚約者の周顕と結婚した後に若くして病没した。皇太子を名乗る少年の真偽をめぐる事件への関与、独臂神尼の伝説、戯曲『帝女花』に描かれた悲恋まで、史実と創作の違いを明らかにする。
05.才女

秦淮八艶|明末清初を生きた八人の名妓

秦淮八艶(しんわいはちえん)は明末清初、南京の秦淮河周辺の文化と結びつけて語られる八人の名妓。柳如是と銭謙益、李香君と侯方域、董小宛と冒襄の関係をはじめ、顧横波・卞玉京・寇白門・馬湘蘭・陳円円の詩画や芸能、明朝滅亡後の境遇をたどる。清朝への抵抗や復明運動、桃花扇に残る逸話と史実の違いも取り上げる。