037.宦官

李蓮英|西太后に仕え続けた清末最大の宦官

李蓮英(りれんえい)は同治・光緒朝で西太后の厚い信任を受け、清末の宮廷で大きな影響力を持った宦官である。安徳海の死後に台頭して総管太監となり、醇親王奕譞の海軍視察にも同行。光緒帝との関係や収賄・珍妃事件をめぐる伝説、西太后死後の引退、1911年の死と墓の発掘から生まれた死因説まで詳しく解説する。
037.宦官

安徳海|西太后の寵愛を受けながら処刑された清末の宦官

安徳海(あんとくかい)は咸豊帝・同治帝期に西太后の信任を受けた宦官である。辛酉政変を機に台頭し、同治帝や恭親王奕訢との対立を深めた。1869年、宮廷の禁令に反して北京を離れ山東へ入ると、巡撫・丁宝楨に拘束され済南で処刑された。その権勢と南行事件、李蓮英台頭へつながる最期まで詳しく解説する。
01.皇后

西太后(慈禧太后)|清朝末期の政治を動かした皇太后の生涯

西太后(慈禧太后)は咸豊帝の妃から同治帝の生母となり、辛酉政変後に東太后と垂簾聴政を行った清末の皇太后である。光緒帝擁立、日清戦争、戊戌変法と光緒帝幽閉、義和団事件、西安避難、清末新政まで約半世紀の政治に関与した。その権力掌握と「悪女」像の実像を詳しく解説する。
037.宦官

【唐】魚朝恩|禁軍・神策軍を掌握した唐代の軍事宦官

魚朝恩(ぎょちょうおん)は唐の粛宗に重用され、皇帝直属の禁軍を掌握した軍事宦官。安史の乱で粛宗の霊武即位を支え、後世の神策軍につながる宦官軍事支配の基礎を築いた。政務にも介入し、皇太子・代宗と対立。代宗即位後に誅殺された中唐最大の専横宦官である。
06.女傑

蘇三娘|太平天国で戦った女性指導者の生涯と最期

蘇三娘(そさんじょう)は太平天国に参加し、南京攻略前後に活動したと伝わる女性武将である。広西の武装勢力から太平軍に加わり、羅大綱らと行動したとされる一方、男装・飛鏢・仇討ちなど有名な女傑像には後世の伝説も多い。女軍との関係や鎮江方面での活動、史料から消息が途絶える最期まで、史実と伝承を分けて詳しく解説する。
06.女傑

洪宣嬌|太平天国で「女軍」を率いた女性指導者の実像と謎

洪宣嬌(こうせんきょう)は洪秀全の妹で、蕭朝貴の妻となり太平天国の「女軍」を率った女性として語られてきた。しかし初期史料ではその実像を確認しにくく、名前や出自、軍事活動には多くの疑問が残る。金田蜂起や女営との関係、女性武将として広まった逸話、実在説をめぐる史料上の問題と最期の諸説まで詳しく解説する。
037.宦官

【唐】辺令誠|高仙芝・封常清を処刑へ追い込んだ唐の監軍宦官

辺令誠(へんれいせい)は唐玄宗に仕え、西域遠征や安史の乱で監軍を務めた宦官である。潼関では封常清・高仙芝を告発し、玄宗の勅命による両将の処刑を執行。その後も哥舒翰の軍を監督したが、潼関陥落後は安禄山側に帰順した。唐軍の長安奪還後、粛宗によって処刑されるまでの生涯と安史の乱への影響を詳しく解説する。
037.宦官

楊思勗|唐玄宗に重用された宦官武将の戦歴と残虐な処刑

楊思勗(ようしきょく)は、唐玄宗の信任を受け、南方各地の反乱を鎮圧した宦官武将。李重俊の乱や韋皇后排除への参加、安南の梅叔鸞、五渓の覃行璋、邕州の梁大海、瀧州の陳行範らとの戦い、驃騎大将軍への昇進と虢国公への封爵、捕虜の生皮を剥ぐ残虐行為、死体を積み上げた京観、牛仙童への凄惨な処刑まで、軍功と恐怖によって名を残した生涯を紹介する。
06.女傑

王聡児|清朝を震撼させた白蓮教徒を率いた女性反乱指導者

王聡児(おうそうじ)は清朝嘉慶年間の川楚白蓮教徒の反乱を率いた女性指導者である。夫・斉林が処刑された後、1796年に姚之富らと湖北で挙兵し、河南・陝西・四川方面を転戦して清軍と戦った。総教師として勢力を率いるが、1798年に追い詰められ姚之富とともに崖から身を投じたと伝わる。その生涯と清朝を揺るがした反乱を詳しく解説する。
032.権臣

和珅(ヘシェン)|罪二十条と莫大な財産で断罪された清朝の権臣

和珅(ヘシェン)は乾隆帝に見いだされ、侍衛から軍機大臣・戸部尚書などへ異例の出世を遂げた清朝の権臣である。皇帝の厚い信任を背景に乾隆晩年の政治で大きな影響力を持ち、莫大な財産を蓄積した。1799年、乾隆帝の死直後に嘉慶帝によって拘束され、罪二十条を突きつけられて自尽。その出世と蓄財、没収財産をめぐる伝説まで詳しく解説する。