04.美女

陳円円|呉三桂と明清交代の伝説に名を残した秦淮八艶

陳円円(ちんえんえん)は明末清初の名妓。蘇州で名を上げ、冒襄との縁談を経て呉三桂の側室となった。李自成軍による北京占領後、呉三桂が清軍と結んで山海関で戦った経緯、呉偉業の「円円曲」に描かれた「衝冠一怒為紅顔」の由来、三藩の乱と晩年の出家説、貴州に残る墓の伝承まで、史実と後世の物語を区別してたどる。
06.女傑

沈雲英|父の遺体を奪還し、遊撃将軍となった明末の女性武将

沈雲英(しんうんえい)とは、明末に活躍した女性武将。父の遺志を継いで軍を率い、各地で戦功を挙げた女傑である。その生涯や戦い、忠義に生きた最期までをわかりやすく解説。
06.女傑

秦良玉|明末動乱期に白杆兵を率いた女武将の生涯

秦良玉(しんりょうぎょく)は、明末に白杆兵を率いて戦った女性武将。夫・馬千乗の死後に石砫の軍政を継ぎ、後金との渾河の戦いで兄・秦邦屏を失いながらも抗戦を続けた。崇禎帝の北京防衛に駆けつけて詩を賜り、四川では張献忠らの反乱軍と戦った。息子・馬祥麟の戦死、南明への忠誠、死後の石砫防衛まで、その生涯と戦功をたどる。
031.皇帝

朱由検(崇禎帝)|明王朝最後の皇帝の生涯と最期

崇禎帝・朱由検(しゅゆうけん)は、明王朝最後の皇帝。17歳で即位して魏忠賢を排除したが、袁崇煥の処刑や重臣の相次ぐ更迭で朝廷は混乱した。後金・清との戦争、軍費増大と増税、李自成らの農民反乱に苦しみ、1644年に北京が陥落。長平公主との悲劇、景山での自害、明滅亡後の皇族の運命までをたどる。
037.宦官

王承恩|崇禎帝に殉じた明末の宦官と北京陥落の最期

王承恩(おうしょうおん)は明末の崇禎帝に仕えた司礼監の宦官。1644年、李自成軍による北京陥落の際、景山で自害した皇帝に殉じたと『明史』に記される。皇子たちの脱出や長平公主の救出をめぐる伝承、殉死者を王之心・王之俊とする異説、順治帝・康熙帝による顕彰、思陵近くの墓碑まで、明朝滅亡の最終局面と王承恩の事績をたどる。
037.宦官

魏忠賢|天啓帝の寵臣から「九千歳」へ、東林党弾圧と明末最大の宦官権力

魏忠賢(ぎちゅうけん)は、明末の天啓帝に仕え、「九千歳」と称されるほどの権勢を握った宦官。賭博に明け暮れた青年時代を経て自ら去勢し、宮廷入りすると皇帝の乳母・客氏と結んで出世した。司礼監と東廠を掌握し、楊漣の二十四大罪による弾劾を退け、左光斗ら東林派官僚を投獄・拷問によって死に追いやった。閹党による官僚人事の支配、各地に広がった生祠、後金との戦争が続く中での政治混乱、崇禎帝即位後の追放と自害までをたどる。
031.皇帝

朱由校(天啓帝)|木工に熱中した明の皇帝と魏忠賢・客氏による権力掌握

天啓帝(朱由校/しゅゆうこう)は明王朝第16代皇帝。16歳で即位し、木工に熱中する一方、乳母の客氏と宦官の魏忠賢が権力を握り、楊漣・左光斗ら東林党の官僚が弾圧された。後金による遼東侵攻、袁崇煥の寧遠防衛、張皇后と客氏の対立、皇子たちの夭折、23歳での崩御と弟・崇禎帝への皇位継承までをたどる。
031.皇帝

朱常洛(泰昌帝)|梃撃の案・紅丸の案・移宮の案に翻弄された「一月天子」

泰昌帝(朱常洛/しゅじょうらく)は、明の第15代皇帝として即位からわずか29日で急死した「一月天子」。万暦帝の皇長子でありながら、鄭皇貴妃の子・朱常洵が寵愛されたため立太子が遅れ、国本問題では長年にわたり皇位継承を争われた。1615年には宮殿に男が侵入する梃撃の案が発生。1620年の即位後は財政・人事の改革に着手したが、李可灼の紅丸を服用した後に崩御した。鄭皇貴妃をめぐる疑惑と、死後に起きた移宮の案までをたどる。
037.宦官

馮保|張居正と万暦初政を支えた宦官の権力掌握と失脚

馮保(ふうほ)は明の隆慶帝・万暦帝に仕え、司礼監掌印太監として宮廷の実権を握った宦官。幼い万暦帝の即位に際して李太后・張居正と結び、政敵の高拱を失脚させた。張居正の改革を宮廷内から支える一方、皇帝の教育や官僚人事に介入し、奪情問題では反対派の弾圧にも関与した。側近の徐爵らを通じた蓄財や専権は反発を招き、1582年に張居正が死去すると、成長した万暦帝の命令で南京へ追放された。
031.皇帝

万暦帝(朱翊鈞)|張居正改革・国本の争い・万暦怠政をわかりやすく解説

万暦帝・朱翊鈞(しゅよくきん)は、明朝で最も長い48年間の在位を記録した皇帝。10歳で即位し、張居正の改革によって財政と政治の立て直しを進めた。親政後は張居正を死後に処罰し、寧夏の乱・朝鮮出兵・播州の乱に対する万暦三大征を実施。一方、鄭皇貴妃の子・朱常洵を寵愛し、皇長子・朱常洛の立太子をめぐって官僚と対立した。長期にわたる朝議への不出席、鉱税使への反発、サルフの戦いでの敗北、死後の定陵発掘までをたどる。