隋唐

03.公主

【唐】新城公主|太宗李世民の末娘、二度の結婚と謎を残した死

新城公主(しんじょうこうしゅ)は唐の皇帝・太宗李世民と長孫皇后の娘。二度の結婚を経験したが、二人目の夫による虐待が原因とされる不審な死を遂げた。皇帝高宗は激怒し、夫を処刑した。本記事では新城公主の生涯と事件の背景を解説する。
03.公主

【隋】南陽公主|父・煬帝を殺した一族に嫁ぎ、夫との復縁を拒んだ隋の皇女

南陽公主(なんようこうしゅ)は隋煬帝・楊広の長女で、重臣宇文述の子・宇文士及に嫁いだ皇女である。しかし618年、夫の兄・宇文化及らが江都で煬帝を弑し、運命は一変する。宇文化及敗亡後には、父を殺した一族の血を引く実子・宇文禅師の処分という過酷な選択を迫られた。出家後、唐に仕えた宇文士及から復縁を求められても拒んだと伝わる、その生涯を詳しく解説する。
03.公主

【隋】義成公主|四代の突厥可汗に嫁ぎ、隋滅亡後も旧王朝を支えた公主

義成公主(ぎせいこうしゅ)は隋から東突厥へ嫁ぎ、啓民・始畢・処羅・頡利可汗の時代を生きた和親公主である。雁門で煬帝が包囲された際には撤兵につながる情報を伝え、隋滅亡後は蕭皇后と煬帝の孫・楊政道を突厥へ迎えて旧隋勢力を支えた。唐と東突厥の対立が深まる中、630年の李靖による遠征でその生涯を終えるまでを詳しく解説する。
03.公主

【唐】文成公主|チベット仏教をもたらし観音菩薩と崇められた唐の公主

文成公主(ぶんせいこうしゅ)は唐の時代に吐蕃(チベット)の王ソンツェン・ガンポに嫁いだ公主。唐と吐蕃の外交関係を象徴する人物であり、仏像や経典を持ち込みチベット仏教の伝来に関わったと伝えられる。チベットでは観音菩薩の化身として語られることもある。
03.公主

【唐】金城公主|唐と吐蕃の戦争の中で外交を担った公主

金城公主(きんじょうこうしゅ)は唐の宗室から公主に封じられ、710年に吐蕃王ティデ・ツクツェンへ嫁いだ女性である。文成公主に続く唐蕃間の婚姻として吐蕃で約30年を過ごし、戦争と和平を繰り返す両国の間で唐朝への働きかけを続けた。河西九曲をめぐる問題や730年の赤嶺の会盟、唐との外交関係、741年に吐蕃で生涯を終えるまでを詳しく解説する。
01.皇后

【隋】独孤伽羅|隋の建国を支え「二聖」と称された文献皇后

独孤伽羅(どっこから/独孤皇后)は北周の重臣・独孤信の娘として生まれ、14歳で楊堅に嫁ぎ、隋建国後に皇后となった女性である。文帝と政治を論じ「二聖」と称された一方、夫に他の女性との子を持たせず、寵愛した尉遅氏をめぐる激しい逸話も残る。皇太子楊勇を嫌い、晋王楊広を支持したことは隋の皇位継承にも影響した。夫婦の誓いから政治参加、楊広が皇太子となるまでを詳しく解説する。
01.皇后

【唐】韋皇后|中宗と流謫を耐え、唐隆の変に倒れた「第二の武則天」

韋皇后(いこうごう)は唐中宗・李顕の皇后で、武則天による夫の廃位と房州流謫をともに経験した。中宗復位後は安楽公主・武三思・上官婉児らと宮廷政治に深く関与し、李重俊の反乱を経て権勢を拡大。中宗急死後に温王李重茂を擁立したが、710年に李隆基と太平公主が起こした唐隆政変で殺害された。中宗毒殺説を含む生涯と実像を詳しく解説する。
01.皇后

【隋】蕭皇后|隋煬帝の皇后、亡国後も各地を流転した南朝皇族の女性

蕭皇后(しょうこうごう)は後梁皇族に生まれ、晋王・楊広の妃を経て隋煬帝の皇后となった女性である。618年に江都の政変で煬帝を失うと、宇文化及、竇建徳の勢力下を経て東突厥へ渡り、孫の楊政道らと暮らした。630年に李靖の東突厥征服によって唐へ帰還し、長安で晩年を過ごした後、煬帝と合葬されるまでの数奇な生涯を詳しく解説する。
01.皇后

【唐】長孫皇后|唐太宗を支えた「賢后」とその実像

長孫皇后は唐太宗・李世民の皇后で、長孫無忌の妹にあたる。玄武門の変で将兵を慰労し、皇后となった後は外戚である兄の重用を戒め、魏徴を擁護するなど太宗を諫めた。質素を重んじた宮廷生活、『女則』の編纂、36歳で迎えた最期まで、『旧唐書』『新唐書』をもとにその生涯と人物像を詳しく解説する。
04.美女

【唐】楊貴妃(楊玉環)|盛唐を象徴した絶世の美女と「長恨」の伝説

楊貴妃(楊玉環)は唐玄宗の寵愛を受け、中国四大美女に数えられた女性である。寿王李瑁の妃から女道士を経て貴妃となった経緯、楊国忠ら一族の栄達、安禄山との関係、安史の乱勃発と長安脱出、馬嵬駅で死を命じられた最期、『長恨歌』による伝説化まで、史料をもとにその生涯と実像を詳しく解説する。