隋唐

034.政治家・文官

【隋】高熲|隋建国と中国統一を支え、煬帝に誅殺された名宰相

高熲(こうけい)は楊堅の側近として隋建国を支え、開皇年間の政治を担った名宰相である。尉遅迥の乱の鎮圧、突厥政策、蘇威らの人材登用に関わり、南朝陳攻略では晋王楊広を補佐して中国統一に貢献した。しかし皇太子楊勇の廃嫡をめぐって独孤皇后らと対立し、文帝晩年に失脚。煬帝即位後に復帰するものの、朝政への批判を問題視され、607年に命を落とすまでの生涯を詳しく解説する。
033.武将

【唐】封常清|西域を支えた名将と冤罪の最期

封常清(ほうじょうせい)は高仙芝に見出され、西域で軍功を重ねて安西節度使に上った唐の名将である。安史の乱では洛陽防衛を命じられ、安禄山軍に敗れて潼関へ撤退し高仙芝と防衛を図った。しかし宦官・辺令誠の告発を受け、玄宗の勅命により高仙芝に先立って処刑された。貧しい出自から出世した生涯と最期を詳しく解説する。
033.武将

【唐】郭子儀|安史の乱・吐蕃侵攻・僕固懐恩の反乱を支えた唐再建の名将

郭子儀(かくしぎ)は安史の乱で李光弼らと戦い、回紇の援軍を得て長安・洛陽奪還に貢献した唐の名将である。吐蕃による長安占領後には都を回復し、僕固懐恩の反乱では回紇軍との単騎交渉で連合軍を切り崩した。玄宗・粛宗・代宗・徳宗の四代に仕え、汾陽郡王から尚父に至った生涯と功績を詳しく解説する。
033.武将

【唐】高仙芝|パミールを越えた名将・タラスの敗戦から潼関での処刑まで

高仙芝(こうせんし)は高句麗系の出自を持ち、安西都護府で頭角を現した唐玄宗期の名将である。小勃律遠征でパミールを越えて勝利し、石国攻略やタラス河畔の戦いを指揮。安史の乱では封常清と潼関を守ったが、宦官・辺令誠の告発を受け玄宗の勅命で処刑された。西域での軍功から悲劇的な最期まで詳しく解説する。
033.武将

【唐】裴行倹|西域を平定した唐の儒将の生涯・逸話・突厥討伐を解説

裴行倹(はいこうけん)は名門・河東裴氏に生まれ、蘇定方から兵法を学んだ唐代の名将・官僚である。武則天の立后に反対して西州へ左遷されるが、西域経営で頭角を現し、西突厥の阿史那都支を策略によって捕らえ、東突厥の反乱にも出征した。吏部侍郎としての人材登用、初唐四傑の将来を見抜いた逸話、書家・軍事理論家としての一面まで詳しく解説する。
06.女傑

【唐】平陽公主|父・李淵を助け唐建国を支えた“娘子軍”の女将軍

平陽公主(へいようこうしゅ)は唐高祖・李淵の娘で、柴紹の妻となった皇女である。617年に父が太原で挙兵すると関中で兵を集め、何潘仁ら複数の勢力を従えて数万の軍勢を形成し、李世民らとともに長安攻略を支えた。後世「娘子軍」として知られる軍勢の実像から、唐建国への貢献、623年の死と女性として異例の軍礼を伴った葬儀まで詳しく解説する。
人物一覧

【隋】宇文化及|主君を弑して帝を称した男、その野望と破滅

宇文化及(うぶんかきゅう)は隋の重臣・宇文述の子で、618年の江都の政変で驍果軍に担がれ、煬帝を死に追いやった人物である。秦王楊浩を皇帝に擁立して実権を握り、軍を率いて北上するが、李密との激戦や食糧不足、兵の離反によって勢力は急速に衰退。やがて楊浩を廃して国号「許」、年号「天寿」を掲げ自ら皇帝となるものの、619年に聊城で竇建徳に敗れるまでの生涯を詳しく解説する。
01.皇后

【唐】武則天(則天武后)|中国唯一の女帝が皇帝になるまでと治世

武則天(ぶそくてん)は唐太宗の才人から高宗の皇后となり、690年に武周を建国した中国史上唯一の女帝である。王皇后・蕭淑妃との後宮争いを経て政治権力を掌握し、李唐皇族の粛清や酷吏政治を進める一方、科挙を通じて人材を登用。狄仁傑らを重用し、武氏への皇位継承問題、張易之・張昌宗の寵遇、705年の神龍政変と退位まで詳しく解説する。
037.宦官

韓全誨|昭宗を鳳翔へ連行した唐末の宦官と朱全忠との対立

韓全誨(かんぜんかい)は唐末の宦官で、劉季述の失脚後に神策軍護軍中尉となり、宮廷の軍事権を掌握した。宰相崔胤による宦官排除に対抗して鳳翔節度使・李茂貞と結び、901年には抵抗する昭宗を皇族とともに鳳翔へ強制連行。朱全忠による包囲戦で城内は深刻な飢餓に陥り、903年には李茂貞によって処刑された。昭宗の連行から宦官の大量粛清、朱全忠による朝廷掌握までをたどる。
037.宦官

劉季述|昭宗を廃位し、皇太子を擁立した唐末の宦官

劉季述(りゅうきじゅつ)は唐末の宦官で、神策軍を掌握し、900年に昭宗を廃位した人物。宰相崔胤との対立、王仲先らと起こした光化三年の変、昭宗と何皇后の少陽院幽閉、皇太子李裕の擁立、百官への署名強制と詔書の偽造、孫徳昭らによる反撃と901年の殺害まで、唐末の宮廷を揺るがした政変の経緯を詳しく紹介する。