中国史

033.武将

蘭欽|北魏・西魏を破り、広州で毒殺された南朝梁の名将

蘭欽(らんきん)は南朝梁の武将で、蕭城・擬山城・厥固を攻略し、北魏の諸将を撃破した。桂陽・陽山・始興の反乱を鎮圧し、梁州・漢中では西魏軍を破り、宇文泰が馬二千匹を贈って友好を求めた。衡州刺史として善政を行い曲江県公に昇進したが、広州刺史への赴任時に蕭恬によって毒殺された。陳慶之と並ぶ史書の評価や息子・蘭京との関係も紹介する。
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【北周】宇文憲|最盛期を支えた『周書』で「智勇冠世」と称えられた名将

宇文憲(うぶんけん)は、北周の実力者・宇文泰の子で、武帝・宇文邕の異母弟。宇文護のもとで軍功を重ね、北斉との戦いでは斛律光や高長恭らと対峙し、武帝による華北統一を支えた名将だった。しかし北斉滅亡後、その名声と軍事的力量を警戒され、宣帝・宇文贇の即位直後に粛清される。北周屈指の皇族武将・宇文憲の生涯と功績、悲劇的な最期まで詳しく紹介。
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【北斉】高長恭|仮面の美将「蘭陵王」と呼ばれた悲劇の皇族

高長恭(こうちょうきょう/蘭陵王)は、北斉の実力者・高澄の子として生まれ、「貌柔心壮、音容兼美」と正史に記された皇族武将。突厥の晋陽侵攻を防ぎ、邙山の戦いではわずか500騎で北周軍へ突入して金墉城を救援、その武勇は『蘭陵王入陣曲』として歌われた。段韶とともに柏谷・定陽でも戦功を重ねる一方、名声を後主・高緯に警戒され、自ら評判を落として身を守ろうとするまで追い詰められ、573年に毒薬を賜って死去する。仮面伝説の史実性、将兵に慕われた人物像、皇帝の猜疑を招いた「家事」の発言から悲劇的な最期まで、『北斉書』『北史』『資治通鑑』をもとに詳しく解説する。
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【唐】裴行倹|西域を平定した唐の儒将の生涯・逸話・突厥討伐を解説

裴行倹(はいこうけん)は名門・河東裴氏に生まれ、蘇定方から兵法を学んだ唐代の名将・官僚である。武則天の立后に反対して西州へ左遷されるが、西域経営で頭角を現し、西突厥の阿史那都支を策略によって捕らえ、東突厥の反乱にも出征した。吏部侍郎としての人材登用、初唐四傑の将来を見抜いた逸話、書家・軍事理論家としての一面まで詳しく解説する。
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【北斉】斛律光|北斉最強の名将と称された落雕都督の生涯

斛律光(こくりつこう)は、名将・斛律金の子として北斉の軍事を支え、「落雕都督」と呼ばれた名将。洛陽救援では北周軍を破って王雄を射殺し、宜陽・汾北をめぐる戦いでも宇文憲らと激戦を重ね、北周にとって大きな脅威となった。しかし韋孝寛の離間策と祖珽・穆提婆らとの政争が重なり、572年に後主・高緯によって誅殺される。斛律光の出自と戦歴、北周との攻防、讒言による最期、わずか5年後の北斉滅亡に与えた影響まで『北斉書』『北史』『資治通鑑』から詳しく解説する。
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【魏】曹彰|猛獣を素手で倒し、異民族を屈服させた曹操の「黄鬚児」

曹彰(そうしょう)は曹操と卞夫人の子で、曹丕・曹植の兄弟にあたる魏の武将である。「黄鬚児」と呼ばれ武勇を曹操に評価された曹彰は、代郡の烏桓反乱を鎮圧し北方で活躍した。曹操との親子関係、曹丕即位後の立場、223年の急死と毒殺説、猛獣を素手で倒した逸話まで、正史『三国志』をもとにその生涯と人物像を詳しく解説する。
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【南朝梁】陳慶之|梁の名将 白袍将軍伝説

南北朝時代の名将・陳慶之(ちんけいじ)を徹底解説。7000兵で47戦無敗、32城陥落、洛陽を攻略した白袍将軍の戦略、逸話、敗北と生還、史実と伝説の違いまで詳しく紹介。
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【北宋】狄青|西夏戦線・儂智高討伐で名を上げた名将、枢密使への出世と失脚

狄青(てきせい)は、顔に刺青を刻まれた下級兵士から北宋の枢密使に上り詰めた武将。西夏との25戦で8度負傷し、范仲淹から『左氏春秋』を与えられて兵書や歴史を学んだ。儂智高の乱では軍律を正し、昆侖関を突破して反乱軍を撃破。仁宗の信任を得て軍事の最高職に就いたが、武人の台頭を警戒する文官たちの弾劾と流言によって陳州へ転出し、1057年に49歳で病死した。
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【魏】秦朗|曹操の連れ子から明帝の側近となった驍騎将軍

秦朗(しんろう)は呂布配下・秦宜禄と杜氏の子で、母が曹操の側室となったことで曹操に養育された。曹叡の即位後は驍騎将軍・給事中として寵愛され、鮮卑の歩度根・軻比能を討伐。明帝晩年には輔政候補となりながら失脚した生涯を、正史『三国志』をもとに詳しく解説する。
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【南宋】韓世忠|梁紅玉と金軍に抗した名将「万人敵」の生涯

韓世忠(かんせいちゅう)は、北宋末から南宋初期に活躍した武将。西夏との戦争や方臘討伐で武功を挙げ、靖康の変後は高宗に仕えた。苗劉の兵変での皇帝復位、妻・梁紅玉と金軍を迎え撃った黄天蕩の戦い、大儀鎮での勝利と淮東防衛、岳飛の処刑をめぐる秦檜への抗議、軍権を失った晩年まで、その戦歴と人物像をたどる。