南北

01.皇后

【北魏】馮太后|北魏の実権を握った文明太后の生涯と孝文帝改革

馮太后(ふうたいごう)は、北魏の文成帝の皇后となり、献文帝・孝文帝の二代にわたって実権を握った文明太后。乙渾の排除、寵臣李奕をめぐる献文帝との対立と毒殺疑惑、李訢らの粛清、孝文帝の養育と摂政政治、俸禄制・均田制・三長制の導入など、宮廷の権力闘争と北魏の国家体制を変えた改革、晩年までの生涯を紹介する。
01.皇后

【北斉】婁昭君|高歓を支え北斉皇室の母となった武明皇后の生涯

婁昭君(ろうしょうくん)とは、北斉の基礎を築いた神武帝・高歓の妻で、文宣帝高洋・孝昭帝高演・武成帝高湛らの母。無名時代の高歓を自ら夫に選び、その密謀に加わって台頭を支えた。柔然との政略結婚、侯景への進言、高殷の廃位などにも関与した北斉の「国母」の生涯と政治的影響を史実から解説する。
01.皇后

【北斉】胡皇后|武成帝高湛の皇后で後主高緯の母、放縦と権力の象徴

胡皇后(ここうごう)は、北斉の武成帝・高湛の皇后で、後主・高緯の母。夫の寵臣・和士開との密通、武成帝死後の僧侶・曇献との関係、昭玄統への登用、高緯による幽閉など、正史には数々の醜聞が残る。皇后から皇太后となって北斉後期の宮廷政治にも関わった生涯、北斉滅亡後の足取り、「皇后より娼婦の方が楽しい」という逸話の真偽まで、「淫后」と呼ばれた胡皇后の実像を『北斉書』『北史』からたどる。
03.公主

【南朝宋】劉楚玉|「三十人の面首」で知られる山陰公主

劉楚玉(りゅうそぎょく)は南朝宋の孝武帝劉駿の娘で、前廃帝劉子業の同母姉にあたる山陰公主である。何戢と結婚したが、弟に男女の不公平を訴え、30人の面首を与えられたと史書は伝える。さらに褚淵を求めた逸話でも知られ、劉子業殺害後の465年、明帝劉彧の命で賜死となった。その生涯と史書が描く実像を詳しく解説する。
03.公主

【北周】楊麗華|北周最後の皇后となり隋の楽平公主として生きた生涯

楊麗華(ようれいか)は楊堅と独孤伽羅の長女で、北周宣帝・宇文贇の皇后となった女性である。夫から死を命じられかけるが母の嘆願で助かり、宣帝の死後には父・楊堅が北周の実権を掌握。581年に父が隋を建国すると楽平公主となったが、北周を奪った父の行動を喜ばなかったと史書は伝える。娘・宇文娥英への愛情や李敏との婚姻、煬帝時代まで生きたその生涯を詳しく解説する。
04.美女

【南朝斉】潘玉児|「歩歩生蓮」「金蓮歩」で知られる傾国の美女

潘玉児(はんぎょくじ)は南朝斉末期の東昏侯・蕭宝巻に寵愛された女性である。黄金の蓮華を敷かせた「歩歩生蓮」、宮中に市場を設けて遊んだ逸話、奢侈を重ねた蕭宝巻との関係、蕭衍の挙兵と建康陥落、南朝斉滅亡後に王茂へ与えられそうになり自縊した最期まで、史書をもとに実像と後世の傾国伝説を詳しく解説する。
03.公主

【北魏】安徳公主|北魏皇族が見た王朝崩壊と北斉宮廷の狂気

安徳公主(あんとくこうしゅ)は、孝文帝の孫で清河王元懌の娘にあたる北魏の公主。孝武帝の愛人となり、北魏分裂後も東魏に残って北斉成立まで生きた。父・元懌の政変による死、孝武帝との関係、542年の造像記、甥・孝静帝の廃位、文宣帝・高洋から受けた凄惨な凌辱まで、元氏皇族の没落と重なる生涯を史料からたどる。
03.公主

【北魏】元明月|北魏平原公主と孝武帝の寵愛、宇文泰による悲劇の最期

元明月(げんめいげつ)は北魏孝文帝の孫で、京兆王元愉の娘、平原公主となった皇族女性である。父の反乱と両親の死、孫騰・封隆之をめぐる再婚問題、孝武帝元脩との関係、534年の洛陽脱出と関中への同行、宇文泰の命による殺害、兄・元宝炬の西魏皇帝即位まで、北魏分裂期に翻弄された生涯を史書から詳しく解説する。
033.武将

【北周】尉遅迥|隋建国に抗した北周の名将と反乱の全貌

尉遅迥(うっちけい)は宇文泰の外甥として西魏・北周に仕え、蜀攻略などで軍功を重ねた名将である。580年、宣帝の死後に楊堅が北周の実権を握ると鄴で挙兵し、司馬消難・王謙らも各地で呼応。楊堅が派遣した韋孝寛との決戦に敗れて自害した。北周最後の大反乱と、その鎮圧が隋建国へつながる過程を詳しく解説する。
033.武将

【北斉】段韶|国家を支え続けた名臣 忠武王の生涯

段韶(だんしょう)は高歓の甥として東魏創業期から軍事中枢を担い、韓陵の戦い、玉壁攻撃、侯景の乱後の晋陽防衛、南朝梁との戦いで活躍した北斉屈指の名将。高歓から軍国の大事を託され、563~564年には突厥・北周軍から晋陽を守り、洛陽救援では高長恭・斛律光とともに宇文護の大軍を撃破した。晩年も柏谷・姚襄・定陽で北周軍を破り、病を押して最後まで軍略を授けた段韶の生涯、戦歴、統率力、忠武の諡号を得た最期まで『北斉書』『北史』『資治通鑑』から詳しく解説する。