南北

032.権臣

【西魏】宇文泰|西魏を支配し隋唐の基礎を築いた軍事政治家

宇文泰(うぶんたい)は、北魏末の混乱から台頭し、孝武帝を長安へ迎えて高歓と対峙、西魏三代の実権を握った軍事政治家。沙苑で東魏軍を破り、蘇綽を登用して国家再建を進め、府兵制につながる軍制、八柱国・十二大将軍、六官制を整えた。蜀・江陵への領土拡大、関隴集団の形成、宇文護への政権継承まで、北周を経て隋唐へつながった宇文泰の生涯と政治・軍事改革を史書から詳しく解説する。
032.権臣

【北周】宇文護|二帝を死に追いやり北周三代を支配した権臣

宇文護(うぶんご)は、宇文泰の遺命を受けて西魏末の実権を握り、北周建国を主導した権臣。趙貴・独孤信を排除し、孝閔帝を廃位・殺害、明帝を毒殺して武帝を擁立し、約15年にわたり軍政を掌握した。北斉との洛陽攻防、母との35年ぶりの再会、武帝が「酒誥」を利用して仕掛けた宮中暗殺まで、その権力の実態と最期を詳しく紹介する。
032.権臣

【東魏】高澄|東魏を支配した若き実力者・孝静帝との対立と侯景離反、北斉建国直前の暗殺

高澄(こうちょう)は高歓の長男として若くから東魏の政治に参加し、人事改革や綱紀粛正を進めた実力者である。父の死後に政権を継承すると、侯景の離反を慕容紹宗らによって退け、孝静帝の高氏排除計画を封じて権力を掌握。さらに西魏の王思政が守る潁川を攻略し、北斉建国を目前にしながら29歳で蘭京に暗殺されるまでの生涯を詳しく解説する。
032.権臣

【北魏】爾朱栄|河陰の変と北魏崩壊を導いた軍閥の実像

北魏末期の権臣・爾朱栄(じしゅえい)の生涯を詳説。河陰の変、孝荘帝擁立、六鎮の乱平定などの戦功と専横、そして暗殺までを史実に基づき解説。軍事力による政権掌握の実態と東西魏体制への影響を読み解く。
031.皇族・王族

【南朝陳】陳叔陵(始興王)|墓を暴き、兄・陳叔宝を襲った陳宣帝の皇子

陳叔陵(ちんしゅくりょう)は南朝陳の宣帝・陳頊の皇子で、後主・陳叔宝の異母弟である。始興王として江州を治める一方、墓を暴いて遺骨を集めた奇行でも知られた。582年、父の死直後に皇太子陳叔宝を薬刀で襲撃して重傷を負わせ、皇位奪取を図るが失敗。東府城で挙兵した末、蕭摩訶の軍に敗れて殺害された。その生涯と政変の経緯を詳しく解説する。
06.女傑

冼夫人|梁・陳・隋を渡り歩いた“嶺南の女王”の実像

冼夫人(せんふじん)は嶺南の俚人有力者の家に生まれ、高涼太守・馮宝と結婚した女性指導者である。梁末の混乱では陳覇先に協力し、陳代には欧陽紇の反乱に対処。589年の陳滅亡を嘆いた後は隋に帰順し、嶺南安定に尽力した。譙国夫人への冊封、趙訥の処罰、隋書に「聖母」と称された生涯と功績を詳しく解説する。
人物一覧

蘭京|高澄暗殺と東柏堂事件を史実から解説

蘭京(らんけい)とは、南朝梁の名将・蘭欽の子でありながら東魏の捕虜となり、高澄のもとで使役された人物。父による身請けや帰還の願いを拒まれ、杖罰を受けた末に暗殺を計画し、549年に鄴の東柏堂で北斉建国を目前にした高澄を殺害した。高洋も同時に狙った計画、東柏堂事件の経緯、高洋による鎮圧と北斉建国への影響まで史実から解説する。
033.武将

【南朝宋】檀道済|「万里の長城」と呼ばれた名将

檀道済(たんどうせい)は劉裕の挙兵に従い、後秦北伐や南朝宋の建国を支えた名将である。少帝劉義符の廃立にも関与し、文帝期には北魏軍と戦い、兵糧不足を「唱籌量沙」で切り抜けた。軍事的名声を警戒され436年に処刑され、「万里の長城」を壊すのかと叫んだ最期や「三十六計」伝説まで詳しく解説する。
031.皇帝

【北斉】高緯|北斉滅亡を招いた「無愁天子」の生涯

後主・高緯(こうい)は、9歳で即位した北斉第五代皇帝。和士開・陸令萱らを重用し、名将・斛律光を誅殺、蘭陵王・高長恭にも死を命じた。馮小憐を寵愛するなか北周の宇文邕が侵攻。平陽・晋陽で敗れ、鄴を捨てて逃亡した「無愁天子」高緯の生涯と北斉滅亡を史書から詳しく解説する。
02.妃賓

【北斉】馮小怜|北斉を滅亡へ導いた「妖妃」と呼ばれた傾国の美女の生涯

馮小怜(ふうしょうれん)は、北斉後主・高緯の寵愛を独占した淑妃。平陽陥落の急報より狩猟を優先させた逸話や、戦場へ同行して軍事判断にも影響したと史書に描かれる。北斉滅亡後は北周へ連行され、宇文達の側室となった後、楊麗華の母・独孤伽羅との因縁から死を命じられた。その生涯と「亡国の妖妃」像の実像を詳しく解説する。