南北

031.皇帝

【南朝宋】劉彧(明帝)|前廃帝討伐と反乱鎮圧、孝武帝の男子28人粛清の実態

劉彧(りゅういく/明帝)文帝劉義隆の子で、前廃帝劉子業から「猪王」と呼ばれ虐待された南朝宋皇帝である。劉子業殺害後に即位すると、皇帝を称した劉子勛との内戦を制圧する一方、北魏の侵攻で淮北を喪失。孝武帝劉駿の諸子や兄弟を次々と排除し、幼い劉昱へ皇位を残すまでの生涯を詳しく解説する。
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【南朝宋】劉昱(後廃帝)|少年皇帝の暴走と蕭道成による政権掌握までを徹底解説

劉昱(りゅういく/後廃帝)は明帝劉彧の子で、10歳で南朝宋皇帝となった。劉休範・劉景素の反乱を経て蕭道成が台頭する一方、劉昱は宮外を徘徊し、通行人を無差別に殺すなどの異常な行動が史書に記される。蕭道成も殺害しようとしたが、477年に近臣の楊玉夫らに殺され、14歳で生涯を終えた。
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【南朝宋】劉準(順帝)|「帝王の家に生まれたくない」と泣いた少年皇帝の結末

劉準(りゅうじゅん/順帝)は南朝宋最後の皇帝である。後廃帝劉昱の死後、わずか10歳で蕭道成に擁立され、袁粲や沈攸之らの抵抗が相次ぐ中で実権を失っていった。479年、蕭道成への禅譲によって宋は滅亡。「来世では二度と帝王の家に生まれたくない」と泣いたと史書に伝わる少年皇帝の生涯と、13歳で迎えた結末を詳しく解説する。
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【北斉】高洋(文宣帝)|天才と狂気の二面性を持つ北斉初代皇帝

高洋(こうよう/文宣帝)は、東魏の実権を握った高歓の次男で、兄・高澄の暗殺後に政権を掌握し、550年に北斉を建国した初代皇帝。契丹・柔然への親征や長城築造、行政改革で国力を高める一方、晩年は酒乱と暴虐を深めた高洋の生涯と治世を史書から詳しく解説する。
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【北周】宇文贇(宣帝)|北周崩壊を体現した皇帝

北周第4代皇帝・宇文贇(うぶんいん/宣帝)は武帝の後を継いで即位すると、名将・宇文憲らを粛清し、五人の皇后を並立させ、苛烈な刑罰と奢侈に走った。さらに幼い息子へ譲位して天元皇帝を称し、独自の権威を追求するが22歳で急死。その死によって生じた権力の空白から楊堅が実権を掌握し、北周滅亡と隋建国へ至るまでの経緯を詳しく解説する。
031.皇帝

【北周】宇文邕(武帝)|宇文護を倒し北斉を滅ぼした北周最強の皇帝

宇文邕(うぶんよう/北周武帝)は、兄二帝を死に追いやった権臣・宇文護のもとで約12年耐え、572年に宮中で宇文護を誅殺して親政を開始した北周第三代皇帝。軍制・統治体制を再編し、574年には仏教・道教を廃止、575年から北斉攻略に乗り出し、577年に鄴を陥落させて北斉を滅ぼした。華北統一後も南朝陳・突厥への攻勢を続けながら、578年に36歳で急死するまで、北周を最盛期へ導いた宇文邕の生涯と政治・軍事改革を『周書』『北史』『資治通鑑』から詳しく解説する。
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【北斉】高湛(武成帝)|北斉を傾けた美貌の皇帝と退廃の時代

高湛(こうたん)は北斉第四代皇帝・武成帝。兄・高演と楊愔らを排除する政変に加わり、高殷の廃位を経て即位した。高百年殺害、胡皇后と和士開を中心とする宮廷政治、太上皇となった後も握り続けた実権、北周との攻防まで、北斉衰退へつながる治世と生涯を詳しく解説する。
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【南朝梁】蕭衍|南朝梁を建国した名君と侯景の乱による崩壊

蕭衍(しょう えん/武帝)の生涯を詳説。南朝梁の建国、制度改革と仏教傾倒、陳慶之の北伐、そして侯景の乱による崩壊までを史実ベースで解説する。
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【南朝陳】陳覇先|王僧弁を討ち梁の崩壊を収拾して陳を建てた軍人

陳覇先(ちんはせん)は侯景の乱で王僧弁と合流して建康奪還に貢献し、南朝陳を建国した初代皇帝・武帝である。梁元帝の死後、北斉が蕭淵明を擁立すると王僧弁を殺害して蕭方智を擁立。王僧弁派や蕭勃を破り、北斉軍の侵攻も撃退して実権を掌握し、557年に梁から禅譲を受けた。その生涯と陳建国までの政争を詳しく解説する。
02.妃賓

【南朝陳】張麗華|『玉樹後庭花』に象徴された傾国の美女

張麗華(ちょうれいか)は南朝陳の後主・陳叔宝に寵愛された貴妃である。侍女から後宮で地位を高め、聡明さと優れた記憶力で政務にも影響したと史書に記される。589年に隋軍が建康を攻略すると陳叔宝・孔貴嬪と井戸へ隠れて捕らえられ、のち処刑された。二人の皇子、政治への関与、後世の「傾国の美女」像まで詳しく解説する。