01.皇后

【元】奇皇后|高麗出身の貢女から元の皇后へ上り詰めた女性の生涯

奇皇后(きこうごう)は高麗出身で元の順帝の皇后となり、宮廷で大きな影響力を持った女性である。高麗と元の政治関係にも関わり、実権を握った皇后として知られる。その生涯と権力の背景を解説する。
01.皇后

【隋】独孤伽羅|隋の建国を支え「二聖」と称された文献皇后

独孤伽羅(どっこから/独孤皇后)は北周の重臣・独孤信の娘として生まれ、14歳で楊堅に嫁ぎ、隋建国後に皇后となった女性である。文帝と政治を論じ「二聖」と称された一方、夫に他の女性との子を持たせず、寵愛した尉遅氏をめぐる激しい逸話も残る。皇太子楊勇を嫌い、晋王楊広を支持したことは隋の皇位継承にも影響した。夫婦の誓いから政治参加、楊広が皇太子となるまでを詳しく解説する。
01.皇后

【秦】宣太后|秦を動かした史上初の「太后政治」芈八子の野望と義渠王の伝説

宣太后(せんたいごう)は戦国時代の秦で実権を握った太后で、昭襄王の母として政治を主導した人物。義渠王との関係や粛清事件など、秦の国政に大きな影響を与えた女性権力者として知られる。その生涯と政治的役割を解説する。
03.公主

【唐】金城公主|唐と吐蕃の戦争の中で外交を担った公主

金城公主(きんじょうこうしゅ)は唐の宗室から公主に封じられ、710年に吐蕃王ティデ・ツクツェンへ嫁いだ女性である。文成公主に続く唐蕃間の婚姻として吐蕃で約30年を過ごし、戦争と和平を繰り返す両国の間で唐朝への働きかけを続けた。河西九曲をめぐる問題や730年の赤嶺の会盟、唐との外交関係、741年に吐蕃で生涯を終えるまでを詳しく解説する。
03.公主

【唐】文成公主|チベット仏教をもたらし観音菩薩と崇められた唐の公主

文成公主(ぶんせいこうしゅ)は唐の時代に吐蕃(チベット)の王ソンツェン・ガンポに嫁いだ公主。唐と吐蕃の外交関係を象徴する人物であり、仏像や経典を持ち込みチベット仏教の伝来に関わったと伝えられる。チベットでは観音菩薩の化身として語られることもある。
03.公主

【隋】義成公主|四代の突厥可汗に嫁ぎ、隋滅亡後も旧王朝を支えた公主

義成公主(ぎせいこうしゅ)は隋から東突厥へ嫁ぎ、啓民・始畢・処羅・頡利可汗の時代を生きた和親公主である。雁門で煬帝が包囲された際には撤兵につながる情報を伝え、隋滅亡後は蕭皇后と煬帝の孫・楊政道を突厥へ迎えて旧隋勢力を支えた。唐と東突厥の対立が深まる中、630年の李靖による遠征でその生涯を終えるまでを詳しく解説する。
03.公主

【隋】南陽公主|父・煬帝を殺した一族に嫁ぎ、夫との復縁を拒んだ隋の皇女

南陽公主(なんようこうしゅ)は隋煬帝・楊広の長女で、重臣宇文述の子・宇文士及に嫁いだ皇女である。しかし618年、夫の兄・宇文化及らが江都で煬帝を弑し、運命は一変する。宇文化及敗亡後には、父を殺した一族の血を引く実子・宇文禅師の処分という過酷な選択を迫られた。出家後、唐に仕えた宇文士及から復縁を求められても拒んだと伝わる、その生涯を詳しく解説する。
03.公主

【北周】楊麗華|北周最後の皇后となり隋の楽平公主として生きた生涯

楊麗華(ようれいか)は楊堅と独孤伽羅の長女で、北周宣帝・宇文贇の皇后となった女性である。夫から死を命じられかけるが母の嘆願で助かり、宣帝の死後には父・楊堅が北周の実権を掌握。581年に父が隋を建国すると楽平公主となったが、北周を奪った父の行動を喜ばなかったと史書は伝える。娘・宇文娥英への愛情や李敏との婚姻、煬帝時代まで生きたその生涯を詳しく解説する。
03.公主

【唐】新城公主|太宗李世民の末娘、二度の結婚と謎を残した死

新城公主(しんじょうこうしゅ)は唐の皇帝・太宗李世民と長孫皇后の娘。二度の結婚を経験したが、二人目の夫による虐待が原因とされる不審な死を遂げた。皇帝高宗は激怒し、夫を処刑した。本記事では新城公主の生涯と事件の背景を解説する。
03.公主

【北宋】趙福金|靖康の変で運命を翻弄された徽宗の娘

趙福金(ちょうふくきん)は、北宋の徽宗と明達皇后劉氏の娘で、茂徳帝姫の称号を持つ皇女。宰相蔡京の子・蔡鞗に嫁いだが、1127年の靖康の変で金軍に引き渡され、完顔宗望のもとへ送られた。宗望の死後は完顔希尹に引き取られ、1128年8月、その陣営で死去した。美貌を理由に金側から指名された経緯、宋朝廷による引き渡し、捕虜となった皇族女性の境遇と短い生涯をたどる。