01.皇后

【唐】武則天(則天武后)|中国唯一の女帝が皇帝になるまでと治世

武則天(ぶそくてん)は唐太宗の才人から高宗の皇后となり、690年に武周を建国した中国史上唯一の女帝である。王皇后・蕭淑妃との後宮争いを経て政治権力を掌握し、李唐皇族の粛清や酷吏政治を進める一方、科挙を通じて人材を登用。狄仁傑らを重用し、武氏への皇位継承問題、張易之・張昌宗の寵遇、705年の神龍政変と退位まで詳しく解説する。
034.文人・学者

宋玉|楚辞文学を代表する文人と中国史の美男子

宋玉(そうぎょく)とはどんな人物だったのか。戦国時代の楚で活躍した文人で、楚辞文学の代表作家とされる人物である。登徒子好色賦の逸話、巫山神女の物語、屈原との関係、美男子の象徴として語られる理由などをわかりやすく解説。
033.武将

【呉】周瑜|赤壁の戦いで曹操を破った名将「美周郎」の実像

周瑜(しゅうゆ)は、孫策と義兄弟のような親交を結び、孫権を支えた後漢末の名将。小喬を妻とし、赤壁の戦いでは曹操への降伏論に反対して水軍を率い、黄蓋の火攻めで曹操軍を撃破した。続く江陵攻略では曹仁と戦い、益州を奪って曹操に対抗する天下二分の構想を進言したが、210年に36歳で病死。「曲有誤、周郎顧」の逸話や、諸葛亮との対立を描く『三国志演義』との違いにも触れる。
037.宦官

韓全誨|昭宗を鳳翔へ連行した唐末の宦官と朱全忠との対立

韓全誨(かんぜんかい)は唐末の宦官で、劉季述の失脚後に神策軍護軍中尉となり、宮廷の軍事権を掌握した。宰相崔胤による宦官排除に対抗して鳳翔節度使・李茂貞と結び、901年には抵抗する昭宗を皇族とともに鳳翔へ強制連行。朱全忠による包囲戦で城内は深刻な飢餓に陥り、903年には李茂貞によって処刑された。昭宗の連行から宦官の大量粛清、朱全忠による朝廷掌握までをたどる。
037.宦官

劉季述|昭宗を廃位し、皇太子を擁立した唐末の宦官

劉季述(りゅうきじゅつ)は唐末の宦官で、神策軍を掌握し、900年に昭宗を廃位した人物。宰相崔胤との対立、王仲先らと起こした光化三年の変、昭宗と何皇后の少陽院幽閉、皇太子李裕の擁立、百官への署名強制と詔書の偽造、孫徳昭らによる反撃と901年の殺害まで、唐末の宮廷を揺るがした政変の経緯を詳しく紹介する。
037.宦官

楊復恭|昭宗を擁立した唐末の権力宦官と養子軍団の反乱

楊復恭(ようふくきょう)は、唐末に田令孜と対立し、その失脚後に神策軍を掌握した宦官。僖宗の死後に昭宗を擁立して朝廷の実権を握り、養子600人を各地の監軍に配置して「外宅郎君」と呼ばれる勢力を築いた。外戚王瓌の殺害疑惑、李克用討伐をめぐる昭宗との対立、養子楊守立(李順節)の離反、891年の長安での武力衝突、楊守亮らと興元で抗戦した経緯、李茂貞による討伐と韓建に捕らえられて処刑されるまでをたどる。
037.宦官

田令孜|皇帝を連れ回して政治を混乱させた宦官

田令孜(でんれいし)は唐末の僖宗から「阿父」と呼ばれ、神策軍を掌握して朝廷の実権を握った宦官。黄巣の乱による長安陥落と蜀への逃亡、兄の陳敬瑄を西川節度使に据えた権力基盤、塩池の利権をめぐる王重栄との対立、李克用との戦争、朱玫による李熅擁立、僖宗を連れた二度目の逃亡、失脚後に王建によって殺害されるまでの生涯をたどる。
037.宦官

【唐】王守澄|憲宗末から文宗期に神策軍と枢密を握った宦官

王守澄(おうしゅちょう)は唐後期に神策軍を掌握し、穆宗・敬宗・文宗三代で権勢を振るった宦官である。憲宗の死と穆宗即位に深く関与し、宋申錫を失脚させ、鄭注を登用して朝政への影響力を拡大。しかし宦官排除を図る文宗と李訓らの策によって835年に毒殺された。甘露の変へ至る宦官政治とその生涯を詳しく解説する。
037.宦官

【唐】仇士良|甘露の変から武宗擁立まで神策軍を握った宦官

仇士良(きゅうしりょう)は神策軍を掌握し、唐後期の朝廷で強大な権力を握った宦官である。文宗と李訓・鄭注が宦官排除を図った835年の甘露の変を制圧し、宰相らへの大規模な粛清を主導。文宗死後の皇位継承にも介入して武宗を擁立した。王守澄との権力争いから李徳裕との関係、引退と死後の追及まで詳しく解説する。
02.妃賓

珍妃|光緒帝に愛され、井戸に投げ込まれた清朝最後の悲劇

珍妃(ちんぴ)は姉・瑾妃とともに光緒帝の後宮へ入り、その寵愛を受けた他他拉氏の妃である。売官問題で降格され、戊戌変法後には宮中に幽閉された。1900年、八カ国連合軍が北京へ迫る中で井戸に落とされ死亡。西太后との関係、光緒帝との結婚生活、処刑をめぐる史料と珍妃井まで詳しく解説する。