033.武将

【南朝陳】韓子高|文帝に寵愛された美貌の武将の生涯

韓子高(かんしこう)は本名を韓蛮子といい、陳文帝・陳蒨に仕えた南朝陳の武将である。美貌を見込まれて側近となり、杜龕・張彪討伐や王琳との戦いで軍功を重ねて将軍へ昇進。文帝との親密な関係から後世には「男皇后」伝説も生まれた。文帝死後の政変で謀反を疑われ、566年に処刑されるまでの生涯を史書から詳しく解説する。
033.武将

【唐】裴行倹|西域を平定した唐の儒将の生涯・逸話・突厥討伐を解説

裴行倹(はいこうけん)は名門・河東裴氏に生まれ、蘇定方から兵法を学んだ唐代の名将・官僚である。武則天の立后に反対して西州へ左遷されるが、西域経営で頭角を現し、西突厥の阿史那都支を策略によって捕らえ、東突厥の反乱にも出征した。吏部侍郎としての人材登用、初唐四傑の将来を見抜いた逸話、書家・軍事理論家としての一面まで詳しく解説する。
033.武将

【西魏】独孤信|三王朝の皇后の祖で八柱国の一人

独孤信(どっこしん)は北魏末から西魏にかけて活躍し、宇文泰を支えた八柱国の一人である。騎射に優れ「独孤郎」と呼ばれ、隴右統治でも実績を残したが、宇文護との政争の中で自害を命じられた。一方、娘たちは北周明帝の皇后、隋文帝楊堅の皇后・独孤伽羅、唐高祖李淵の母となり、北周・隋・唐三王朝の皇室へつながった。その生涯と「三皇后の父」と呼ばれる家系、側帽の逸話まで詳しく解説する。
033.武将

【唐】高仙芝|パミールを越えた名将・タラスの敗戦から潼関での処刑まで

高仙芝(こうせんし)は高句麗系の出自を持ち、安西都護府で頭角を現した唐玄宗期の名将である。小勃律遠征でパミールを越えて勝利し、石国攻略やタラス河畔の戦いを指揮。安史の乱では封常清と潼関を守ったが、宦官・辺令誠の告発を受け玄宗の勅命で処刑された。西域での軍功から悲劇的な最期まで詳しく解説する。
033.武将

【南朝梁】陳慶之|梁の名将 白袍将軍伝説

南北朝時代の名将・陳慶之(ちんけいじ)を徹底解説。7000兵で47戦無敗、32城陥落、洛陽を攻略した白袍将軍の戦略、逸話、敗北と生還、史実と伝説の違いまで詳しく紹介。
033.武将

【北斉】斛律光|北斉最強の名将と称された落雕都督の生涯

斛律光(こくりつこう)は、名将・斛律金の子として北斉の軍事を支え、「落雕都督」と呼ばれた名将。洛陽救援では北周軍を破って王雄を射殺し、宜陽・汾北をめぐる戦いでも宇文憲らと激戦を重ね、北周にとって大きな脅威となった。しかし韋孝寛の離間策と祖珽・穆提婆らとの政争が重なり、572年に後主・高緯によって誅殺される。斛律光の出自と戦歴、北周との攻防、讒言による最期、わずか5年後の北斉滅亡に与えた影響まで『北斉書』『北史』『資治通鑑』から詳しく解説する。
033.武将

【北斉】高長恭|仮面の美将「蘭陵王」と呼ばれた悲劇の皇族

高長恭(こうちょうきょう/蘭陵王)は、北斉の実力者・高澄の子として生まれ、「貌柔心壮、音容兼美」と正史に記された皇族武将。突厥の晋陽侵攻を防ぎ、邙山の戦いではわずか500騎で北周軍へ突入して金墉城を救援、その武勇は『蘭陵王入陣曲』として歌われた。段韶とともに柏谷・定陽でも戦功を重ねる一方、名声を後主・高緯に警戒され、自ら評判を落として身を守ろうとするまで追い詰められ、573年に毒薬を賜って死去する。仮面伝説の史実性、将兵に慕われた人物像、皇帝の猜疑を招いた「家事」の発言から悲劇的な最期まで、『北斉書』『北史』『資治通鑑』をもとに詳しく解説する。
033.武将

蘭欽|北魏・西魏を破り、広州で毒殺された南朝梁の名将

蘭欽(らんきん)は南朝梁の武将で、蕭城・擬山城・厥固を攻略し、北魏の諸将を撃破した。桂陽・陽山・始興の反乱を鎮圧し、梁州・漢中では西魏軍を破り、宇文泰が馬二千匹を贈って友好を求めた。衡州刺史として善政を行い曲江県公に昇進したが、広州刺史への赴任時に蕭恬によって毒殺された。陳慶之と並ぶ史書の評価や息子・蘭京との関係も紹介する。
032.権臣

【魏】司馬師|魏を支配した実力者の生涯と政変・皇帝廃立を解説

司馬師(しばし)は、父・司馬懿の死後、魏の実権を継承した三国時代の権力者。高平陵の変での曹爽一派の排除、李豊・夏侯玄らの粛清、皇帝曹芳の廃位と曹髦の擁立、毌丘倹・文欽の乱の鎮圧、眼病の悪化による急死まで、司馬氏による魏の支配を決定づけた政治と生涯を詳しく紹介する。
032.権臣

【北魏】爾朱栄|河陰の変と北魏崩壊を導いた軍閥の実像

北魏末期の権臣・爾朱栄(じしゅえい)の生涯を詳説。河陰の変、孝荘帝擁立、六鎮の乱平定などの戦功と専横、そして暗殺までを史実に基づき解説。軍事力による政権掌握の実態と東西魏体制への影響を読み解く。