036.女性

01.皇后

【唐】韋皇后|中宗と流謫を耐え、唐隆の変に倒れた「第二の武則天」

韋皇后(いこうごう)は唐中宗・李顕の皇后で、武則天による夫の廃位と房州流謫をともに経験した。中宗復位後は安楽公主・武三思・上官婉児らと宮廷政治に深く関与し、李重俊の反乱を経て権勢を拡大。中宗急死後に温王李重茂を擁立したが、710年に李隆基と太平公主が起こした唐隆政変で殺害された。中宗毒殺説を含む生涯と実像を詳しく解説する。
03.公主

【唐】文成公主|チベット仏教をもたらし観音菩薩と崇められた唐の公主

文成公主(ぶんせいこうしゅ)は唐の時代に吐蕃(チベット)の王ソンツェン・ガンポに嫁いだ公主。唐と吐蕃の外交関係を象徴する人物であり、仏像や経典を持ち込みチベット仏教の伝来に関わったと伝えられる。チベットでは観音菩薩の化身として語られることもある。
03.公主

【北宋】福康公主|仁宗に溺愛された北宋皇女の我儘人生

福康公主(ふくこうこうしゅ)は北宋仁宗と苗氏の娘で、仁宗が特に寵愛した皇女である。李瑋との結婚と激しい不和、宦官・梁懐吉との親密な関係、夜間に宮門を開かせた事件、司馬光ら臣下の諫言、降格と復位、仁宗死後に困窮した晩年まで、『宋史』などをもとにその波乱の生涯と人物像を詳しく解説する。
03.公主

【唐】金城公主|唐と吐蕃の戦争の中で外交を担った公主

金城公主(きんじょうこうしゅ)は唐の宗室から公主に封じられ、710年に吐蕃王ティデ・ツクツェンへ嫁いだ女性である。文成公主に続く唐蕃間の婚姻として吐蕃で約30年を過ごし、戦争と和平を繰り返す両国の間で唐朝への働きかけを続けた。河西九曲をめぐる問題や730年の赤嶺の会盟、唐との外交関係、741年に吐蕃で生涯を終えるまでを詳しく解説する。
05.才女

【唐】薛濤・魚玄機・李冶|唐代「才色兼備」を象徴する三大女詩人

唐代三大女詩人と称される魚玄機・薛濤・李冶とはどんな女性だったのか。女道士となり恋愛詩を残した魚玄機、成都で多くの文人と交流し「薛濤箋」でも知られる薛濤、詩才を認められ宮廷にも召された李冶。三人の波乱に富んだ生涯、恋愛や文人との交流、代表的な詩と後世の評価を比較しながら詳しく解説する。
03.公主

【南朝宋】劉楚玉|「三十人の面首」で知られる山陰公主

劉楚玉(りゅうそぎょく)は南朝宋の孝武帝劉駿の娘で、前廃帝劉子業の同母姉にあたる山陰公主である。何戢と結婚したが、弟に男女の不公平を訴え、30人の面首を与えられたと史書は伝える。さらに褚淵を求めた逸話でも知られ、劉子業殺害後の465年、明帝劉彧の命で賜死となった。その生涯と史書が描く実像を詳しく解説する。
03.公主

【唐】高陽公主|僧侶との密通と房遺愛謀反事件で破滅した李世民の娘

高陽公主(こうようこうしゅ)は唐太宗・李世民の娘で、宰相・房玄齢の子である房遺愛に嫁いだ皇女である。僧・辯機との密通と太宗による処刑、父帝との対立、房遺愛らが関与した謀反事件、653年に賜死された最期まで、『旧唐書』『新唐書』『資治通鑑』をもとにその生涯と事件の実像を詳しく解説する。
03.公主

【唐】太平公主|武則天の娘から玄宗最大の政敵へ 唐王朝を揺るがした皇女の生涯

太平公主(たいへいこうしゅ)は高宗と武則天の娘で、唐の皇女として朝廷に大きな権力を持った。薛紹・武攸曁との結婚を経て政治に関与し、中宗死後は李隆基と協力して韋皇后・安楽公主を排除。睿宗朝で勢力を拡大した後、皇太子李隆基と対立し、玄宗即位後の先天政変に敗れて賜死された。その生涯と武則天以後の皇位継承争いを詳しく解説する。
03.公主

【呉】孫魯班|二宮事件を主導した呉最大の権力者・全公主の生涯

孫魯班(そんろはん/全公主)は孫権と歩練師の長女であり、二宮事件で孫覇派の中心人物として活動した呉の公主である。周循・全琮との結婚、王夫人への讒言、孫和失脚工作、孫魯育誅殺、孫亮政権での権勢、失脚とその後までを史実をもとに詳しく解説する。
01.皇后

【北斉】婁昭君|高歓を支え北斉皇室の母となった武明皇后の生涯

婁昭君(ろうしょうくん)とは、北斉の基礎を築いた神武帝・高歓の妻で、文宣帝高洋・孝昭帝高演・武成帝高湛らの母。無名時代の高歓を自ら夫に選び、その密謀に加わって台頭を支えた。柔然との政略結婚、侯景への進言、高殷の廃位などにも関与した北斉の「国母」の生涯と政治的影響を史実から解説する。