036.女性

01.皇后

【唐】武則天(則天武后)|中国唯一の女帝が皇帝になるまでと治世

武則天(ぶそくてん)は唐太宗の才人から高宗の皇后となり、690年に武周を建国した中国史上唯一の女帝である。王皇后・蕭淑妃との後宮争いを経て政治権力を掌握し、李唐皇族の粛清や酷吏政治を進める一方、科挙を通じて人材を登用。狄仁傑らを重用し、武氏への皇位継承問題、張易之・張昌宗の寵遇、705年の神龍政変と退位まで詳しく解説する。
02.妃賓

珍妃|光緒帝に愛され、井戸に投げ込まれた清朝最後の悲劇

珍妃(ちんぴ)は姉・瑾妃とともに光緒帝の後宮へ入り、その寵愛を受けた他他拉氏の妃である。売官問題で降格され、戊戌変法後には宮中に幽閉された。1900年、八カ国連合軍が北京へ迫る中で井戸に落とされ死亡。西太后との関係、光緒帝との結婚生活、処刑をめぐる史料と珍妃井まで詳しく解説する。
01.皇后

西太后(慈禧太后)|清朝末期の政治を動かした皇太后の生涯

西太后(慈禧太后)は咸豊帝の妃から同治帝の生母となり、辛酉政変後に東太后と垂簾聴政を行った清末の皇太后である。光緒帝擁立、日清戦争、戊戌変法と光緒帝幽閉、義和団事件、西安避難、清末新政まで約半世紀の政治に関与した。その権力掌握と「悪女」像の実像を詳しく解説する。
06.女傑

蘇三娘|太平天国で戦った女性指導者の生涯と最期

蘇三娘(そさんじょう)は太平天国に参加し、南京攻略前後に活動したと伝わる女性武将である。広西の武装勢力から太平軍に加わり、羅大綱らと行動したとされる一方、男装・飛鏢・仇討ちなど有名な女傑像には後世の伝説も多い。女軍との関係や鎮江方面での活動、史料から消息が途絶える最期まで、史実と伝承を分けて詳しく解説する。
06.女傑

洪宣嬌|太平天国で「女軍」を率いた女性指導者の実像と謎

洪宣嬌(こうせんきょう)は洪秀全の妹で、蕭朝貴の妻となり太平天国の「女軍」を率った女性として語られてきた。しかし初期史料ではその実像を確認しにくく、名前や出自、軍事活動には多くの疑問が残る。金田蜂起や女営との関係、女性武将として広まった逸話、実在説をめぐる史料上の問題と最期の諸説まで詳しく解説する。
06.女傑

王聡児|清朝を震撼させた白蓮教徒を率いた女性反乱指導者

王聡児(おうそうじ)は清朝嘉慶年間の川楚白蓮教徒の反乱を率いた女性指導者である。夫・斉林が処刑された後、1796年に姚之富らと湖北で挙兵し、河南・陝西・四川方面を転戦して清軍と戦った。総教師として勢力を率いるが、1798年に追い詰められ姚之富とともに崖から身を投じたと伝わる。その生涯と清朝を揺るがした反乱を詳しく解説する。
03.公主

固倫和孝公主|乾隆帝が溺愛した末娘と和珅一族の運命

固倫和孝公主(こりんわこうこうしゅ)は乾隆帝の第十皇女で、惇妃汪氏との間に生まれた末娘である。皇后の娘ではないながら最高位の固倫公主に封じられるほど父帝に寵愛され、和珅の長男・豊紳殷徳と結婚した。乾隆帝死後、嘉慶帝が和珅を粛清すると夫も処分を受け、公主の立場は一変する。破格の待遇を受けた少女時代から和珅一族没落後の晩年まで詳しく解説する。
02.妃賓

年貴妃|雍正帝に仕えた年羹堯の妹、敦粛皇貴妃の生涯

年貴妃(ねんきひ/年氏)は年羹堯の妹で、皇子時代の雍正帝に側福晋として嫁いだ女性である。福宜・福恵・福沛ら三男一女を産むが、子供はいずれも成人しなかった。雍正帝即位後は貴妃となり、病状が悪化すると皇貴妃へ昇進。兄・年羹堯が失脚する中でも厚遇され、死後は敦粛皇貴妃と諡され泰陵に従葬された。その生涯と雍正帝との関係を詳しく解説する。
02.妃賓

董鄂妃|順治帝が溺愛した順治帝の出家伝説

董鄂妃(ドンゴヒ)は順治帝の寵愛を受け、入宮後わずかな期間で皇貴妃へ昇進した清朝の妃である。皇四子を産むが幼くして失い、自身も22歳で死去。順治帝は深く悲しみ、皇后に追尊して自らその生涯を記した。皇帝が翌年に急逝したことで生まれた五台山出家伝説や董小宛との同一人物説まで、史実と伝説を分けて詳しく解説する。
01.皇后

孝荘文皇后(孝荘太后)とは|ホンタイジ・順治帝・康熙帝の三代を生きた清朝の太皇太后

孝荘文皇后(孝荘太后)はモンゴル・ホルチン部出身で、ホンタイジの荘妃となり順治帝を産んだ女性である。ホンタイジ急死後の幼帝即位とドルゴン摂政、清の北京入城を経験し、順治帝死後は太皇太后として幼い康熙帝を支えた。清朝三代にわたる生涯と政治的影響、ドルゴンとの再婚説など後世の伝説まで詳しく解説する。