036.女性

05.才女

秦淮八艶|明末清初を生きた八人の名妓

秦淮八艶(しんわいはちえん)は明末清初、南京の秦淮河周辺の文化と結びつけて語られる八人の名妓。柳如是と銭謙益、李香君と侯方域、董小宛と冒襄の関係をはじめ、顧横波・卞玉京・寇白門・馬湘蘭・陳円円の詩画や芸能、明朝滅亡後の境遇をたどる。清朝への抵抗や復明運動、桃花扇に残る逸話と史実の違いも取り上げる。
03.公主

長平公主|崇禎帝に左腕を斬られ、明滅亡後も生き延びた皇女の生涯

長平公主(ちょうへいこうしゅ)は明最後の皇帝・崇禎帝の娘。1644年の北京陥落で父帝に左腕を斬られながら生き延び、清朝下で出家を願うも認められず、婚約者の周顕と結婚した後に若くして病没した。皇太子を名乗る少年の真偽をめぐる事件への関与、独臂神尼の伝説、戯曲『帝女花』に描かれた悲恋まで、史実と創作の違いを明らかにする。
04.美女

陳円円|呉三桂と明清交代の伝説に名を残した秦淮八艶

陳円円(ちんえんえん)は明末清初の名妓。蘇州で名を上げ、冒襄との縁談を経て呉三桂の側室となった。李自成軍による北京占領後、呉三桂が清軍と結んで山海関で戦った経緯、呉偉業の「円円曲」に描かれた「衝冠一怒為紅顔」の由来、三藩の乱と晩年の出家説、貴州に残る墓の伝承まで、史実と後世の物語を区別してたどる。
06.女傑

秦良玉|明末動乱期に白杆兵を率いた女武将の生涯

秦良玉(しんりょうぎょく)は、明末に白杆兵を率いて戦った女性武将。夫・馬千乗の死後に石砫の軍政を継ぎ、後金との渾河の戦いで兄・秦邦屏を失いながらも抗戦を続けた。崇禎帝の北京防衛に駆けつけて詩を賜り、四川では張献忠らの反乱軍と戦った。息子・馬祥麟の戦死、南明への忠誠、死後の石砫防衛まで、その生涯と戦功をたどる。
06.女傑

沈雲英|父の遺体を奪還し、遊撃将軍となった明末の女性武将

沈雲英(しんうんえい)とは、明末に活躍した女性武将。父の遺志を継いで軍を率い、各地で戦功を挙げた女傑である。その生涯や戦い、忠義に生きた最期までをわかりやすく解説。
02.妃賓

鄭皇貴妃|万暦帝の寵妃と国本問題・梃撃の案をめぐる皇位継承争い

鄭皇貴妃(てい こうきひ/孝寧太后)は明の万暦帝に寵愛され、皇三子・朱常洵を産んだ后妃。皇長子・朱常洛の立太子をめぐる国本問題では、息子を皇位に就けようとしたと批判された。三王並封案、二度の妖書案、皇太子襲撃事件「梃撃の案」、泰昌帝急死をめぐる紅丸の案、移宮の案との関係、南明の弘光帝による孝寧太皇太后への追尊まで、その生涯と疑惑の実態をたどる。
02.妃賓

万貴妃|成化帝の19歳年上の寵妃と皇后廃位・皇位継承をめぐる暗闘

万貴妃(ばんきひ)は明の成化帝に寵愛された19歳年上の妃。呉皇后の廃位、皇子の夭折、妃嬪への堕胎強要や弘治帝暗殺未遂の疑惑など、後宮での権力争いに深く関わった。皇子を密かに育てた張敏と呉氏、宦官や外戚との結託、万貴妃の死後に一族が受けた処分まで、史実と伝承を区別してたどる。
01.皇后

胡善祥|罪なくして廃された明宣宗の皇后

胡善祥(こぜんしょう)は、明の宣徳帝・朱瞻基の最初の皇后。皇太孫妃から皇后となったが、男子を産まなかったことを理由に孫貴妃へ地位を譲らされ、楊士奇ら重臣の反対にもかかわらず廃后となった。張太后からはその後も皇后同然に遇され、死後20年を経て名誉を回復した。宣徳帝自身が後に悔いた「無過被廃」の皇后、その生涯をたどる。
01.皇后

徐皇后|北平を守り永楽帝を支えた仁孝文皇后の生涯

徐皇后(じょこうごう)は、名将徐達の娘から永楽帝朱棣の皇后となった仁孝文皇后。靖難の変では女性たちを武装させて北平防衛を支え、即位後は民衆の休養や人材登用を進言した。外戚への恩賞を戒め、漢王朱高煦ら皇子を案じ、『内訓』『勧善書』を著した生涯と政治的役割を解説する。
06.女傑

唐賽児|永楽帝に反旗を翻した白蓮教の女性指導者と1420年の山東反乱

唐賽児(とうさいじ)は明の永楽帝の治世に山東で武装蜂起を率いた女性である。白蓮教系の信仰を背景に「仏母」を称し、重い税や労役に苦しむ民衆を集めて1420年に反乱を起こした。官軍の包囲を夜襲で突破し、反乱鎮圧後も捕らえられず、永楽帝は数万人の尼僧や女道士を捜索させた。宝書と神剣の伝承、反乱の経緯、消息不明となった最期、史書に「妖婦」と記された理由と後世の女英雄像までを解説する。