中国史

037.宦官

【後漢】鄭衆|外戚竇憲を誅した“宦官政治の起点”となった後漢の宦官

鄭衆(ていしゅう)は後漢和帝に仕え、外戚・竇憲一族の排除に協力した宦官である。竇太后と竇氏が朝廷を支配するなか和帝の信任を得て政変を支え、功績により宦官として初めて封侯された。大長秋として重用された生涯、養子への爵位継承と後漢の宦官政治に残した影響まで、『後漢書』をもとに詳しく解説する。
033.武将

【後漢】竇憲|外戚権力の頂点と北方遠征の栄光

竇憲(とうけん)は後漢章帝の皇后・竇太后の兄で、外戚として権力を握った武将である。劉暢殺害事件から北匈奴遠征へ転じ、89年に稽落山で大勝して燕然山に功績を刻んだ。班固らを幕僚に従え、大将軍として朝廷を掌握した専横と、和帝・鄭衆の政変による失脚・自害まで、その生涯と功罪を詳しく解説する。
01.皇后

【後漢】陰麗華|光武帝が「娶妻当得陰麗華」と語った皇后

陰麗華(いんれいか)は後漢の光武帝・劉秀の皇后で、慎み深く賢明な人物として知られる。光武帝が若き日に「仕えるなら陰麗華のような妻」と語った逸話でも有名で、中国史における理想の皇后の一人とされる。その生涯と後漢宮廷の背景を解説する。
033.武将

【秦】司馬錯|蜀併合で秦を「勝てる国」に変えた戦略家の実像

司馬錯(しばさく)は秦の恵文王・昭襄王に仕えた戦国時代の将軍である。張儀が韓攻略を唱える中で巴蜀への進出を主張し、紀元前316年に蜀を攻略。その後も蜀の反乱を鎮圧し、白起と魏を攻め、楚の黔中にも進出した。秦の領土拡大と後の統一戦争を支える基盤形成に関わった生涯を詳しく解説する。
032.権臣

【魏】司馬昭|魏を終わらせ晋へ導いた実力者の生涯と評価

司馬昭(しばしょう)は、兄・司馬師の死後に魏の実権を継承し、西晋建国の基盤を築いた権力者。諸葛誕の反乱と寿春包囲戦、皇帝曹髦による討伐の決起と成済による殺害、「司馬昭の心、路人皆知る」の故事、鍾会・鄧艾を派遣した蜀征伐と劉禅の降伏、晋公から晋王への昇進、後継者司馬炎への権力継承まで、魏から晋への政権移行を主導した生涯をたどる。
01.皇后

【魏】張春華|司馬懿の正妻で司馬師・司馬昭の母、その実像を解説

張春華(ちょうしゅんか)は、三国時代の魏の権力者・司馬懿の正妻で、司馬師・司馬昭の母。司馬懿の仮病を目撃した侍女を殺害して秘密を守った逸話、柏夫人への寵愛による夫婦関係の悪化、絶食して抗議した事件、息子たちを巻き込んだ騒動、死後に西晋の宣穆皇后として追尊されるまで、司馬氏一族の権力形成を支えた女性の生涯と人物像を紹介する。
033.武将

【南朝宋】檀道済|「万里の長城」と呼ばれた名将

檀道済(たんどうせい)は劉裕の挙兵に従い、後秦北伐や南朝宋の建国を支えた名将である。少帝劉義符の廃立にも関与し、文帝期には北魏軍と戦い、兵糧不足を「唱籌量沙」で切り抜けた。軍事的名声を警戒され436年に処刑され、「万里の長城」を壊すのかと叫んだ最期や「三十六計」伝説まで詳しく解説する。
06.女傑

【新】呂母|息子の仇を討つため反乱を起こした“母の革命家”

呂母(りょぼ)前漢末から王莽の新王朝にかけて活動した女性反乱指導者で、息子を処刑した海曲県の県宰への復讐を目的に挙兵した人物。私財を投じて貧しい人々を援助し、数千人の支持者を集めて海曲県を攻め落とし、県宰を処刑して仇討ちを果たした。その後まもなく病死したが、配下の人々は樊崇らの赤眉軍に合流し、王莽政権を揺るがす大規模な反乱へとつながった。
031.皇帝

【北斉】高緯|北斉滅亡を招いた「無愁天子」の生涯

後主・高緯(こうい)は、9歳で即位した北斉第五代皇帝。和士開・陸令萱らを重用し、名将・斛律光を誅殺、蘭陵王・高長恭にも死を命じた。馮小憐を寵愛するなか北周の宇文邕が侵攻。平陽・晋陽で敗れ、鄴を捨てて逃亡した「無愁天子」高緯の生涯と北斉滅亡を史書から詳しく解説する。
02.妃賓

【前漢】班婕妤|成帝に仕え、長信宮に身を引いた才女の生涯と団扇の詩

班婕妤(はんしょうじょ)前漢成帝に寵愛された后妃で、『漢書』を著した班固ら班氏一族につながる才女である。輦への同乗を断った諫言、趙飛燕・趙合徳姉妹の台頭、許皇后とともに受けた呪詛の嫌疑、王政君の長信宮へ自ら退いた晩年、「団扇の詩」に託された伝説まで、その生涯と人物像を詳しく解説する。