2026-09

03.公主

【隋】義成公主|四代の突厥可汗に嫁ぎ、隋滅亡後も旧王朝を支えた公主

義成公主(ぎせいこうしゅ)は隋から東突厥へ嫁ぎ、啓民・始畢・処羅・頡利可汗の時代を生きた和親公主である。雁門で煬帝が包囲された際には撤兵につながる情報を伝え、隋滅亡後は蕭皇后と煬帝の孫・楊政道を突厥へ迎えて旧隋勢力を支えた。唐と東突厥の対立が深まる中、630年の李靖による遠征でその生涯を終えるまでを詳しく解説する。
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【隋】南陽公主|父・煬帝を殺した一族に嫁ぎ、夫との復縁を拒んだ隋の皇女

南陽公主(なんようこうしゅ)は隋煬帝・楊広の長女で、重臣宇文述の子・宇文士及に嫁いだ皇女である。しかし618年、夫の兄・宇文化及らが江都で煬帝を弑し、運命は一変する。宇文化及敗亡後には、父を殺した一族の血を引く実子・宇文禅師の処分という過酷な選択を迫られた。出家後、唐に仕えた宇文士及から復縁を求められても拒んだと伝わる、その生涯を詳しく解説する。
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【北周】楊麗華|北周最後の皇后となり隋の楽平公主として生きた生涯

楊麗華(ようれいか)は楊堅と独孤伽羅の長女で、北周宣帝・宇文贇の皇后となった女性である。夫から死を命じられかけるが母の嘆願で助かり、宣帝の死後には父・楊堅が北周の実権を掌握。581年に父が隋を建国すると楽平公主となったが、北周を奪った父の行動を喜ばなかったと史書は伝える。娘・宇文娥英への愛情や李敏との婚姻、煬帝時代まで生きたその生涯を詳しく解説する。
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【唐】新城公主|太宗李世民の末娘、二度の結婚と謎を残した死

新城公主(しんじょうこうしゅ)は唐の皇帝・太宗李世民と長孫皇后の娘。二度の結婚を経験したが、二人目の夫による虐待が原因とされる不審な死を遂げた。皇帝高宗は激怒し、夫を処刑した。本記事では新城公主の生涯と事件の背景を解説する。
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【北宋】趙福金|靖康の変で運命を翻弄された徽宗の娘

趙福金(ちょうふくきん)は、北宋の徽宗と明達皇后劉氏の娘で、茂徳帝姫の称号を持つ皇女。宰相蔡京の子・蔡鞗に嫁いだが、1127年の靖康の変で金軍に引き渡され、完顔宗望のもとへ送られた。宗望の死後は完顔希尹に引き取られ、1128年8月、その陣営で死去した。美貌を理由に金側から指名された経緯、宋朝廷による引き渡し、捕虜となった皇族女性の境遇と短い生涯をたどる。
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【唐】安楽公主|皇太女を望んだ中宗最愛の傲慢公主

安楽公主(あんらくこうしゅ)は唐中宗・李顕と韋皇后の娘で、両親の房州流謫中に生まれた皇女である。中宗復位後は武崇訓・武延秀との婚姻を背景に権勢を振るい、自らを皇太女にするよう要求。李重俊の反乱、中宗急死と毒殺説、母・韋皇后や上官婉児との関係、710年の唐隆政変で李隆基側に殺害されるまでを詳しく解説する。
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【唐】太平公主|武則天の娘から玄宗最大の政敵へ 唐王朝を揺るがした皇女の生涯

太平公主(たいへいこうしゅ)は高宗と武則天の娘で、唐の皇女として朝廷に大きな権力を持った。薛紹・武攸曁との結婚を経て政治に関与し、中宗死後は李隆基と協力して韋皇后・安楽公主を排除。睿宗朝で勢力を拡大した後、皇太子李隆基と対立し、玄宗即位後の先天政変に敗れて賜死された。その生涯と武則天以後の皇位継承争いを詳しく解説する。
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【唐】高陽公主|僧侶との密通と房遺愛謀反事件で破滅した李世民の娘

高陽公主(こうようこうしゅ)は唐太宗・李世民の娘で、宰相・房玄齢の子である房遺愛に嫁いだ皇女である。僧・辯機との密通と太宗による処刑、父帝との対立、房遺愛らが関与した謀反事件、653年に賜死された最期まで、『旧唐書』『新唐書』『資治通鑑』をもとにその生涯と事件の実像を詳しく解説する。
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【南朝宋】劉楚玉|「三十人の面首」で知られる山陰公主

劉楚玉(りゅうそぎょく)は南朝宋の孝武帝劉駿の娘で、前廃帝劉子業の同母姉にあたる山陰公主である。何戢と結婚したが、弟に男女の不公平を訴え、30人の面首を与えられたと史書は伝える。さらに褚淵を求めた逸話でも知られ、劉子業殺害後の465年、明帝劉彧の命で賜死となった。その生涯と史書が描く実像を詳しく解説する。
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【北宋】福康公主|仁宗に溺愛された北宋皇女の我儘人生

福康公主(ふくこうこうしゅ)は北宋仁宗と苗氏の娘で、仁宗が特に寵愛した皇女である。李瑋との結婚と激しい不和、宦官・梁懐吉との親密な関係、夜間に宮門を開かせた事件、司馬光ら臣下の諫言、降格と復位、仁宗死後に困窮した晩年まで、『宋史』などをもとにその波乱の生涯と人物像を詳しく解説する。