2026-09

01.皇后

【唐】長孫皇后|唐太宗を支えた「賢后」とその実像

長孫皇后は唐太宗・李世民の皇后で、長孫無忌の妹にあたる。玄武門の変で将兵を慰労し、皇后となった後は外戚である兄の重用を戒め、魏徴を擁護するなど太宗を諫めた。質素を重んじた宮廷生活、『女則』の編纂、36歳で迎えた最期まで、『旧唐書』『新唐書』をもとにその生涯と人物像を詳しく解説する。
01.皇后

【隋】蕭皇后|隋煬帝の皇后、亡国後も各地を流転した南朝皇族の女性

蕭皇后(しょうこうごう)は後梁皇族に生まれ、晋王・楊広の妃を経て隋煬帝の皇后となった女性である。618年に江都の政変で煬帝を失うと、宇文化及、竇建徳の勢力下を経て東突厥へ渡り、孫の楊政道らと暮らした。630年に李靖の東突厥征服によって唐へ帰還し、長安で晩年を過ごした後、煬帝と合葬されるまでの数奇な生涯を詳しく解説する。
01.皇后

【北斉】婁昭君|高歓を支え北斉皇室の母となった武明皇后の生涯

婁昭君(ろうしょうくん)とは、北斉の基礎を築いた神武帝・高歓の妻で、文宣帝高洋・孝昭帝高演・武成帝高湛らの母。無名時代の高歓を自ら夫に選び、その密謀に加わって台頭を支えた。柔然との政略結婚、侯景への進言、高殷の廃位などにも関与した北斉の「国母」の生涯と政治的影響を史実から解説する。
01.皇后

【唐】韋皇后|中宗と流謫を耐え、唐隆の変に倒れた「第二の武則天」

韋皇后(いこうごう)は唐中宗・李顕の皇后で、武則天による夫の廃位と房州流謫をともに経験した。中宗復位後は安楽公主・武三思・上官婉児らと宮廷政治に深く関与し、李重俊の反乱を経て権勢を拡大。中宗急死後に温王李重茂を擁立したが、710年に李隆基と太平公主が起こした唐隆政変で殺害された。中宗毒殺説を含む生涯と実像を詳しく解説する。
01.皇后

【西晋】賈南風|司馬遹廃殺による「八王の乱」の引き金

賈南風(かなんぷう)は賈充の娘で、西晋恵帝・司馬衷の皇后として朝廷の実権を握った。楊駿一族の粛清、司馬亮・司馬瑋をめぐる政変、張華らを登用した賈氏政権、皇太子司馬遹の廃位と殺害、趙王司馬倫の政変による失脚と賜死、八王の乱へ至る政治過程まで、『晋書』『資治通鑑』をもとに生涯を詳しく解説する。
01.皇后

【元】奇皇后|高麗出身の貢女から元の皇后へ上り詰めた女性の生涯

奇皇后(きこうごう)は高麗出身で元の順帝の皇后となり、宮廷で大きな影響力を持った女性である。高麗と元の政治関係にも関わり、実権を握った皇后として知られる。その生涯と権力の背景を解説する。
01.皇后

【隋】独孤伽羅|隋の建国を支え「二聖」と称された文献皇后

独孤伽羅(どっこから/独孤皇后)は北周の重臣・独孤信の娘として生まれ、14歳で楊堅に嫁ぎ、隋建国後に皇后となった女性である。文帝と政治を論じ「二聖」と称された一方、夫に他の女性との子を持たせず、寵愛した尉遅氏をめぐる激しい逸話も残る。皇太子楊勇を嫌い、晋王楊広を支持したことは隋の皇位継承にも影響した。夫婦の誓いから政治参加、楊広が皇太子となるまでを詳しく解説する。
01.皇后

【秦】宣太后|秦を動かした史上初の「太后政治」芈八子の野望と義渠王の伝説

宣太后(せんたいごう)は戦国時代の秦で実権を握った太后で、昭襄王の母として政治を主導した人物。義渠王との関係や粛清事件など、秦の国政に大きな影響を与えた女性権力者として知られる。その生涯と政治的役割を解説する。
03.公主

【唐】金城公主|唐と吐蕃の戦争の中で外交を担った公主

金城公主(きんじょうこうしゅ)は唐の宗室から公主に封じられ、710年に吐蕃王ティデ・ツクツェンへ嫁いだ女性である。文成公主に続く唐蕃間の婚姻として吐蕃で約30年を過ごし、戦争と和平を繰り返す両国の間で唐朝への働きかけを続けた。河西九曲をめぐる問題や730年の赤嶺の会盟、唐との外交関係、741年に吐蕃で生涯を終えるまでを詳しく解説する。
03.公主

【唐】文成公主|チベット仏教をもたらし観音菩薩と崇められた唐の公主

文成公主(ぶんせいこうしゅ)は唐の時代に吐蕃(チベット)の王ソンツェン・ガンポに嫁いだ公主。唐と吐蕃の外交関係を象徴する人物であり、仏像や経典を持ち込みチベット仏教の伝来に関わったと伝えられる。チベットでは観音菩薩の化身として語られることもある。