01.皇后

徐皇后|北平を守り永楽帝を支えた仁孝文皇后の生涯

徐皇后(じょこうごう)は、名将徐達の娘から永楽帝朱棣の皇后となった仁孝文皇后。靖難の変では女性たちを武装させて北平防衛を支え、即位後は民衆の休養や人材登用を進言した。外戚への恩賞を戒め、漢王朱高煦ら皇子を案じ、『内訓』『勧善書』を著した生涯と政治的役割を解説する。
032.軍師・策士

姚広孝|靖難の変を勝利に導いた僧軍師と永楽帝を支えた策士の生涯

姚広孝(よう こうこう/道衍)は14歳で出家し、仏教や陰陽術を学んだ後、燕王朱棣の側近となった明初の僧侶である。建文帝の削藩に対して挙兵を勧め、靖難の変では朱高熾と北平を守り、南京への直接進撃を献策して朱棣の即位を支えた。永楽帝の功臣となっても還俗を拒み、『永楽大典』の編纂に参加。晩年には建文帝の失踪をめぐり投獄された僧の釈放を実現した。その生涯と功績、皇位簒奪を助けたことへの批判をたどる。
06.女傑

唐賽児|永楽帝に反旗を翻した白蓮教の女性指導者と1420年の山東反乱

唐賽児(とうさいじ)は明の永楽帝の治世に山東で武装蜂起を率いた女性である。白蓮教系の信仰を背景に「仏母」を称し、重い税や労役に苦しむ民衆を集めて1420年に反乱を起こした。官軍の包囲を夜襲で突破し、反乱鎮圧後も捕らえられず、永楽帝は数万人の尼僧や女道士を捜索させた。宝書と神剣の伝承、反乱の経緯、消息不明となった最期、史書に「妖婦」と記された理由と後世の女英雄像までを解説する。
034.文人・学者

方孝孺|永楽帝への服従を拒み「誅十族」に至った儒者の生涯

方孝孺(ほうこうじゅ)は宋濂に学び、父の処刑や自身の投獄を経て、建文帝の側近となった明初の儒学者である。靖難の変では燕王朱棣への対抗策を進言したが、南京陥落によって建文政権は崩壊。永楽帝の即位詔書の起草を拒んで処刑され、弟や妻子、親族、門人にも処罰が及んだ。その壮絶な最期と「誅十族」の実態を史料からたどる。
033.武将

李景隆|靖難の変で敗北し金川門を開いた建文帝側主将

李景隆(りけいりゅう)は、明建国の名将・李文忠の子として曹国公を継ぎ、建文帝の大将軍として靖難の変を戦った人物。北平攻略の失敗、鄭村壩・白溝河での敗北、金川門開城による南京陥落、永楽帝即位後の厚遇と失脚、「不知兵」と評された軍事能力の実像まで史実から解説する。
031.皇帝

朱允炆(建文帝)|明朝第2代皇帝の生涯と靖難の変、南京陥落後の行方

朱允炆(しゅいんぶん/建文帝)の生涯を史書に基づいて解説。洪武帝の孫として皇太孫に冊立され、明朝第2代皇帝に即位した朱允炆は、黄子澄・斉泰・方孝孺を重用して建文新政と削藩を進めた。しかし、叔父の燕王朱棣が靖難の変を起こし、1402年に南京が陥落。宮中の火災後に消息を絶った建文帝の焼死説と僧侶逃亡説、永楽帝による旧臣の粛清、後世の名誉回復までを史料からたどる。
034.政治家・文官

黄子澄|靖難の変における「君側の奸臣」の悲劇

黄子澄(こうしちょう)は、明の建文帝に仕え、斉泰とともに諸王の削藩を進めた重臣。燕王朱棣への対応をめぐって李景隆を推薦したが、靖難の変は建文帝側の敗北に終わった。南京陥落後も朱棣への抵抗を図って捕らえられ、屈服せず処刑された。「君側の奸臣」とされた黄子澄の生涯と最期をたどる。
034.文人・学者

宋濂|明初を支えた文臣・儒学者の生涯と思想

宋濂(そうれん)は、朱元璋に仕えて皇太子・朱標を教育し、『元史』編纂や明朝の礼制整備を担った「開国文臣之首」。貧しい修学時代、儒学者・文章家としての功績、朱元璋との逸話、胡惟庸の獄への連座、馬皇后と朱標に救われた最期まで史実から解説する。
032.軍師・策士

劉基(劉伯温)|諸葛亮に比肩 明朝創業を支えた軍師の実像と逸話

劉基(りゅうき/劉伯温)は、朱元璋に仕えて天下統一と明朝建国を支え、後世に諸葛亮と並び称された名臣。元末の官僚から朱元璋の参謀となった経緯、軍事・政治で果たした役割、胡惟庸との確執と謎を残す最期、著作と思想、『焼餅歌』に代表される予言者伝説まで、その生涯と実像をたどる。
033.武将

藍玉|北方遠征の功臣と「藍玉の獄」の実像

藍玉(らんぎょく)は、明初に常遇春の配下から大将軍へ上り、捕魚児海の戦いで北元に大勝した武将。四川・雲南・北方遠征での軍功、朱元璋との対立、謀反の真偽、一万五千人を巻き込んだ「藍玉の獄」、皮を剥がされ各地へ回されたという伝承まで史実と史料から解説する。