031.皇帝

朱祁鈺(景泰帝)|土木の変後の北京防衛と奪門の変で失脚した明朝第7代皇帝

朱祁鈺(しゅきぎょく/景泰帝)は明の第7代皇帝で、土木の変で兄の正統帝が捕虜となった後、皇位に就いた人物。于謙を重用してオイラト軍から北京を守り、壊滅した明軍の再建を進めた。しかし帰国した兄を南宮に幽閉し、甥の朱見深を廃して実子を皇太子に立てたことで皇位継承をめぐる対立が深まった。実子の夭折と自身の病を経て奪門の変で廃位され、死後には皇帝の称号まで奪われた。
034.政治家・文官

于謙|土木の変で明朝を救った北京防衛の功臣と奪門の変による悲劇

于謙(うけん)は明の政治家で、土木の変によって正統帝が捕虜となった際、北京の放棄に反対して防衛を指揮した人物。河南・山西での善政、景泰帝の擁立、オイラト軍との戦い、軍制改革、英宗の帰還、石亨・徐有貞らとの対立、奪門の変による処刑、成化帝による名誉回復まで、その生涯と功績を詳しく紹介する。
037.宦官

王振|正統帝の信任を背景に権力を握り、土木の変で命を落とした明の宦官

王振(おうしん)は明の正統帝に仕えた宦官で、皇太子時代の教育係から司礼監の重臣となり、皇帝の信任を背景に朝廷で強大な権力を握った人物。張太皇太后と三楊の死後、錦衣衛を利用して李時勉ら官僚を弾圧し、人事にも介入した。1449年にはオイラトのエセンに対する正統帝の親征を後押ししたが、撤退経路の変更や土木堡での滞陣が明軍の壊滅を招いた。皇帝が捕虜となる大敗の中で王振も死亡し、その一族は敗戦の責任を問われて処罰された。
031.皇帝

朱祁鎮(英宗)|土木の変と奪門の変を経験した明朝皇帝

朱祁鎮(しゅきちん/明英宗)は明朝で二度皇帝となった人物。9歳で即位し、宦官・王振を重用したが、1449年の土木の変でオイラト軍の捕虜となった。帰国後は弟の景泰帝によって南宮に幽閉され、1457年の奪門の変で復位。北京防衛の功臣・于謙を処刑し、石亨・徐有貞ら復位功臣も相次いで失脚した。晩年の朱文圭釈放や宮妃の殉葬廃止まで、その治世をたどる。
031.皇族・王族

朱高煦|永楽帝に寵愛された漢王の皇位継承争いと壮絶な最期

朱高煦(しゅこうく)は、永楽帝朱棣の次男として靖難の変で軍功を挙げ、兄の朱高熾と皇位を争った漢王。皇太子排斥や私兵養成によって父と対立し、洪熙帝の死後には甥の宣徳帝に反旗を翻した。漢王の乱と宣徳帝の親征、楽安での降伏、幽閉後に銅缸で焼き殺されたと伝わる壮絶な最期まで、その生涯をたどる。
031.皇帝

朱瞻基(宣徳帝)|仁宣の治を完成させた明第5代皇帝の生涯と実像

朱瞻基(しゅせんき/宣徳帝)は明の第5代皇帝で、叔父朱高煦の反乱を自ら鎮圧して皇位を守り、三楊と呼ばれる重臣たちを登用して政治の安定を図った。父洪熙帝とともに「仁宣の治」と称される繁栄期を築いた一方、寵愛する孫氏を皇后に立てるため胡善祥を廃し、宦官の政治関与につながる制度も整えた。領土拡張より国内の安定を優先した宣徳帝の功績と、その治世に残された問題をたどる。
01.皇后

胡善祥|罪なくして廃された明宣宗の皇后

胡善祥(こぜんしょう)は、明の宣徳帝・朱瞻基の最初の皇后。皇太孫妃から皇后となったが、男子を産まなかったことを理由に孫貴妃へ地位を譲らされ、楊士奇ら重臣の反対にもかかわらず廃后となった。張太后からはその後も皇后同然に遇され、死後20年を経て名誉を回復した。宣徳帝自身が後に悔いた「無過被廃」の皇后、その生涯をたどる。
031.皇帝

朱高熾(洪熙帝)|短い治世の中で内政の安定と民生の回復を図った温厚な皇帝

朱高熾(しゅこうし/洪熙帝)は、永楽帝の長男として靖難の変で北平を守り、朱高煦との皇位争いを経て即位した明の仁宗。建文帝旧臣の赦免や減税、刑罰緩和を進める一方、李時勉への苛烈な処罰や張皇后・郭貴妃をめぐる後宮の逸話も残した。約9か月で終わった治世と仁宣の治につながる政治をたどる。
034.政治家・文官

三楊とは|楊士奇・楊栄・楊溥が支えた仁宣の治と明朝内閣政治

三楊(さんよう)とは明朝の永楽帝から正統帝まで四代に仕えた楊士奇・楊栄・楊溥の総称である。楊士奇は皇太子朱高熾を守り、楊栄は軍事と政務を支え、楊溥は約10年の投獄を経て内閣の重臣となった。三人は仁宣の治で減税や交趾撤退を進め、幼い正統帝を補佐したが、晩年には宦官王振が台頭。内閣政治の発展から三楊の死後に起きた土木の変まで、その功績と限界をたどる。
037.宦官

亦失哈(イシハ)|黒竜江下流へ派遣された明の宦官

亦失哈(イシハ)は、永楽帝から宣徳帝の時代にかけて明の北東方面への進出を担った宦官である。黒竜江下流域への遠征を重ね、女真諸部との朝貢関係を築くとともに、奴児干都司の運営や永寧寺の建立・再建に関与した。鄭和が海上で活動した時代、北方の辺境で明の影響力を広げた亦失哈の事績と歴史的役割をたどる。