江京は後漢の安帝期に台頭した宦官。
鄧太后の死後に外戚・鄧氏を誣告して失脚させ、宮中を専横した人物。
さらに皇太子劉保(のちの順帝)を陥れて廃位し、
安帝の死を隠して別の皇帝を即位させるなど、
後漢史でも屈指の“悪宦官”として記録される。
最終的には、宮中クーデターによって誅殺された。
江京とは
-
安帝の小黄門として出仕
-
鄧太后死後、鄧氏一族を誣告して失脚させる
-
中常侍・大長秋に昇進
-
皇太子劉保を陥れて廃位
-
安帝の死を隠し、少帝(劉懿)を擁立
-
その後、宮中クーデターで誅殺される
安帝期:鄧太后の死と江京の台頭
鄧太后の死で権力構造が崩れる
121年、安帝の後見人であった鄧太后(鄧綏)が死去。
鄧氏一族は長年にわたり後漢政権を支えてきた名門で、 政治の中心にいた。
しかし、太后の死で外戚の権力は急速に弱体化する。
江京、安帝の乳母・王聖と結託
江京は安帝の乳母・王聖らと結び、
鄧騭(鄧太后の兄)・鄧氏一族・平原王劉翼を誣告した。
安帝はこれを信じ、鄧氏一族を粛清、劉翼を廃位という大粛清を断行。
江京はこの功績で、都郷侯に封じられ、中常侍・大長秋に昇進した。
宮中専横:江京グループの暴走
中常侍として宮中を支配
江京は、李閏、樊豊、王聖母娘 らとともに、宮中と朝廷を完全に掌握した。
史書は彼らを 「恣肆暴虐を競った」 と記し、 後漢史でも屈指の腐敗グループとして描く。
皇太子劉保(のちの順帝)を陥れて廃位
皇太子の乳母を誣告して殺害
124年、江京らは皇太子劉保の乳母・王男や厨監・邴吉を誣告し、 冤罪で殺害した。
皇太子を廃位
さらに江京らは皇太子本人をも陥れ、 皇太子を廃位 → 済陰王に降格させた。
これは後漢史でも重大事件で、 皇太子廃位に宦官が直接関与した最初期の例。
安帝の死を隠し、皇帝をすり替える
安帝の死を隠蔽
125年、安帝が南巡の帰途で死去。
江京らはこれを隠し、 北宮に戻るまで死を公表しなかった。
少帝(劉懿)を即位させる
江京は閻皇后・閻顕らと協力し、 劉懿(少帝)を即位させた。
しかし少帝は即位後わずか数ヶ月で病死。
少帝の死も隠蔽
江京らは少帝の死も隠し、喪を発しなかった。
これは「皇帝の死を隠して政治を操る」という、
宦官政治の典型的な悪例として後世に語られる。
宮中クーデターと江京の最期
中黄門・孫程らが決起
江京らの専横に耐えかねた中黄門・孫程ら18名が、
西鐘の下に集結し、江京らの粛清を決議。
125年11月4日、孫程らのクーデターにより、
江京・劉安・陳達らは斬殺された。
劉保(順帝)が即位
江京が廃位した皇太子・劉保は、
このクーデターによって再び迎えられ、順帝として即位した。
江京の死は、 「悪宦官の専横 → 宮中クーデター → 皇帝交代」 という
後漢末の典型的な政治パターンの先駆けとなった。
歴史的評価
江京の功罪
後漢史における位置づけ
江京は 「五侯」→「十常侍」へ続く“悪宦官政治の先駆け” に位置する人物で、
後漢政治の腐敗を加速させた重要な存在。

