侯覧|巨万の富を築き、後漢の腐敗を象徴した“金の宦官”

後漢の宦官 侯覧 024.宦官

侯覧(こうらん)は後漢末期の宦官で、
莫大な財産を築き、豪奢な生活と収奪で悪名を轟かせた人物である。

桓帝期に中常侍へ昇進し、賄賂・官職売買・私田経営・一族ぐるみの財産没収など、
後漢の腐敗を象徴する行動を繰り返した。

その富は「巨万を数えた」と史書に記され、
兄の侯参とともに “後漢最大級の富豪宦官 として知られる。

侯覧とは

  • 桓帝初年に中常侍へ昇進

  • 賄賂で巨万の富を築く

  • 段珪とともに済陰郡で巨大私田を経営

  • 兄・侯参は益州で富豪を冤罪にして財産没収

  • 豪邸・巨大墓を建てるほどの奢侈生活

  • 172年、専権を弾劾され自殺

宦官として台頭し、賄賂で巨万の富を築く

中常侍となり、賄賂が“巨万”に達する

桓帝の初年、侯覧は中常侍に昇進した。
この頃の宮廷は宦官と官僚の腐敗が極まっており、侯覧はその中心にいた。

後漢書は、 「受け取った賄賂は巨万を数えた」 と記す。
これは後漢宦官の中でも突出した規模で、
侯覧が“金の宦官”と呼ばれる最大の理由である。

巨大私田経営:済陰郡に広がる“宦官の領地”

段珪と組んだ大規模農業ビジネス

侯覧は同僚の小黄門・段珪とともに、
済陰郡で大規模な私田(私有農地)を経営していた。

その規模は 「済北国との境界近くまで延びた」 と記録されており、
ほぼ“領地”に近い広さだった。

私兵まがいの従者が農民を暴行

侯覧・段珪の僕従や賓客は、 地元民に乱暴狼藉を繰り返していた。

済北国相の滕延はこれを取り締まり、 数十人を処刑して遺体を晒した。
しかし侯覧は逆に滕延を訴え、 滕延は免官されてしまう。

権力を使って暴力と収奪を正当化した典型例である。

兄・侯参と一族ぐるみの“財産没収ビジネス”

益州刺史・侯参の凶悪な収奪

侯覧の兄・侯参は益州刺史として、
富裕層を大逆罪で誣告し、一族皆殺しにして財産を没収する
という凶悪な収奪を行っていた。

京兆尹・袁逢が侯参の車300両を調べたところ、
金銀・錦帛・珍玩が山のように積まれていた と記録されている。

侯覧一族は、 冤罪 → 財産没収 → 富の蓄積 という仕組みで巨万の富を築いていた。

豪邸と巨大墓:奢侈の極み

豪邸・巨大墓を建て、張倹に告発される

169年、侯覧の母が死去すると、侯覧は故郷に戻り、巨大な墓を建てた。

その奢侈ぶりは目に余るもので、 督郵・張倹がこれを告発し、
侯覧の邸宅と墓を破却、財産を没収した。

張倹の報告書には、 侯覧の貪欲と奢侈が詳細に記されていたという。

逆に張倹を“党人”として誣告

しかし侯覧は逆に張倹を党人として誣告し、
李膺・杜密ら名士が連座して獄死した。

これは第二次党錮の禁の一因となる。

最期:専権を弾劾され、自殺

172年、侯覧は 「専権驕奢」=権力を乱用し奢侈を極めたとして
御史に弾劾され、印綬を没収される。

その後、侯覧は自殺し、 仲間たちもすべて免官された。

歴史的評価:後漢の腐敗を象徴した“金の宦官”

侯覧は、

  • 巨万の賄賂

  • 大規模私田経営

  • 一族ぐるみの財産没収

  • 豪邸・巨大墓の建設

  • 党錮の禁の悪化

といった行動により、 後漢末期の腐敗と宦官政治の象徴となった。

政治的な黒幕だった曹節とは異なり、
侯覧は “富の収奪と奢侈”に特化した宦官 として記憶されている。

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