03.公主

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【隋】義成公主|四代の突厥可汗に嫁ぎ、隋滅亡後も旧王朝を支えた公主

義成公主(ぎせいこうしゅ)は隋から東突厥へ嫁ぎ、啓民・始畢・処羅・頡利可汗の時代を生きた和親公主である。雁門で煬帝が包囲された際には撤兵につながる情報を伝え、隋滅亡後は蕭皇后と煬帝の孫・楊政道を突厥へ迎えて旧隋勢力を支えた。唐と東突厥の対立が深まる中、630年の李靖による遠征でその生涯を終えるまでを詳しく解説する。
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【唐】文成公主|チベット仏教をもたらし観音菩薩と崇められた唐の公主

文成公主(ぶんせいこうしゅ)は唐の時代に吐蕃(チベット)の王ソンツェン・ガンポに嫁いだ公主。唐と吐蕃の外交関係を象徴する人物であり、仏像や経典を持ち込みチベット仏教の伝来に関わったと伝えられる。チベットでは観音菩薩の化身として語られることもある。
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【北宋】福康公主|仁宗に溺愛された北宋皇女の我儘人生

福康公主(ふくこうこうしゅ)は北宋仁宗と苗氏の娘で、仁宗が特に寵愛した皇女である。李瑋との結婚と激しい不和、宦官・梁懐吉との親密な関係、夜間に宮門を開かせた事件、司馬光ら臣下の諫言、降格と復位、仁宗死後に困窮した晩年まで、『宋史』などをもとにその波乱の生涯と人物像を詳しく解説する。
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【唐】金城公主|唐と吐蕃の戦争の中で外交を担った公主

金城公主(きんじょうこうしゅ)は唐の宗室から公主に封じられ、710年に吐蕃王ティデ・ツクツェンへ嫁いだ女性である。文成公主に続く唐蕃間の婚姻として吐蕃で約30年を過ごし、戦争と和平を繰り返す両国の間で唐朝への働きかけを続けた。河西九曲をめぐる問題や730年の赤嶺の会盟、唐との外交関係、741年に吐蕃で生涯を終えるまでを詳しく解説する。
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【南朝宋】劉楚玉|「三十人の面首」で知られる山陰公主

劉楚玉(りゅうそぎょく)は南朝宋の孝武帝劉駿の娘で、前廃帝劉子業の同母姉にあたる山陰公主である。何戢と結婚したが、弟に男女の不公平を訴え、30人の面首を与えられたと史書は伝える。さらに褚淵を求めた逸話でも知られ、劉子業殺害後の465年、明帝劉彧の命で賜死となった。その生涯と史書が描く実像を詳しく解説する。
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【唐】高陽公主|僧侶との密通と房遺愛謀反事件で破滅した李世民の娘

高陽公主(こうようこうしゅ)は唐太宗・李世民の娘で、宰相・房玄齢の子である房遺愛に嫁いだ皇女である。僧・辯機との密通と太宗による処刑、父帝との対立、房遺愛らが関与した謀反事件、653年に賜死された最期まで、『旧唐書』『新唐書』『資治通鑑』をもとにその生涯と事件の実像を詳しく解説する。
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【唐】太平公主|武則天の娘から玄宗最大の政敵へ 唐王朝を揺るがした皇女の生涯

太平公主(たいへいこうしゅ)は高宗と武則天の娘で、唐の皇女として朝廷に大きな権力を持った。薛紹・武攸曁との結婚を経て政治に関与し、中宗死後は李隆基と協力して韋皇后・安楽公主を排除。睿宗朝で勢力を拡大した後、皇太子李隆基と対立し、玄宗即位後の先天政変に敗れて賜死された。その生涯と武則天以後の皇位継承争いを詳しく解説する。
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【呉】孫魯班|二宮事件を主導した呉最大の権力者・全公主の生涯

孫魯班(そんろはん/全公主)は孫権と歩練師の長女であり、二宮事件で孫覇派の中心人物として活動した呉の公主である。周循・全琮との結婚、王夫人への讒言、孫和失脚工作、孫魯育誅殺、孫亮政権での権勢、失脚とその後までを史実をもとに詳しく解説する。
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【唐】安楽公主|皇太女を望んだ中宗最愛の傲慢公主

安楽公主(あんらくこうしゅ)は唐中宗・李顕と韋皇后の娘で、両親の房州流謫中に生まれた皇女である。中宗復位後は武崇訓・武延秀との婚姻を背景に権勢を振るい、自らを皇太女にするよう要求。李重俊の反乱、中宗急死と毒殺説、母・韋皇后や上官婉児との関係、710年の唐隆政変で李隆基側に殺害されるまでを詳しく解説する。
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【北宋】趙福金|靖康の変で運命を翻弄された徽宗の娘

趙福金(ちょうふくきん)は、北宋の徽宗と明達皇后劉氏の娘で、茂徳帝姫の称号を持つ皇女。宰相蔡京の子・蔡鞗に嫁いだが、1127年の靖康の変で金軍に引き渡され、完顔宗望のもとへ送られた。宗望の死後は完顔希尹に引き取られ、1128年8月、その陣営で死去した。美貌を理由に金側から指名された経緯、宋朝廷による引き渡し、捕虜となった皇族女性の境遇と短い生涯をたどる。