中国史

037.宦官

王承恩|崇禎帝に殉じた明末の宦官と北京陥落の最期

王承恩(おうしょうおん)は明末の崇禎帝に仕えた司礼監の宦官。1644年、李自成軍による北京陥落の際、景山で自害した皇帝に殉じたと『明史』に記される。皇子たちの脱出や長平公主の救出をめぐる伝承、殉死者を王之心・王之俊とする異説、順治帝・康熙帝による顕彰、思陵近くの墓碑まで、明朝滅亡の最終局面と王承恩の事績をたどる。
037.宦官

魏忠賢|天啓帝の寵臣から「九千歳」へ、東林党弾圧と明末最大の宦官権力

魏忠賢(ぎちゅうけん)は、明末の天啓帝に仕え、「九千歳」と称されるほどの権勢を握った宦官。賭博に明け暮れた青年時代を経て自ら去勢し、宮廷入りすると皇帝の乳母・客氏と結んで出世した。司礼監と東廠を掌握し、楊漣の二十四大罪による弾劾を退け、左光斗ら東林派官僚を投獄・拷問によって死に追いやった。閹党による官僚人事の支配、各地に広がった生祠、後金との戦争が続く中での政治混乱、崇禎帝即位後の追放と自害までをたどる。
031.皇帝

朱由校(天啓帝)|木工に熱中した明の皇帝と魏忠賢・客氏による権力掌握

天啓帝(朱由校/しゅゆうこう)は明王朝第16代皇帝。16歳で即位し、木工に熱中する一方、乳母の客氏と宦官の魏忠賢が権力を握り、楊漣・左光斗ら東林党の官僚が弾圧された。後金による遼東侵攻、袁崇煥の寧遠防衛、張皇后と客氏の対立、皇子たちの夭折、23歳での崩御と弟・崇禎帝への皇位継承までをたどる。
031.皇帝

朱常洛(泰昌帝)|梃撃の案・紅丸の案・移宮の案に翻弄された「一月天子」

泰昌帝(朱常洛/しゅじょうらく)は、明の第15代皇帝として即位からわずか29日で急死した「一月天子」。万暦帝の皇長子でありながら、鄭皇貴妃の子・朱常洵が寵愛されたため立太子が遅れ、国本問題では長年にわたり皇位継承を争われた。1615年には宮殿に男が侵入する梃撃の案が発生。1620年の即位後は財政・人事の改革に着手したが、李可灼の紅丸を服用した後に崩御した。鄭皇貴妃をめぐる疑惑と、死後に起きた移宮の案までをたどる。
037.宦官

馮保|張居正と万暦初政を支えた宦官の権力掌握と失脚

馮保(ふうほ)は明の隆慶帝・万暦帝に仕え、司礼監掌印太監として宮廷の実権を握った宦官。幼い万暦帝の即位に際して李太后・張居正と結び、政敵の高拱を失脚させた。張居正の改革を宮廷内から支える一方、皇帝の教育や官僚人事に介入し、奪情問題では反対派の弾圧にも関与した。側近の徐爵らを通じた蓄財や専権は反発を招き、1582年に張居正が死去すると、成長した万暦帝の命令で南京へ追放された。
031.皇帝

万暦帝(朱翊鈞)|張居正改革・国本の争い・万暦怠政をわかりやすく解説

万暦帝・朱翊鈞(しゅよくきん)は、明朝で最も長い48年間の在位を記録した皇帝。10歳で即位し、張居正の改革によって財政と政治の立て直しを進めた。親政後は張居正を死後に処罰し、寧夏の乱・朝鮮出兵・播州の乱に対する万暦三大征を実施。一方、鄭皇貴妃の子・朱常洵を寵愛し、皇長子・朱常洛の立太子をめぐって官僚と対立した。長期にわたる朝議への不出席、鉱税使への反発、サルフの戦いでの敗北、死後の定陵発掘までをたどる。
02.妃賓

鄭皇貴妃|万暦帝の寵妃と国本問題・梃撃の案をめぐる皇位継承争い

鄭皇貴妃(てい こうきひ/孝寧太后)は明の万暦帝に寵愛され、皇三子・朱常洵を産んだ后妃。皇長子・朱常洛の立太子をめぐる国本問題では、息子を皇位に就けようとしたと批判された。三王並封案、二度の妖書案、皇太子襲撃事件「梃撃の案」、泰昌帝急死をめぐる紅丸の案、移宮の案との関係、南明の弘光帝による孝寧太皇太后への追尊まで、その生涯と疑惑の実態をたどる。
031.皇帝

朱載坖(隆慶帝)|隆慶新政・隆慶開関・俺答封貢で明朝中興の礎を築いた皇帝

隆慶帝・朱載坖(しゅさいき)は、明の第13代皇帝として嘉靖帝の死後に即位し、6年間の治世で政治と対外政策の転換を進めた。皇子の相次ぐ夭折や景王との後継者問題を経て皇位を継ぎ、徐階・高拱・張居正らを重用して隆慶新政を推進。海禁を緩和した隆慶開関によって民間の海外貿易を認め、北方では俺答汗との和平と封貢関係を成立させた。戚継光による北辺防衛、後宮と万暦帝への皇位継承、36歳での崩御まで、その治世を紹介する。
037.宦官

劉瑾|正徳帝に寵愛された「八虎」筆頭の宦官と専権政治・凌遅刑の最期

劉瑾(りゅうきん)明の正徳帝に仕え、宦官集団「八虎」の筆頭として朝廷の実権を握った。皇太子時代から朱厚照に近侍し、即位後は劉健・謝遷ら重臣を追放して司礼監を掌握。官僚人事や財政に介入し、内行廠を設置して東廠・西廠の関係者まで監視するなど、強権的な政治を進めた。罰米の徴収や賄賂によって巨額の財産を蓄えたが、1510年の安化王の乱を機に楊一清と張永が排除を画策。謀反の疑いで逮捕され、凌遅刑に処された。
031.皇帝

朱厚㷖(正徳帝)|豹房・劉瑾の専横・応州の戦い・寧王の乱と波乱の生涯

正徳帝(朱厚㷖/しゅこうしょう)は明の第11代皇帝。弘治帝の跡を継いで即位したが、宦官劉瑾ら八虎の専横を許し、豹房での遊興や女性関係で朝臣の反発を招いた。一方、劉瑾を処刑し、自ら朱寿を名乗ってモンゴル軍と戦うなど、軍事には積極的だった。寧王の乱では王陽明が反乱を鎮圧した後も南征を続け、落水事故後に病死。実子を残さず、皇位は嘉靖帝へ移った。